私が好きで応援して居る、青木志貴ちゃんです。彼女は声優で、モデルで、YouTuberです、、
この私のblogの写真を見て志貴くん、怒って居るかも知れないけど。私に取っては、君の写真を見る事が唯一の安らぎなんだよ。それだけ侘しいジイ様です。だから許してね、、、( ´ ▽ ` )、
【新商品レビュー】OSMO POCKETで撮影してみた!
コメント何でもいいので、書き込んで貰えると嬉しいです。励みになりますので宜しくね。
此処10年程、私は持病の障害が酷く、身体は薬物投与で醜く太り、毎日寝て居る。最近でも太っては居るが、以前ほどでは無いが84kgもある。そして入院を繰り返し、音楽処ではなかった。此処1年半程だ、また音楽を聴こうと思ったのは。15年前に入院した時にはipodとウォークマンを病院に持ち込んで居た。丁度15年程前だ。私はその頃は中古レコードを買い込んでコレクションに仕手居た。病院に入院する時に持って行ったiPodには、ブルースハープのCDを8枚ぐらい入れて、ウォークマンにはJazzとBluesのCDを入れて居た。ウォークマンはラジオも聴けた、だから病院ではラジオも聴いて居た。しかし今までblogに書いた通り、それ以降、私は調子が元に戻らず。ほぼ寝た切りの様な状態が続いた。そうだ、私はほぼ毎日寝て居た。15年前と言うと丁度HPのブームが去ってblogが出来始めた頃だ。私はハローのHPが閉鎖になって、このgooブログのメンバーになってblogを書き始めた。そして調子が悪いながらも、認知症の母の面倒を見て居た。忙しかった。
母は突違えた事を話し出し、私は母を連れて近所のクリニックに行った。そのクリニックの先生は母を見るなり「〇〇さん、すぐに施設に入れなさい。お母さんは重度の認知症ですよ。あなたが一緒に暮らして居るのだから、よく解るでしょう?こんな事を言うと失礼かも知れないけど、あなたも精神的な病がある。この侭一緒に暮らすと共倒れになるよ!!」と言った。先生は真剣だった。私は「でも姉弟が面倒を見ない」と言った。先生は池尻大橋の病院を紹介し、その病院の脳外科にすぐに連れて行く様にと言った。私は先ず、弟に連絡を入れた。弟は言った。「何でもかんでも俺の処に言って来るな!!」続けて姉さんに連絡を入れた。返事は「私はもう嫁いだ身よ!!連絡なんかして来ないでよ!!」私は仕方なく、母を池尻大橋の病院の脳外科に連れて行った。脳外科の先生はレントゲン室で撮ったレントゲンを見ながら、意図も簡単に母の認知症の事を説明した。「お母さんは認知症の状態が可也進んだアルツハイマー型認知症です。元には戻りません。薬で進行を遅らせる事は出来ますが、程無く何も解らなくなるでしょう」
私は「如何にも出来ないのですか?」と聞いた。すると医者は「このレントゲンをよく見て下さい。お母さんの脳は萎縮仕手仕舞って居ます。」と言って進行を遅らせる薬を処方して、「また、来週来て下さい。」と言った。それから私と母の二人三脚の病院通いが始まった。とても音楽処では無かった。何しろ寝て居ると、母が自分の部屋から叫んで呼んで居る。夜中の3時だ。私は急いで部屋に行くと、ベットから落っこちて居る母を見て言った。「身体痛くは無い?」すると母は「腰が痛い」と言う。困った私は「激痛なら救急車を呼ぶよ。どう?」と聞くと。病院に行きたいと言う。そんな事が週に3回は続いた。私は余りにも母がベットから落ちるので、その都度起こされる。一度滑り止めの柵を付けたが、それでも隙間からずり落ちた。だから最後には私はパジャマを着ずに洋服の侭で寝る様になって行った。母は毎回病院に運ばれる。ある時、ついに入院となった。私は救急車で搬送される間に弟と姉に連絡を入れた。弟にメールを入れると、すぐに「どこの病院」と聞いて来た。私は搬送された病院に着くと病院の名前を確認して連絡を入れた。弟は真夜中だが程なく来た。しかし姉は来なかった。
