お盆ですね。
社会人にとっては、貴重な有休を取りやすい時期だと思います。
(そうで無い方もいるでしょうが……その場合はすみません)
学生にとっては、夏休みの前半が終わってしまったという悲劇的事実を認識せざるを得ない時期ですね。
受験生にとっては、夏休みでは無く夏の陣。ここでどれだけ勉強を成功させたかが、進路実現に大きく関わるでしょう。
この記事は、入試のうち、高校入試のお話です。
皆さん、自分の中学時代の内申点、言えますか?
ちなみに、内申点というのは正式な呼称ではないのですけれど、一般的に浸透しているので、ここでは使ってしまいます。
現在、我が国の中学校では、9教科を5段階で絶対評価するように定められています。
すべての教科で最高の評定である5が得られれば、5×9で内申点は45になりますし
逆にすべての教科で1であれば、1×9で内申点は9になります。
中学校から高校に送られる資料の正式名称は、調査書です。
その中には、その子の氏名や行ってきた活動(係活動、委員会活動、部活動等々……)、出欠席の事実やその他特記事項などに加え
各教科の観点別評価や評定が記されています。
ざっくばらんに言うと、通知表が形式を変えたものだと思ってしまって良いです。
(もちろん、地域により差はありますが)
調査書のうち、先ほど述べたような、教科の評定の部分を俗に内申点と呼ぶわけです。
高校入試において、この内申点は大切なのでしょうか?
実は、地域によって違います。
先ほどの私の質問に対して
「自分は35だったよ」
とか思い出せれば、たぶんあなたの出身地は、内申点を重視する地域です。
逆に、覚えが無いなぁ、という場合は、あまり内申点が重要では無い地域だと推測できます。
中学校という記憶力がすさまじい時期に、内申点が人生を左右する数字だった場合、大人になっても思い出せるでしょうし
そうで無い場合は、忘却のかなただと言うことです。
ちなみに私は、あまり内申点を重視しない県の出身で
現在勤務している学校のある県は、内申点を重視します。
はじめて進路指導をした際は、とても戸惑いました。
さて、ここからが今日の本題ですが
この内申点が高校入試に影響するシステム、どう思います?
私はおかしいと思うんですよ。
だって、学校によってやってる授業は違うし、評価者(=授業者)は違うし、評価基準や評価規準も違うからです。
(あ、ちなみに評価基準と評価規準は別物です。タイプミスじゃないですよ。
業界人なら「モトジュン」「ノリジュン」などと発音して、区別しているかと思います。
超簡単に言うと、「何ができればいいの?」の設定が評価規準、「どれくらいできてればいいの?」が評価基準です。
もし読者の中に教員を目指す大学生がいれば、あとは自分で調べてください。
それ以外の方は、深く気にしなくて良いです。)
だから、A中学校における数学の4と、B中学校における数学の4では、微妙に価値が異なるのです。
(地域によっては、教育委員会が内申点に補正をかける場合もあるようですが、それはそれでどうなんだ、と思います)
特に問題になるのが、技能教科。
美術を例に話します。
学校によってそもそも何を制作するか違いますし
その制作にどれくらい時間をかけるのかも現場の教師の裁量です。
それに芸術ですからね、それを人間により評価するとなると微妙な部分もあります。
ある学校のある先生の元では5をとれる子でも、他の学校では5をとれないかも知れない。
そうゆう差異が生まれてしまうのは仕方が無いとして
それを高校入試で重視するっていうのはいかがなものか、というのが私の意見です。
保護者の通知表に対する姿勢にもこれはあらわれます。
内申点を重視しない県であれば、学校に「なぜうちの子の評定はこうなんだ!?」と説明を求める場合は少なく、
逆に重視する県ならば、多いでしょう。
そのような説明の要求があれば、学校には説明責任がありますから、担当教師は説明をしなければなりません。
場合によっては、保護者と学校または教師の間に軋轢を生んでしまうでしょう。
ちなみに匿名なのを良いことに、かなりぶっちゃけたことを書きましょう。
例えば、なにかいかがわしい動機で、特定の子の評価評定を良い方向に改ざんすることは可能でしょうか?
