寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

レコード......。

 

Guard You / MIYAVI

 

 

体調が悪く伏せって居て、今度こそ書く事が無いので、1年前の過去記事の再録です。また読んで見てやって下さいね。多少手直しはして降りますので宜しく。毎回、苦労してあげて居ます。コメント何でも良いので頂けると励みになるので宜しくね。また、次回は何時記事が書けるかわかりません、今まで毎回そう言いながら上げて来ましたが、調子が悪すぎます。もし上げたとしてもまた過去記事からでしょうと思います。私の記事は長いので、今回は第一部と第二部に分けてありますので。一度に読めない方は分けて読んでみて下さいね。ですので宜しくお願い致します。。。

 

 

 

 

 

進藤郁子さんのインスタグラム写真 - (進藤郁子Instagram)「マキアージュの新しい広告でました💕 この潤ちゃん好きだなあ。 . 汐留で写メ。 ヘア担当しました。 hair by  me. . photo📷 @yusukemiyazaki  stylist👗 @stylist_dodochiharu  make💄#shiomimukai  hair💇‍♀️#ikukoshindo @ikukoshindo  #マキアージュ#資生堂#長谷川潤 @liveglenwood」2月24日 19時18分 - ikukoshindo

 

 

 

もし昭和の美人女優たちが同じ年齢のまま現代にタイムスリップしてきたら、どんな姿なのでしょう。昭和の美人女優たちを「今っぽく」してみた動画が話題になっています。

動画に登場する女優は、原節子、高峰秀子、若山セツ子、山本富士子、八千草薫、岡田茉莉子、南田洋子、若尾文子、司葉子、デヴィ夫人、岩下志麻、加賀まりこ、吉永小百合、ひし美ゆり子。

昔の写真でも十分綺麗ですが、もし現在若者だったらこんな風に見えるのですね。

動画には「むしろ今の芸能人達よりも美人」「今の人も可愛いけど、前の人はほんんんっとにきれい」「やっぱり美人はいつの時代も美人」などのコメントが寄せられています。

 

昭和の美人女優を今っぽくしてみました #1

昭和の美人女優を今っぽくしてみました #2

 

 

【猫と赤ちゃん】赤ちゃんと添い寝し、赤ちゃんをあやす猫に胸キュン!ほっこり動画まとめ【可愛い】Sweet cat and baby compilation

 

 

 

 

「第一部」.....。

===「レコードの思い出」===

 

なんか、、調子が悪いと老けて見えるなぁ......。

 

 

 

「第二部」.....。

----「レコード店の紹介」------

年下の知り合いが好きなCD屋はタワーレコードだ。そしてディスクユニオンを悪く言う。タワーレコードは新しいし古ぼけて居ないと言う。果たしてそうか?「タワーレコード」も「 HMV」も最早古く成った。まあ、タワーレコードは品揃えではこの店に敵うCDショップはないだろうし、最近に成ってアナログ館を作った。

新宿駅直結のフラッグス内にあるTOWER VINYL SHINJUKU(タワーヴァイナルシンジュク)は、売り場面積約170坪。クラシックを除く全ジャンルを扱い、在庫数は約7万枚(うち中古レコード約4万枚)を取り揃える。解放感溢れるガラス張りの店内には、大型のヴィンテージスピーカーを設置。「アナログ・サウンドを聴きながら買い物を楽しめる」として居る。

中古レコード・CDを扱って居る。ディスクユニオンに対抗するつもりなのか。。。

オープン当時(1981年)のタワーレコード

TOWER RECORDS 渋谷店(80年代)
 
その後“渋谷の音楽”の象徴的なエリアのひとつになっていく「宇田川町のレコード街」の一角に、輸入版の専門店としてタワーレコード渋谷店はオープンした。
オープン当時の新聞記事
 
国内における大型輸入レコード店の先駆けとして日本進出、オープン当時は音楽業界に衝撃が走った。そして音楽ファンたちが最新の洋楽に触れるための環境も変化していく。タワーレコードの渋谷店、店長に聞いた。
ーーーーーー
――80年代の音楽業界はどう変わっていったんでしょうか。
 
タワーレコードなどの様な大型輸入レコード店が増えていくのと当時に、テレビでMTVが放映されるようになった。そこはリンクして居たと思います。新しい欧米のヒット曲のMVがテレビで流れて、それが流れた頃にはもう店頭でレコードが買えると言う。
僕が少年時代を過ごした60年代にはそう言う事はあり得なかった。アメリカでヒットした音楽が日本で聴けるように成るのは早くて3ヶ月後でした。
 
――MTVがスタートしたのは81年。80年代中盤には地上波でも番組が放送されて、マイケル・ジャクソンなどのアメリカのヒット曲がそのまま日本のお茶の間に届いていた時代でした。
 
僕は長崎が地元だったので、それまでもFEN(米軍極東放送網。1945年から在日米軍向けに放送されていたラジオ局)でリアルタイムでアメリカのヒットソングを聴いていましたが、そう言う事が出来るのは限られた人でした。下手したら日本ではレコードが手に入らない事もありました。
 