それから母は背骨を痛めて居るからと入院になり、私は母を入院させてから一度自宅に帰った。10時頃に来てくれと言う事だったので、仮眠を取った。朝の4時だった。10時になりタクシーで入院先の病院に行くと看護婦が待って居て入院の手続きをした。そして母が睡眠薬で眠らされて居る傍で椅子に腰を掛けて居たら。姉さんがやって来た。私は良かったこの入院許諾書は親族2人の許可が居るから「名前書いてくれない?」と言うと「い、や、だ!!」と言う。そしてすぐに「帰る!!」と言って帰ってしまった。私は姉さんの気性を知って居る。子供の頃から色々とある人だった。私が大学の頃に丁度、アラン・ドロンのインタビュー記事が「週間プレイボーイ」に乗って居たので、購入し、部屋でインタビュー記事を読んで其の儘ウトウトと眠って居たら、突然部屋にやって来て。私を叩き起こしてビンタをした人だ。そして言った「沼澤君はこんな本は読んで居ないよ!!バカヤロー!!」沼澤とは当時姉が付き合って居たボーイフレンドだった。誰が「週間プレイボーイ」をガールフレンドの目の前で読む?確かに女の裸の写真が載っては居るが、1970年代はこの他の例えば、「平凡パンチ」などもヌード写真は載って居た。
男の見る週刊誌には大抵ヌード写真か下着姿の女の子の写真は載って居たものだ。今は規制されて居ると見えて、一般の週刊誌にはヌードの写真は余り見掛けなくなったが。それに、よく姉は、私の処に来ては理由も無いのに私を引っ叩いたり殴ったりした。母に言うと「ごめんね、勘弁してあげてね」と言うだけだ。どうやら女性特有のモノの時に感情が高ぶるらしかった。私が小学生の頃、姉に陶器で出来た人形を、誕生日祝いに買って上げようとして、一緒に店まで行った事がある。姉が1時間ぐらい経っても決めかねて居るので、私は痺れを切らし、「もう、どれにするか決めてよ」と言ったら、姉は「うるさい!!」と言って私をどついた。私はバランスを崩して棚に寄り掛かりその反動で人形が2つ落ちて割れてしまった。私は店の主人に謝って、弁償すると言うと。店の主人は済まなさそうに「千円です。」と言った。私がその人形のお金を払ったので、私は人形はもう安いものしか買えなくなった。
今日の夕飯、、肉野菜炒め定食に冷奴です。。。
すると姉は、「お前が悪いから、、私は高い方が欲しかったのに買えなかっただろう!!バカヤロー!!」と言って私をなんと拳骨で殴った。そんな気性の人だ。私は看護婦から入院許可書には親族二人の署名が必要だからと念を押されていたので困り果てた。すると弟が勤務先の病院からやって来た。「兄ちゃん、心配になったから病院を抜け出してまた見に来た」と言うので、私は署名を頼んだのだった。そんな生活が続いた。私は母を連れて池尻大橋の脳外科に通い。診察をして貰い、薬剤所で薬が出来るまで、母と池尻大橋の書店と喫茶店に通う日々を過ごした。母はこの頃は少しおかしな事は言うが、大人しい方だった。私は母を連れて良く散歩に出かけた。或る日、隣町の古道具屋に行った時だ、何とエレキギターが置いてあった。私は懐かしくなり手に取って見て居たら、認知症の母が言った「買いなさい、買いなさい、、」私は苦笑いをして母に言った、「もう、エレキギターは弾かないよ」この頃になると母は金使いが悪くなって行った。
