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最近また脚の痛みがひどく、痛み止めを飲んでも2時間も眠れない日が続いています。起きようとするときも、やはり激痛で身動きが取れない。
寝っ転がっても、座っても右脚の付け根の痛みがひどい。さらに季節の変わり目に来るアレルギーの鼻炎と喘息も併発。咳き込むごとに全身に痛みという痛みが来ていて、朝からメンランコリンなわけです。
痛み止めは、食後に飲まなければいけないとされていますが、もはやそんなことを言ってもいられず、いつも「痛い時」が服用のタイミングです。
そして薬が効くまでの2〜4時間、耐え難い苦痛と闘います。こういう時こそ「感情をニュートラルに」と思いますが、その力よりも痛みが圧倒的で、例えるなら竹ひご一本でライオンに挑むみたいなもので、本当に毎日が苦行です。
仕方ないので気分を変えるため、今日は思い切って、早朝からひとっ風呂浴びることにしました。明るいうちからというのが私にとっては「非日常」であり、「いつもの」入浴とは全く違うわけです。
何ならいつもは子供たちの身体を洗ってあげて、ろくにゆっくりできず完全に作業になってますので、無理にでもこのような時間は創る必要があります。
朝日を浴びなら入る湯船は、さながら露天風呂のよう。目を閉じて意識を遠くへ飛ばすと軽い瞑想状態へ入ります。そうこうしているうち痛み止めが効いてきて、ようやく「正常起動」できました。
早朝から突然家中に鳴り響く『人形の夢と目覚め』に「お風呂のシステムがバグったか」と驚く家人たちでしたが……
このように精神のコントロールとは本当に難しく、特に体調不良時には顕著で、本当に精神と一心同体であると自覚させられます。
全身の筋肉という筋肉が常に緊張状態で全く弛まないために、神経が過敏になり痛みを出していると主治医には言われていますので、治すには精神的な解放が必要になるということです。
しかし、そもそも幼少期から心が晴れたことなど一度もないわけで、晴れている状態というものを想像できていないのかもしれません。そんな時に、ふといつも思い浮かべる作品があります。
それが今日の一枚。アルブレヒト・デューラー作『メランコリア』1514年
私がこの絵と出会い、共感したのは大学の芸術学の講義でした。翼を持った天使がペンを持って何やら書いているが、頬杖をついて浮かない表情をしている。メランコリア(憂鬱気質)という題名ですが、その意味をWikipediaから引用します。
メランコリーは抑うつを示す状態でも特に重症のものを指してきた。四体液説における黒胆汁質のことを指し、「黒胆汁」という体液の多い人は憂鬱な気質になるとされた。メランコリーは、哲学用語として、憂鬱な精神状態と、それを引き起こす性格ないし身体的規定や存在論的規定を指す。
憂うつになりやすい体質や性格ということで、気をつけなければならないでしょう。一方でこの絵は霊感の訪れを待つ状態を描いているそうです。つまり書き手であれば必ず体験したことがあるであろう「降りてくる」状態を待っているわけです。
実際にメランコリーは肯定的に捉えられています。
『XXX, 1』と題された文章の断片には、憂うつ気質について、「聖なる狂気」(マニア)の出現の必須条件であるとし、哲学者・政治家・詩人・芸術家など偉大な人物の多くがなぜ憂鬱質であったかを説明している。
ルネサンス以後の中世ヨーロッパにおいては、憂鬱質(メランコリア)は芸術・創造の能力の根源をなす気質と位置づけし直され、芸術家や学者の肖像画や寓意画において盛んに描かれた。
つまり、作品を降ろしてくるような霊感を持つ者はメランコリーである、ということです。
このあたりは、大学の講義でも同じことを言っていた記憶があります。作家はそもそも憂うつ気質で、自分の置かれている世界に対して言いようのない不満や不安を抱えている。この不満や不安こそが、正に対するアンチテーゼとしての作品を生み出していく原動力になります。
現状に満足している、もしくは文句のない納得している状態では、物は書けない、というよりそもそも書こうと思わないでしょう。
いやいや、この感動体験を作品にしたい、作品を見てもらってカタルシスを感じてもらいたい、というポジティブな想いもあるんですが……とも思います。
しかし、何でそんな必要があるのかと突き詰めてみると、日々現実社会で疲れているので、感動することで明日への活力を見出したい、日常の喧騒から離れて非日常の世界に逃げ込みたい。普段から何か言いたい、聞いてもらいたいことがあるのに、こんなことまともに聞いてくれる人が周りにいない。
悪い言い方をすれば、いずれも現実世界からの逃避をしたいという想いから来ています。
「なぜディズニーランド(魔法の国)へ行くのか」
「なぜ人は旅に出るのか」
当然、現実から離れ「非日常」へ逃避したいからです。
「なぜこんな世界なんだろうか」と世界に疑問を持った時に初めて作品が生まれるわけで、世界に対してある程度憂うつである必要があるのでしょう。
つまり、物書きの方の多くがこのような性質を抱えている可能性が高いのです。逆に言えば、「憂うつ気質」というのはある種、作家にとっては武器でもあるわけです。
ビジネスを興そうという方々も、現実社会に対して「こんなサービスがあればもっと世の中が良くなるはず」という想いでやってこられているわけですから、これはやはり憂うつ気質をお持ちである可能性が高いでしょう。
物をゼロから生み出す者としては、この「諸刃の剣」とも言うべき気質は外せないのかもしれません。
さて、毒にも薬にもなるこのめんどくさい性質を抱えながら、引き寄せをどう活用していけるか。また新たな課題が見つかったような気がします。
ということでしばらくは引き寄せ習慣を維持しつつも、一旦離れて「マインドフルネス」について掘り下げて行った方が良いかもしれません。まずは心の勉強を重ねていきます。
それにしても、私にとっての引き寄せの法則は本当に回りくどくいですね。遠回りしていることは重々承知していますが、ここは憂うつ気質であると言う自覚を持って挑む他しかなさそうです。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。若干ネガティブな内容になったことをお詫び申し上げます🙇
いつもご訪問頂き、またリアクション、フォロー頂けることに感謝いたします。
そもそも、ネガティブもポジティブも両方あって初めて人間バランスが取れるそうなので、うまく付き合っていければいいですね。
そう言えば、作家で明るい顔をした人は少ないですね。作曲家も…。