―― 60年代や70年代のアメリカのポップスは限られた人だけがアクセス出来るものだった訳ですね。しかし80年代、MTVと大型輸入レコード店が出来た事で、それが大衆化した。
 
そうですね。ただ、パイドパイパーハウスはそうじゃない処に行こうとしました。 それこそマイケルとかマドンナとか、そう言ったものはどの店にも大量に置いてある訳ですね。パイドでも初回はある程度並べるのですが、品切れになっても必死で補充することはしませんでした。
 
値段も大型店には適いませんし、それよりも僕らが好きな音楽、たとえばヴァン・ダイク・パークスとか、ドクター・ジョンとか、ローラ・ニーロとか、ジョニ・ミッチェルとか、ホーギー・カーマイケルとか、そういうものの在庫を切らさない様にして居ました。
 
――当時のパイドパイパーハウスはマニアックな場所だったと思いますか?
 
両面があったと思います。店に入って正面には売れ線のものも並べてある。ただ、一段奥に行くと別世界なんですね。そこに“趣味趣味音楽”というコーナーがあって、ほとんどラジオやテレビで流れないものを置いて居た。
でも、店でそれを掛けて居ると「これ、なんですか?」と聞いて買っていくお客さんが居るんです。高校生の様な若い子でもそう言う人が居ましたね。
長門芳郎
 

渋谷系のルーツは何か

――80年代中盤は、アメリカのヒット曲がMTVで日本に届く一方、イギリスでさまざまなインディーレーベルが勃興する時代だったと思います。
 
僕らはむしろそっちの方をプッシュして居ましたね。80年代のイギリスからはニューウェーブやネオアコが出て来て、「やっと出て来たな」という感じでした。音楽もお洒落だし、アートワークやデザインもレトロな感じだけど新鮮さがある。小西くんや信藤(三雄)さん、橋本徹くんもそのあたりに注目して居ました。
 
――そういったインディーポップを愛好する音楽好きが、渋谷に集って居た様な実感はありましたか。
 
ありましたね。 ちょっと遠回りしてパイドパイパーハウスによってみんな渋谷に集まる見たいな感じでした。
あとは桑原茂一くんがやっていた原宿のピテカントロプスとかにもよく行っていた。世代は少し違うんですけれど、茂一くんや、藤原ヒロシくん、橋本徹くん、小西康陽くん、インク・スティックの松山勲さんたちはみんな同じ時期にパイドパイパーハウスに来てましたね。
 
――90年代にかけての時代の変化についてはどう見ていましたか?
 
僕はパイドパイパーハウスをやりつつ会社を作って、海外のアーティストのコンサートを主催して居たんです。で、よく覚えて居る事があるんですけれど、89年にやったダン・ヒックスのコンサートに、小西くんや、フリッパーズ・ギターの二人や、ロッテンハッツや、その後90年代に活躍する若いミュージシャンたちが、みんな客席に居たんです。
 
――当時はまだデビュー前の人も多かったですよね。
 
そうですね。パイドパイパーハウスが閉店する日の夜に田島(貴男)くんがギターを抱えて「夜をぶっとばせ」を歌ってくれた時のことも鮮明に覚えてますね。店内にあった木の切り株のスツールの上で、ギターをかき鳴らしていた。彼も含めて、ダン・ヒックスやフィービ・スノウを観に来ていた若者たちが活躍していくようになって、何時の間にか、その辺の人たちを指して「渋谷系」と呼ぶ動きが出て来る様になったんです。
 
――80年代のパイドパイパーハウスから90年代の渋谷系は地続きでつながって居る訳ですね。
 
そうかも知れませんね。ピチカート・ファイヴが海外に進出してからは、海外のメディアからそう言う取材を受けた事もありました。
長門芳郎
 

タワーレコード渋谷店は天国のような場所

―― 改めて80年代の渋谷と音楽を振り返って、どう言う時代だったと捉えて居ますか?
 
やっぱりレコード・ショップ、CDショップが沢山できた時代でしたね。渋谷に行けば事足りる様になった。
これは海外のアーティストに取ってもそうです。僕が招聘して来日したミュージシャンが「レコードを探したいからホテルは渋谷にしてくれ」と言う様な事もあった。
世界的にもあんなにレコード・ショップが何十軒も並んでいる街はなかったんです。
あと、その後90年代になると、バート・バカラックやA&Mサウンズのような、日本で言うソフト・ロック、海外で言うイージー・リスニングの人気が出てくるんですが、大胆に言えば、その大元になったのは80年代に出た一枚のレコードだったのかも知れない。
 
――というと?
 