アルツハイマー型認知症と診断される少し前に、私は母を連れて母が好きなデパートの伊勢丹に言った時だ。いつの間にか母が居なくなったので、どこに行ったのかと思い探して居たら家具売り場に居て、何と、100万もするオルゴールを注文して仕舞ったのだ。私は吃驚したが、母は必死になってそのオルゴールは探して居たものだと店員に話して居る。私は母が可哀想になったので黙って居た。金は私持ちだ、私はこの頃はもう、働いては居なかった。私は持ち金を1千万程当時所有して居た。私は給料とボーナスは全て母に渡して居た。実家に住んでいるし、食費は親持ちだった。私が働いて居た頃には彼女が来てたまに料理を作ってくれた。そして母が認知症になる前、私が会社を辞めたら、お前、このお金は大切に持って居なさいと何と1千万円をくれた。だから私は母の買い物を黙って見て居た。母はオルゴールを購入すると、私のカードで今度は時計売り場に行き50万する英国製の記念時計を購入した。私はこの時も黙って居た。
後で実家に来た弟が「母さん!こんな高価なものを何時購入したんだ!お金どうしたの!!」と呆れて怒ったが。その二つの品は母と暮らして居て、私の病気が重くなり、私が訳が解らなくなり、部屋をめちゃくちゃにして倒れて居た後、病院に入院になって帰って来たら、もう両方共になくなって居た。多分姉が持って行ったのだろう。それから暫くして弟は心不全で自宅で倒れて亡くなってしまい。実家は姉が処分した。実家にはドレクセルの家具やら、セイコーの柱時計などの貴重な家具類もあったが、それも姉が処分したのだろう。どれもこれも母が大切にして居たものだった。母は今、姉夫婦が施設に入れて面倒を見て居る。最近、私は体調がまた悪くなった。倒れて意識がなくなり、また入院をした。貧血と肝蔵障害だった。出て来てから。6年振りに姉の家に電話を掛けた。
姉はよくこう言うことを言って居た「私はねぇ、、ママに恩義なんて何も持って居ないよ。私が結婚出来たのは私一人の力だよ!!」果たしてそうか、姉のフィアンセは毎日実家に来て、母がご馳走を、毎日沢山作って食べさした。そのお陰で嫁に行けたのだろう。結果、親父は御相伴をして居て糖尿病になってしまった。そして今はこう言うのだ。「あばあちゃんに幾ら掛かって居ると思うのよ!月40万だよ!!毎日旦那と喧嘩よ。電話は掛けて来ないでよ!!、」と。おそらく金の無心にでも掛けて来たと思ったのだろう。私が気落ちして居ると、姉は、「ケアマネジャーとか訪問看護婦が心配して居るよ。食事ぐらいちゃんと食べなさいよねぇ」そして続けて言った「あんた栄養失調よ!!」しかし的外れだ、私は栄養失調ではない。貧血と肝臓疾患で意識を失ったのだから、私は思った。仮に栄養失調だったら声の一つでも掛けたか。皆んな心配して居るとは言ったが自分が心配しているとは遂に言わなかった。私は最近も言われたが、ヘルパーやら訪問看護師に良く8年間も持ち金で来れた、お金持ちだとやっかまれて居る。
彼女らはほぼ30代だ。育児やら、何かで金が掛かる頃だ。しかし彼女らは高給を取って居る。皆、38万は給料を貰って居る。何遍も言うが、旦那の給料と併せて幾らになる。2人で少なくても70万にはなろう。私は金はあと、夏ぐらいまで暮らせるかどうかだ。だから生活保護に頼ろうとは思っては居るが、行政は冷たく生活保護を必要として居る人を突き放す。生活保護を受けに行った人が申請の用紙も貰えずに、餓死をする人も居ると言う。世の中は冷たい。行政は冷たいのです。私はあと6ヶ月後ぐらいに、もし生活保護が貰えなければ自殺をすると心に決めて居る。処でストリーミングも加入したし。今もこうやってblogを書いて居る間中、配信の音楽。主にRockとJazz、Bluesを聴いて居ます。私は要約、15年前の生活に戻れた見たいだ。今までにカセットテープやらレコードも購入した。6ヶ月後にどうなるかは別にして、さあ、夏ぐらいまでは、せめて楽しもうと思います。その後は・・・・・・。
