
チュンサンはサンヒョクを別れた後、以前入院してい大学病院を訪れた。と言うのも、アメリカに帰国するにあたって、大学病院のカルテをもとにアメリカでも治療を行う予定だったからだった。医師はチュンサンにカルテを渡して必ずアメリカでも病院に行くよう勧めた。そこで、チュンサンは医師に自分の病気が完治するか尋ねた。すると、医師はとても言いにくそうに話した。
「それは、、、」
医師はチュンサンに座るように促し、彼の目を見ながら慎重に話した。
「正直言って残念ですが、完治は難しいと思われます。手術をしてもおそらく後遺症が残るでしょう。」

チュンサンは不安そうに言った。
「時々ぼんやりと目がかすむことがあるんです。これも症状なんでしょうか?」
実は事故後の検査でチュンサンは慢性硬膜下血腫の診断を受けていた。医師はその血腫が眼球を圧迫していること、それによって一刻も早く治療を受けなければ視力を失うと宣告した。そして最後に、
「前向きな気持ちで治療をすればきっと良い結果をむかえるでしょう」とさえ言ってくれた。しかし、チュンサンにとって、それは気休めにしかならなかった。医師の表情はこう言っていた。『これ以上治療を先延ばしにすると命にかかわりますよ』と。かれは、マルシアンに帰って医師の言葉を反芻した。
「一刻も早く手術を受けなければ視力を失うでしょう」

病院を出たところで、チュンサンは一つ大きくため息をついた。視力を失う?医師の言ったことが信じられなかった。もしそれが本当だとすれば、建築家として致命的なことだし、死刑宣告にも等しかった。彼は絶望の淵に立っていた。ともすれば身体も心も真っ暗な闇の中に落ちていきそうになる。本当に怖くて怖くてたまらなかった。しかし、チュンサンにはどうしてもやりたいことがあったのだ。視力を失うと言われても、いや視力を失うことが避けられないのなら、その前に絶対にやりたいことがあったのだ。彼はデスクにユジンからもらった不可能の家の模型を置いた。そしてスケッチ画を取り出して、何かを一心不乱に描き始めた。何時間も何時間もそうしていると、やがて目の前がかすみ始めるのが分かった。ああ、自分の病状は進行しているのだ、しかし、これだけは絶対にやり遂げなければならない、チュンサンは失明の恐怖と闘いながら一心不乱に作品を完成させるのだった。

どれくらい時間がたっただろうか。気が付くと窓からは光がさんさんと降り注いでおり、いつの間にか朝になっていた。そしてキム次長が笑顔でオフィスに入ってきた。
「おいおい理事、こんな朝早くにいるなんて。もしかし徹夜でもしたんですか?」
「はい、事情があったんです。」
「へぇ、これを描くために徹夜する必要があったのかい?」
チュンサンの机の上に並べられていたのはある建物の立体画で、様々な角度でスケッチをされていたが、キム次長にはそれが何なのかさっぱりわからなかった。
「そうなんです。今描いておかないと、もう描けなくなるかもしれないから。」チュンサンの目は久しぶりにキラキラと輝いており、まるでスキーリゾートのリノベーションをユジンと一緒にやり始めた時のように楽しそうだった。
「なんで描けなくなっちゃうんだよ?」キム次長は不思議そうに尋ねたが、チュンサンは答えもせず、黙々とスケッチ画を描き続けるのだった。
昼過ぎまで何かを描き終わった後、チュンサンは車でどこかに出かけて行った。チュンサンは運転中におもむろに電話を始めた。そして電話の相手はユジンだった。

ユジンはリビングに座ってぼんやりとしていたが、チュンサンからの電話だと気が付き、携帯を持つ手が震えた。
「ユジン、僕だ」
チュンサンと会ったのはそんなに前ではないのに、彼の声を聴くだけで心も震えた。
「チュンサン、、、」
「、、、電話して迷惑だったかな?」
「いいえ、、、そんなことないけど」
「話があるんだ。ちょっとだけ会えないかな?」
ユジンの心は完全にかき乱されていた。本当にチュンサンに会っていいのだろうか。今更会って、また心が揺らがないだろうか。そう思うと、すぐに返事ができなかった。
「ユジン?」
ユジンが反応しないため、不安そうなチュンサンの声が聞こえてきた。
「、、、ええ、チュンサン。いいわ。今から行くわね。」そういうと、ユジンはすぐに電話を切った。これ以上話していたら、心の動揺を悟られて、何を言い出すか自分でもわからないからだった。

そのあとすぐにユジンは洋服を着替えた。最近買ったばかりの、黒いリボンが映える白のトップスと黒のタイトスカートを選んだ。そして、鏡の前でリボンを直していると、ベッドに座ってそれを眺めていたチンスクがあきれた顔で言った。
「そんなにおしゃれしてどうするの?」
「そうよね。でも、きれいな姿を覚えていてほしいのよ。」
「でも、そんなの意味ないでしょ?」
あきれ顔のチンスクに、ユジンはほっと溜息をついて言った。
「行ってくるね」
背後でチンスクが深いため息をついているのが聞こえた。チンスクは私がチュンサンと会って傷つくのを心配しているのだろう。しかし、ユジンは行かなければならなかった。明後日にはチュンサンに黙ってフランスに出発するのだ。そして彼の前から永久に姿を消す。彼女にはこれがチュンサンと話す最後の機会になるとわかっていた。だからこそ、最後は一番きれいな姿で笑顔でお別れしたかった。ただそれだけだったのだ。こうしてユジンはチュンサンの待つカフェに向かった。