飼い主は最期頑張ったし、フェレットも頑張った。
いくらやり切ったとしても、後悔がどうしても残る。
こればかりは私たちができるのは聞くだけで、本人が飲み込んでいくことになるだろう。
私が死んだと来たと感じたのは、訃報を聞いた翌日だった。
その時浮かんだの下記の文。
飼い主が言った最期も反映した。
なお、箱の中で丸くなるフェレットは生きているようだった。
トイレに起きた後、そのまま眠ったという――。
火葬場のお迎えは夏空の日。
× × ×
花火の音がする。
ボクはみたことないや。
横で仕事をしていたヒトが終えたから、トイレに連れて行ってもらい、そのまま寝床に入る。
ねぇねぇ、花火見に行こう?
これからでも――。
ねぇ、悲しむのは嬉しいけど、落ち込まないでね。
最初はきちんと薬を飲んでたけど、やめたいと思った。
それとごはんや水もいらないと思った。
先生は無理にでも飲ませろ、食べさせろって言ったけど、君が悩んでくれた。
ボクは旅に出る準備をしていたんだ。
だから、君は気に病むことはないんだよ。
ボクは毛玉二回あったり、足がおかしくなったりもしたし、気圧が辛いこともあった。
これから、それはないんだよ。
いっぱい世話してくれてありがとう。
時々ボクここにくるかもしれないけど、君は君でいいんだよ。
ああ、明日は雷雨だって。
天気崩れるから気圧が――でも、ボクには関係ないよ。
時々ボクと遊んでくれた人たちが来たよ。
じゃあ、ボク、皆と行くね。
おやすみ。
またね!
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