〜〜懐かし 映画館・寺山修司「田園に死す」と勅使河原宏「砂の女」〜〜
『田園に死す』は1974年に寺山修司の監督により制作された長編映画。寺山の映画作品の中で代表的作品であり、寺山の幼少の頃を描いた半自伝的映画である。
青森、恐山、田園、因習、サーカス団、エロス、水子、イタコ、「母殺し」の思想、東京と青森、現在と過去などのイメージが混在してシュルレアリスティックに描かれる。
映画の前半では、「現在の私」が幼少の頃の話をそのまま事実として描くのではなく、美しく書き換えた自伝映画となって居る。たとえば、実際には村人から忌み嫌われ、間引きされた奇形の赤ちゃんは、健常な元気な赤ちゃんとして描かれる。また、実際には左翼の愛人の男と心中した隣の若い人妻は、母を捨てた「過去の私」とかけおちする話となっている。映画後半パートの冒頭で、本当の少年時代の暗い真実が語られ、「現在の私」が幼少の頃の話を美化することに悩む。「過去」を書く対象化にしたとたんに、厚化粧した過去になると。
もし、過去、原体験を書く対象にしなければ真実の過去としてしまって置けたかも知れないと言う。それに対して映画評論家は、過去を虚構化することで作者は過去から自由になれる。過去は首輪みたいなもので、人間は記憶から解放されない限り自由になれない。記憶を自由に編集できれなければ本物の芸術家と言えないと「現在の私」を諭す。最後に映画評論家は、私に「もし、君がタイムマシーンに乗って数百年をさかのぼり、君の三代前のおばあさんを殺したとしたら、現在の君はいなくなると思うか」と尋ねる。そして「現在の私」は過去へ戻り、母親を殺せば現在の自分がどうなるのかを知るためにやって来る。しかし結局、虚構の世界でも母親を殺すことが出来ず、母親という呪縛を背負ったまま、現在の私の場所が交差する場所(新宿の交差点)がシュルレアリスティックに描かれて映画は終わる。
また、寺山修司の歌集『田園に死す』の短歌を主人公が詠うシーンが随所で挿入される。詩と映像が一体化した作品ともなって居る。
①大工町寺町米町仏町老母買ふ町あらずやつばめよ
②新しき仏壇買いに行きしまま行方不明のおとうとと鳥
③ほどかれて少女の髪に結ばれし葬儀の花の花言葉かな
④亡き母の真っ赤な櫛を埋めに行く恐山には風吹くばかり
⑤針箱に針老ゆるなりわれとわが母との仲を縫い閉じもせず
⑥たった一つの嫁入り道具の仏壇を義眼のうつるまで磨くなり
⑦濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ
⑧見るために両瞼をふかく裂かむとす剃刀の刃に地平をうつし
⑨とんびの子なけよ下北かねたたき姥捨て以前の母眠らしむ
⑩かくれんぼ鬼のままにて老いたれば誰をさがしにくる村祭り
⑪亡き父の位牌の裏のわが指紋さみしくほぐれゆく夜ならむ
⑫吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
⑬売りにゆく柱時計がふいになる横抱きにして枯野ゆくとき
勅使河原宏は、父蒼風が草月流を創流した年に、長男として生まれました。はじめ画家を志し、東京美術学校(現東京芸術大学)日本画科に入学します。戦後になると、前衛芸術運動に身を投じ、岡本太郎を通じて、安部公房らの「世紀」の会に参加します。
その後、映画の道に進み、1953年第一作『北斎』を制作。安部公房の原作を続けて映画化し、1964年の『砂の女』では、カンヌ映画祭審査員特別賞を受賞、国際的な名声を獲得しました。一方で、草月アートセンターのディレクターとして、現代音楽、ジャズ、モダンダンス、実験映画など、海外や国内の芸術家が交流する場を生み出します。