たまにドラマとか漫画とかで見られる、親から金品をもらって……とか女子生徒の色仕掛けに負けて……とか。
結論は、実は可能です。
可能と言っても、1程度の実力の子を3や4にすることは不可能ですが
例えば、3程度の実力の子を何か理由を付けて4にするくらいのことは可能です。
まず、評価評定はテストの結果のみで決まるものではありません。
よって、テスト以外の部分で肯定的な評価を紛れ込ませ、不正に評価評定をあげることは可能です。
実際、評価評定を決定する作業は、現場の教科担当によく言えば一任、悪く言えば丸投げですから
厳正なチェックがあるわけでもありません。
また、良い方向に傾いているのなら「なんでうちの子はこの評価評定なの!?」と言われることがありませんから
例えば生徒と教師の間に裏取引があったとしても、それが発覚する可能性はほとんど無いと言うことです。
親は「案外うちの子は頑張ったんだね」程度にしか思わないでしょうからね。
もちろん私はやってませんし、やっている同業者はいないと信じたいものですが
そのくらい評定というものは脆弱なものだと言うことです。
というわけで、内申点を入試に反映するなんて、やめちまえばいいんだ、というのが私の意見です。
もし、学力検査の一発勝負にするのは中学生には酷だ、と言うなら、大学入試のセンター試験のように
県統一の1次試験を行えば良いんですよ。
その結果を踏まえ、どこの高校に出願するかを検討しつつ、2次試験にむけて頑張れば良い。
もし、読んでくださった方の中に、中学生の子どもをお持ちの方がいらっしゃれば、この現状について、賛成または反対の意見を持って欲しいと思います。
そして、私と同じ反対の意見をお持ちの方がいれば、是非声を上げてください。
私のような現場の平教師が声をあげても状況が変わるわけないし、教育委員会の方から声が上がるとも思えません。
状況を変えうるのは、保護者の方の声のみだと思うのです。
社会人にとっては、貴重な有休を取りやすい時期だと思います。
(そうで無い方もいるでしょうが……その場合はすみません)
学生にとっては、夏休みの前半が終わってしまったという悲劇的事実を認識せざるを得ない時期ですね。
受験生にとっては、夏休みでは無く夏の陣。ここでどれだけ勉強を成功させたかが、進路実現に大きく関わるでしょう。
この記事は、入試のうち、高校入試のお話です。
皆さん、自分の中学時代の内申点、言えますか?
ちなみに、内申点というのは正式な呼称ではないのですけれど、一般的に浸透しているので、ここでは使ってしまいます。
現在、我が国の中学校では、9教科を5段階で絶対評価するように定められています。
すべての教科で最高の評定である5が得られれば、5×9で内申点は45になりますし
逆にすべての教科で1であれば、1×9で内申点は9になります。
中学校から高校に送られる資料の正式名称は、調査書です。
その中には、その子の氏名や行ってきた活動(係活動、委員会活動、部活動等々……)、出欠席の事実やその他特記事項などに加え
各教科の観点別評価や評定が記されています。
ざっくばらんに言うと、通知表が形式を変えたものだと思ってしまって良いです。
(もちろん、地域により差はありますが)
調査書のうち、先ほど述べたような、教科の評定の部分を俗に内申点と呼ぶわけです。
高校入試において、この内申点は大切なのでしょうか?
実は、地域によって違います。
先ほどの私の質問に対して
「自分は35だったよ」
とか思い出せれば、たぶんあなたの出身地は、内申点を重視する地域です。
逆に、覚えが無いなぁ、という場合は、あまり内申点が重要では無い地域だと推測できます。
中学校という記憶力がすさまじい時期に、内申点が人生を左右する数字だった場合、大人になっても思い出せるでしょうし
そうで無い場合は、忘却のかなただと言うことです。
ちなみに私は、あまり内申点を重視しない県の出身で
現在勤務している学校のある県は、内申点を重視します。
はじめて進路指導をした際は、とても戸惑いました。
さて、ここからが今日の本題ですが
この内申点が高校入試に影響するシステム、どう思います?
私はおかしいと思うんですよ。
だって、学校によってやってる授業は違うし、評価者(=授業者)は違うし、評価基準や評価規準も違うからです。
(あ、ちなみに評価基準と評価規準は別物です。タイプミスじゃないですよ。
業界人なら「モトジュン」「ノリジュン」などと発音して、区別しているかと思います。
超簡単に言うと、「何ができればいいの?」の設定が評価規準、「どれくらいできてればいいの?」が評価基準です。
もし読者の中に教員を目指す大学生がいれば、あとは自分で調べてください。
それ以外の方は、深く気にしなくて良いです。)
だから、A中学校における数学の4と、B中学校における数学の4では、微妙に価値が異なるのです。
(地域によっては、教育委員会が内申点に補正をかける場合もあるようですが、それはそれでどうなんだ、と思います)
特に問題になるのが、技能教科。
美術を例に話します。
学校によってそもそも何を制作するか違いますし
その制作にどれくらい時間をかけるのかも現場の教師の裁量です。
それに芸術ですからね、それを人間により評価するとなると微妙な部分もあります。
ある学校のある先生の元では5をとれる子でも、他の学校では5をとれないかも知れない。
そうゆう差異が生まれてしまうのは仕方が無いとして
それを高校入試で重視するっていうのはいかがなものか、というのが私の意見です。
保護者の通知表に対する姿勢にもこれはあらわれます。
内申点を重視しない県であれば、学校に「なぜうちの子の評定はこうなんだ!?」と説明を求める場合は少なく、
逆に重視する県ならば、多いでしょう。
そのような説明の要求があれば、学校には説明責任がありますから、担当教師は説明をしなければなりません。
場合によっては、保護者と学校または教師の間に軋轢を生んでしまうでしょう。
ちなみに匿名なのを良いことに、かなりぶっちゃけたことを書きましょう。
例えば、なにかいかがわしい動機で、特定の子の評価評定を良い方向に改ざんすることは可能でしょうか?