戦後日本のアヴァンギャルド運動を先導したふたりの芸術家、安部公房と勅使河原宏。彼らは原作者と監督という枠を超えた野心的なコラボレーションを展開し、映画界に 一大センセーションを巻き起こしました。安部公房の奇想天外な発想、勅使河原宏の 創造感覚の素晴らしさ。そして気鋭のアーティストたちによる新鮮な試みの数々。刺激に満ちた映画体験が此処にあります──。
1964年に公開された映画「砂の女」。安部公房の同名長編小説を勅使河原宏監督により映画化したこの作品は、カンヌ国際映画祭審査員特別賞をはじめ国外の多くの映画賞を受賞しました。
それもそのはず、この作品では安部公房の原作そのままあの心理的恐怖に満ちた「砂の世界」が非常に忠実に映像化されて居ます。脚本を安部公房自身が手がけて居るのもひとつの要因ではありますが、「砂の女」を演じた岸田今日子の存在感と武満徹による不気味な音楽、そして勅使河原宏による芸術的なカットの数々が、原作を凌ぐほどの芸術作品へと本作を昇華させて居ます。
【予告篇】砂の女(1964)
あらすじ。
海辺の砂丘に新種の昆虫採集にやってきたひとりの男。日暮れ前、宿を探す男に村人は部落の家に泊まるよう勧める。そこは砂丘を深く掘り下げた大きな穴の中にある一軒の家だった。村人に言われるまま縄梯子で降り家に入ると、そこには夫と娘を亡くしたひとりの女が住んでいた。一夜を過ごし翌朝再び昆虫採集に出ようとした男は、縄梯子が外されている事に気づく。砂かきをしなければ生きて行けないこの部落では男手が不足し、男は罠にはめられてその家に閉じ込められたのだった。あらゆる手段で何度も脱出を試みるも、砂の持つ恐るべき習性に成す術をなくす男。それでも何とか工夫し、ようやく穴から抜け出すが、村人に追われ砂丘の沼地で命を落としそうになる。村人たちによって沼から引き上げられ再び砂穴の女の家に戻された男は、諦め半分で過ごすうち次第に砂穴の暮らしに順応しはじめる。やがて男は砂地に溜池装置を作り日々観察を続け、ようやく成功しかけた時、女が子宮外妊娠のため砂穴から吊り上げられ病院に運ばれてしまう。女を運び出した村人たちが慌しく去った後、縄梯子が残されて居る事に男は気づくが、溜池装置の研究結果を部落の人々に伝えたい気持ちが先に立ち、自ら砂の家に戻るのだった。
何よりスタイリッシュで芸術的なカットに注目です。美しい砂の流れや砂丘、男が採集する昆虫たちなどを引きで寄りで捉えたのショットの数々。判子のコラージュ映像や鬼面のショットの挿入で和のオカルト感も醸し出しております。それらの映像と武満徹の手がける和楽器の不気味な音楽があまりにもマッチしております。
砂の家でのシーンで岸田今日子演じる砂の女を非常にエロティックな目線で撮っているシーンがとても良いです。身体にまとわりつく砂粒の不快感と、水が無くなって行く中で心と身体の凄まじい渇きを映し出すシーンに置いてもまた芸術的なカットにより男が追い詰められていく様が描かれます。
男に対し罪悪感を感じつつも、どうしてもそばにいて欲しいと願う哀しい砂の女を見事に演じた岸田今日子がとにかくすばらしいです。
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1970年代ロックです。聴いてくださいね。。。
The Jimi Hendrix Experience - Foxey Lady (Miami Pop 1968)
MOVE OVER by Janis Joplin
Deep Purple "Hush" from Playboy After Dark
Mountain - Mississippi Queen live @ Randall's Island N.Y 1970
The Allman Brothers Band - One Way Out - At Fillmore East 1971 (HQ)
Led Zeppelin - FULL Heartbreaker - Madison Square Garden 1973
Focus - Hocus Pocus
URIAH HEEP JULY MORNING 1972
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今日は、1日、昼まで寝て居ました。朝方、寒くて一度目が覚めましたが、何故、こんなに寒いんだろうと思ってエアコンのランプをふと見たら、作動中だったので慌ててスイッチを切ろうとしてリモコンを探すも、無いのでおかしく思い、待てよと布団の自分の寝ている下を見たら、体の下に入り込んで居たのでした。それでスイッチが入って冷房になって仕舞ったのだろう・・・・。私はエアコンのリモコンやらスマホやら良く部屋の中で無くすのです。すぐに見当たら無くなる。この間も、去年の夏頃に作ったサングラス・メガネがどこを探しても無い。もしや、取られたのではと思い。出掛けた時の事を思い出して見たが、確かにケースの中に収めて鞄の中に入れた迄は覚えて居る。しかし鞄を幾ら確かめても中には無いのです。以前サングラス・メガネは取られた事がある。なのでそれ以来、慎重に扱って居るが無いのだ。私のはサングラスでは無い。メガネ機能もあるのです。サングラスなら数千円だが、私のものは度付きのサングラスだ。4万8千円はして居る。
そして探す事1時間、もう無くしたのか取られたのだなと思い鞄をふと見てみたら、鞄の脇のポケットに入って居た。こんだけ探して解らなかったのかと思ったら。情け無く成って来た。痴呆には成りたく無い。それから、昨日の夜9時半ごろ、地域の保健センターから電話が掛かって来た。何だろうと思い出て見たら。期限が切れると思って、自立支援の更新書と一緒に「障害者福祉手帳」を送ったのだが、どうやら期限が2月まではあると言う。「書類の控えと共に送り返したいがどんなものか?」と言うのだ。だから「そうして下さい」と言ったが。何故かモゴモゴして居る。話を良く良く聞いたら「通常の郵送では送れないので取りに来てくれ」と言うのだ。私は「それは出来ないから何とか成らないか」と言うと「定期郵便では送れないので、返しの封筒に180円切手2枚貼って送ってくれたので、あと250円如何にかしたいのだけども」と言うので、「判りました。切手250円分送りますよ」と言って電話を切ったが、
役所だ。融通が利かない。そのまま書類の控えと共に送り返してくれれば良い物を。そして何気にパソコンのメールチェックをして居たら。「TSUTAYA」からメールが届いて居る。何だと思い読んで見たら、TSUTAYAから借りたCDを来た封筒に入れて送り返したのだが、ボブ・ディランの2枚組のCDとジョン・レノンのCD1枚の内、ボブ・ディランのCDが1枚入って無かったと言うのだ。私は、「待てよ!!」と思い、ステレオのカセットデッキのCDトレイを見てみたら、中に入って居たのだ。「しまった!」と思い。メールを入れて「すぐに送り返す」と言ったのだが。切手が無いのだ。郵便局は最早閉まって居るし・・・コンビニに行って聞いてみたら、切手は扱って居ると言う。助かったと思い。82円切手を10枚ほど欲しいと言うが、生憎4枚しか無い。それで100円切手2枚と82円切手4枚と62円切手1枚を購入して。封筒を100円ショップに行って購入して来て。それに切手250円分を入れて保健センターの宛名を書き。