たまにドラマとか漫画とかで見られる、親から金品をもらって……とか女子生徒の色仕掛けに負けて……とか。
結論は、実は可能です。
可能と言っても、1程度の実力の子を3や4にすることは不可能ですが
例えば、3程度の実力の子を何か理由を付けて4にするくらいのことは可能です。
まず、評価評定はテストの結果のみで決まるものではありません。
よって、テスト以外の部分で肯定的な評価を紛れ込ませ、不正に評価評定をあげることは可能です。
実際、評価評定を決定する作業は、現場の教科担当によく言えば一任、悪く言えば丸投げですから
厳正なチェックがあるわけでもありません。
また、良い方向に傾いているのなら「なんでうちの子はこの評価評定なの!?」と言われることがありませんから
例えば生徒と教師の間に裏取引があったとしても、それが発覚する可能性はほとんど無いと言うことです。
親は「案外うちの子は頑張ったんだね」程度にしか思わないでしょうからね。
もちろん私はやってませんし、やっている同業者はいないと信じたいものですが
そのくらい評定というものは脆弱なものだと言うことです。
というわけで、内申点を入試に反映するなんて、やめちまえばいいんだ、というのが私の意見です。
もし、学力検査の一発勝負にするのは中学生には酷だ、と言うなら、大学入試のセンター試験のように
県統一の1次試験を行えば良いんですよ。
その結果を踏まえ、どこの高校に出願するかを検討しつつ、2次試験にむけて頑張れば良い。
もし、読んでくださった方の中に、中学生の子どもをお持ちの方がいらっしゃれば、この現状について、賛成または反対の意見を持って欲しいと思います。
そして、私と同じ反対の意見をお持ちの方がいれば、是非声を上げてください。
私のような現場の平教師が声をあげても状況が変わるわけないし、教育委員会の方から声が上がるとも思えません。
状況を変えうるのは、保護者の方の声のみだと思うのです。
内申と学力試験の両方を相関表を用いた判定なのである程度のブレは問題ありません。
内申を入試に入れないほうが問題だと思います。学力はよくても授業をさぼって、周りに悪影響になったら困るのです。秩序を保つためには重要です。
それに内申を高校入試に入れるのが反対という教師も正直に申し上げて信頼できません。そう言う教師は真面目に子供に向き合わず、学力を向上させることをしなかったり、評定を公平につけていない、説明責任も果たしていないような気がしますね。
お気持ちは承りました。
こちらの記事の内容に、私は全く同感です。
というのも、現在高校2年生の長男が、中学3年生のとき、一番大事な時期の通知表で美術の成績が4から3に落ちてしまったことがありました。
長男は中学入学してから、美術はずっと4をキープしていました。
中3になって、新しい美術の先生になってから3になりました。
先生によって評価の基準は変わるとは思いましたが、
この時、長男はペーパーテストは90点。提出物、授業態度、関心欲はA評価だったので、3は納得できないと思いました。
しかも、私たちの住んでいる区では、実技教科の評定を2倍して点数化することになっているので、4は8点、3は6点として加算されます。
また、公立高校入試の学力検査の得点と調査書点(内申点)の比率は7:3。
2点低くなることは、かなり入試にも響いてきます。
私は納得が出来なかったので、美術の先生に、
『今までずっと4だったのに、今回なぜ3になったのでしょうか…?』
と、聞いてみたところ、
『テストの点数も、授業態度、提出物も確かに良く出来ていますが、ちょっと絵の具の使い方が良くなくて…』
と、言われました。
(えっ!絵の具の使い方…?!😓)
と、思いましたが、
『本人なりに、頑張ってるところはあると思うのですが…そこは評価されないのですか』
と、伝えると、
『美術は作品を重視する科目で、その頑張りが作品には反映されていないので…』
と、言われてしまいました。
一体どれほど、長男の絵はひどかったのだろう…と学校まで見に行きましたが、決してそこまで酷くはなかったです。(文化祭に展示されていたので、いろんな保護者の方の意見も聞いて)
要は、長男の絵がその先生の感性に合わなかっただけ…?