封筒にCDを紙で包んで入れて、ツタヤの私書箱を書き。切手を貼って昨日の夜にポストに出して来た。そしてテレビを付けて、ケーブルTVを写して観て居たら。ミュージック・エアで「Led・Zeppelln」のドキュメントを流して居たので、2時間ほど観て居たが時間を見ると12時を回って居て、眠くなって来たので、TVを消して寝たのだが。今日は昼まで起きられなかったのです。しかし、ロバートプラントは頭が良いんですね。彼のインタビューの話を聞いてそう思った。私はロックのボーカリストでは彼が特に好きです。知的で居て、歌が上手く。彼は色々な音楽を聴いて居て、それを吸収して居る。今は歳を取って仕舞って、若い頃のようなカリスマ性を持ったスタイルでは無いが。歌声は衰えては居ない。年はもう70歳を超えるだろうけど。私はいまだに彼が好きです。若い頃は彼の髪型に大いに触発されて居た。長髪にパーマと言うのは。彼からの影響です(笑)
Jimmy Page, Robert Plant - Babe I'm Gonna Leave You (Live)
Led Zeppelin - All Of My Love
Led Zeppelin - You Shook Me (Official Audio)
ペイジ&プラント ニュースステーション
Robert Plant David Letterman 1993 (29 Palms)
Robert Plant - Robert Plant: Ramble On ft. Robert Plant, Patty Griffin, Buddy Miller
ACT-K 精神疾患 訪問型サービス
同じこと、違うこと 精神障がい「症状と生活を知る」
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ジャズの聴き方
ジャズの聴き方と言っても自由に聴けばいいんですが、やっぱりジャズはとっつきにくいと思います。名盤と言われてるアルバムを手に入れて聴いては見た物の、「なんだかな~」と聴くのを辞めてしまう事があるかも知れません...
なんともったいない!
そこで、どうすればジャズを好きになるのか?考えて見ました。
先入観をなくす
音楽だけに言える事ではありませんが、先入観はなるべく無い状態で聴いた方がいいでしょう。
音楽の場合だと、ミュージシャンの名前も曲名も知らない状態で聴くと言う事になります。
実際、クラシックの曲の多くは「交響曲第何番」「ピアノ協奏曲第何番」というように番号で管理されています。「運命」とか「田園」と言ったものは、後で付けられたものです。全く余計な事をするもんですね。そう言ったものは、売るためにやってる事なので無視するに限ります。同じ理由で、ライブやコンサートでは曲を演奏した後で曲名を紹介するのが普通です。
さらっと聴く
ジャズはしっかり聴かないとダメだ、見たいに思ってる人いるかも知れませんが、私は必ずしもそうでは無いと思います。まずは、他のジャンルの音楽と同じ様な聴き方を敢えてするべきだと考えます。普通の聴き方をした時の判断を大切にしたいからです。聴き手が常に積極的に聴いてくれるという前提で音楽を作るアーチストは傲慢なのでは?とまで思ってます。とにかく、ながらでいいので流してみましょう。じっくり聴くのはその後です。
何を聴く?
私が新しい音楽を探す時に一番参考になったのは、音楽好きの意見です。どこぞのサイトとかジャズの専門雑誌とか、そう言うのもありますが、それを書いてる人には利害関係があるはずです。ジャズに限らず音楽好きは結構居ます。そう言う人が利害を取り除いて本当に好きだ、と言うものは大抵当たりです。
何をしながら聴くのか?
仕事や勉強だとあまり意識が音楽に行かないでしょう。音楽が仕事や勉強の効率を上げるという説が昔はありましたが、今は否定されています。通勤、通学中にヘッドホンで聴くのは余りお薦め出来ません。トランペットやシンバルの高音域は激しく音が漏れます。また電車の騒音はウッドベースの音をかき消してしまいます。お奨めは食事中、洗いもの等の簡単な作業中です。音楽に集中できます。
プレイリスト
アルバム単位をお薦めします。別テイクがあるものは再生しない方が良いです。
オーディオ
オーディオはちょっと注意があります。ウッドベースは小さなスピーカーだと鳴らないので、ジャズは他のジャンルと比べてスピーカーの口径の大きなものが必要になります。しかしそんなに高いものは必要ないと思います。
まじめに聴かなくてよい
とくに自分から能動的に聴こうと努力する必要はありません。音楽が流れているBGM状態をなるべく作るようにする、と言うのが重要です。でないと忙しい人は音楽を聴く時間を作れないでしょう。要するに、ジャズも他のジャンルと同じように聴いて良い訳で、最初から熱心に聴く必要はありません。
繰り返し聴く…ただし1日1回
1週間くらい毎日流してみましょう。ただし1日に1回しか聴いてはいけません。同じ音楽を同じ日に繰り返し聴くのは禁止です。どんなに心地良くてもリピートしてはいけません。また明日のお楽しみ、という訳です。同じ日の2回目以降はどうしても良さが落ちるからです。
好き嫌いの判断
ジャズに限った事ではありませんが、長く聴けるホンモノの良い音楽は、ある程度難しさがあります。第1印象が余り良くない事は良くある事です。しかしこれはジャズに限らず新しいモノに出会った時の普通の反応なので、それで判断して仕舞わない様に注意が必要です。なのでまずは10回ぐらい、つまり10日ぐらいはBGM的に流して聴いて見ましょう。
それでも好きになれない事はあると思います。名盤中の名盤でも、これのどこが名盤なのか…と。しかし、そんな場合でも1カ月後、1年後に好きになる事があります。私は何度もそんな体験をして居ます。人間も音楽も第1印象ほど当てにならないものはありません。その好き嫌いの要因は色々あると思います。曲や構成、アレンジ、演奏者など…。例えば、ある曲が好きにレコードなれなかったとしても、他のアーチストが演奏して居るのを聴いてその曲を好きになる事もあります。あるアーティストの印象が良く無くても、他のアーチストと絡んだ時に好きになる事もあります。
とにかく、性急に好き嫌いの判断を下す必要はありません。
ちなみに昔…1980年代、90年代はCDやレコードが高かったので、好きにならないと勿体ない、という感情が強く作用したと思います。だから、あまり印象が良くなくても「なぜこれが良いのか?」と考えつつ聴いたりして、それが自分の音楽の幅を広げてくれました。近頃はどんどんCDやらレコード、ダウンロード音源の価格が下がって、簡単に音楽が手に入る様になりました。そうなるとジャズの様なとっつきにくい音楽は、聴かれなくなる傾向があるのでは無いかと危惧します。
此の様に、まじめに聴かない変わりに聴く回数でシリアスなジャズのとっつき難さを乗り切るわけです。
理解と好み
色々な良い音楽に出会うと、どんどん音楽の幅が広がっていきます。音楽に限らず、絵画、小説、映画などの芸術、芸能、また料理でも同じ事ですが、良いものを知ることで豊かになっていきます。自分が今まで知らなかった、聴いたことが無かったよい音楽ほど価値があります。しかし今まで体験したことが無いモノほど、とっつきにくいはずです。これは繰り返し聴くことで慣れてしまう場合が多いです。
それとは別に、色んな人に勧められた名盤とされるものなのに、何回聴いても好きになれない場合もあるでしょう。それは好みかもしれません。自分が良い作品を理解できないのか、あるいは単に好みなのか、この判断は難しいと思います。
こう言った理由からも、好き、嫌いの判断は慎重にした方が良いでしょう。
此処で油井正一さん(ジャズ評論界の草分けにして第一人者)の言葉を拝借しましょう。
「良く聞く言葉に「ジャズは本質的に楽しい音楽だ。だから楽しくないのは良いジャズではない」と言うのがある。「楽しさ」と言う言葉の解釈が難しい処だが、手拍子足拍子で唱和するような楽しさを、良いジャズと悪いジャズの判定尺度に使ってはならない。立派なジャズの中には、そういう楽しさを持つものも一杯あるが、ジャズの歴史を揺るがすようなエポック・メーキングなアルバムは殆ど例外なく、そのような楽しさを持ち合わせては居ない。ジャズはその意味で非常にシリアスな音楽なのである」
『油井正一のベーシック・コレクション126 ジャズ名盤物語』より
Archie Shepp Alone Together
Thelonius Monk and the Giants of Jazz 1971 Round Midnight
"Lover Man"Sonny Stitt,Walter Bishop,Tommy Potter,Kenny Clarke.