しかも、
『4に限りなく近い3ですよ』
と言われたので、更に悔しく思いました…
ちなみにこの美術の先生の評定に納得できなくて、同ような問い合わせが何件もあったと聞きました。
実技教科をおろそかにしないための対策なのでしょうが、評定を2倍して点数化するのはやり過ぎな気がします😥
あと、これは大変失礼なのですが、実技教科の先生にはかなり個性的で偏った考えをお持ちの方が多いように思います。
現在中3の次男は、音楽の先生にどうも嫌われているらしく、提出物、テストの点数は良くても、関心欲についてはC評価で3が付けられました。
これは本当に正当な評価なのかな…?と、親子ともにモヤモヤしてしまいました。
先生も人間なので、気に入ってる生徒、気に入らない生徒もいるかと思います。
でも、評定にこのような私意が絡んでくるとすると、
『お前たちの人生は俺達が握ってるんだぞ』
と、脅されているような気にもなります。
中3になって、内申点を上げるために、ここぞとばかりに先生達にヘコヘコし出す生徒たちを見てると、正直複雑な思いです。
ちなみに長男は併願で受けた私立高校に特待生(入学金、授業料が3年間免除)として合格できたので、受ける予定だった公立の高校は受けませんでした。
私立高校では個別相談があり、例えば
中1~3年1学期までの通知表を提出。
五教科の内申換算が20以上。
(英検、漢検、数検3級取得するとプラス1点。)
外部模試の成績、偏差値66以上を3回分提出。
などで確約が取れ、子どもたちの実力を重視するのでそちらの方が公平、公正、健全なような気がしてならないです。
とはいえ、確かに、
『テストでいい点数さえ取れればいいんでしょ!』
と、上の方が仰っているように、授業態度を疎かにする生徒が現れてしまうのは、大変良くない事だと思います。
なのでここから先は、もう私の夢物語に近い提案なのですが、
5教科の評定は、『ぺーパーテスト、提出物』
実技教科の評定は、『作品の完成度、技能の到達度』のみ。
そして、通知表には
『授業態度・関心欲の総評』
という項目を作り、各教科担当の9人の先生それぞれが、1人の生徒の授業態度に付けた評価を合計し、9で割った数字を評定にするのはどうかなと…
そうすれば、より公平、公正な通知表になるのではないかな…と、思ってしまいました。
ただ、この提案を教育委員会に上げても、
『また1人バカなモンペが現れたな…』
と、思われて終了しそうな気もします😅
長文になってしまい、大変申し訳ありません💦
でも、内申について同じように疑問を感じている先生がいらっしゃることが分かり、とても嬉しかったです☺
やっぱり、そういうことありますよね。
教師といえども、所詮は地方公務員です。神様ではありません。
特に技能教科では、完璧にフェアな評価を行なうことは難しいと思っています。
保護者の立場からすれば、「ええー!?」ってなること、ありますよね。
ただし、私のような意見の人間は、教師の中では少数派だと思います。
この間、ある教員の会合に参加する機会がありました。
冒頭にお偉いさんが、挨拶で
「ある県議会議員が評定を入試に影響させるのはやめたほうがいいのでは、と議会で発言した。とんでもないことなのは教師なら分かるはずだ」
なんて言っていて
そこにいるみんながウンウンとうなずいていました。
そんななか私だけが、「その議員の名前教えてくれたら全力で応援するわ」って思ってました。
決して口には出しませんけどね。
私は臆病者なので、このような反体制的な発言は、匿名でしかしません。
評定を入試と無関係にすると、「テストでいい点数さえ取れればいいんでしょ!」となり、秩序が維持できなくなる……そんな懸念を言う人がいますが
私に言わせれば、生徒の進路を人質に取らないと維持できない秩序なんて価値がないです。
ちゃんと子どもと向き合えば、入試とは無関係に学級や授業は成立させられると思いますよ。
実際、多くの小学校の先生はそうですし、中1、中2だってそうでしょう。
(地域によっては、中1、中2の評定も入試に影響するところもあるようですが)
ですから、私は、学校の評定なんて、推薦入試だけで使えば良いと思っています。
最近はネットの力が強いですからね。
ネットニュースか何かでこういった話題が取り上げられて、問題提起されることを望みます。