87年に日本だけで出たロジャー・ニコルス&スモール・サークル・オブ・フレンズのCD再発がなかったら、ひょっとしたら違って居たかも知れないと思う事もありますね。68年に出て、その後廃盤になって居たんですが、パイドパイパーハウスではカット盤を1000円前後で売っていて、それをミュージシャンや音楽関係者達がみんな買って居ました。アメリカ本国でもヨーロッパでも全く知られて居なかった一枚のレコードが再発されて、その嗜好や音楽性が、渋谷系のムーブメントを経て海外のマニアにも注目される様になった。
 
―― 過去の名盤を新しい感性で蘇らせる。そういう感性が渋谷系の基盤になったと言う事でしょうか。
 
ソフトロックだけじゃなく、モンドやラウンジ・ミュージックもありました。イタリアの映画音楽のようなマニアックな音源も若い人たちの間で聴かれた。そういう音楽を愛好する人たちが渋谷に点在するレコード屋に通って居た訳ですね。
 
――そう考えると、若い人が昔の音楽を掘り返すようなムーブメントこそ、80年代に生まれたカルチャーだったと言えるかも知れません。
 
そうですね。それが渋谷系の源流になったのかも知れない。大学生をはじめ、音楽家の卵たちが渋谷の中古盤店やタワー・レコードにリイシュー・コーナー目当てに通っていた時代でした。当時、来日したアメリカのミュージシャンを連れて、渋谷のタワーに行ったんですが、再発盤やイージー・リスニングのコーナーに若者が沢山居て驚いてました。アメリカだと昔を懐かしむ年寄りばかりなのにって。
 
――そういった趣向性は一時のブームではなく今も定着して居ると思いますか?
 
そうですね。今もそれは続いて居ます。去年からはタワーレコード渋谷店の中でパイドパイパーハウスをやって居るので、店に居ると判るんです。
若い女の子がアナログを熱心に見て買っていく。それに、毎日数十人の海外のお客さんがやって来るんです。そういう人たちが沢山のアナログレコードやカセット、日本でしか出ていない再発CDを買っていく。
洋楽だけでなく、はっぴいえんど、ピチカート・ファイヴ、山下達郎、坂本龍一のような日本の音楽も買っていく。タワーレコード渋谷店は天国のような場所なんでしょうね。いろんな国の言葉が飛び交っていますよ。
 

コメント一覧

kiyasume
9月9日は重陽の節句でしたか、、重陽の節句の起源は、他の節句同様中国にさかのぼることが出来るそうですね。

中国では奇数は縁起のよい陽の日とされ、3月3日、7月7日など奇数が重なる日を幸多い日と考えられたそうですね。
中でも一番大きい陽の数である9が重なる9月9日を「重陽」と呼び、「菊の節句」として伝わりました。

中国では、菊はすぐれた薬効をもつ植物として古くから知られ、4世紀に記された書物には菊が群生している谷を下ってきた水を飲んだ村人たちが長寿になったという「菊水伝説」が登場します。

菊のエッセンスをふくんだ水を飲むと健康で長寿になれる・・そのような重陽節(重陽の節句)における菊の薬効と伝説は、海を渡って日本の平安貴族にもたらされ季節の行事の中へと定着していったのだそうですね。

そんな日に私はblogをアップしたのですね.......。

昭和の美人を今風にした映像は面白かったですよね。
皆んな今風なキュートな美人になって居ましたよね。

そうですか、iinnaさんも過去記事を今日に移動させて居たのですね。
偶然でしょうか・・・・・・。書き込み有難う御座いました。

また来て下さいね。宜しく。。。。。
iinna
した9月9日といえば、重陽の節句した。

それにしても、なんとも長い長~い内容でした。
重陽ですから、重ね重ねなタイムリーといえます。

昭和の美人女優をよみがえらす手法に目を惹きました。
当方も、むかしの記事を今日12日に移動させてのでした。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/25174e19e2468d4011d98982a013771e
kiyasume
rikimarumama2007さん、コメントどうも、、、

あれ、猫って赤ん坊が人間の子供だと言う事を、
飼い主が産んだ赤ん坊だと言う事を、、
ちゃんと分かって居るんですよね。

最初の猫なんかまるで子守ですよね・・・・・・。

私も昔猫飼って居ましたが、なんかその猫は人間の言葉を
話そうとして居て、一生懸命に人の話し方みたいな発音に
チャレンジして居ましたよ。可愛かったですよ、、、、

まあ、死んで仕舞いましたが・・・・・・・・・。

私は今度、記事はなかなか書けないと思うので、、
良かったら、また読みに来て下さいね。
宜しくお願いします.......。

また来て下さいね。。。。
rikimarumama2007
ごめんなさい
私はb猫ちゃんの子守が可愛くてほっこりしました。
kiyasume
まあ、今の栄養の行き届いた女の子と比べたら、、
昔の女の人は体型は発育は悪く古風でしたでしょうね。

谷口監督と言ったら、谷口千吉監督の事ですよね、、
若山セツ子さんとは25歳ぐらいの歳の差
結婚だったとか聞きましたが、、、

その前にも結婚して居たし・・・・・。

女性関係が悪いので東宝から干されて居た
時期もあったとか聞きました。

まあ、映画は私も「銀嶺の果て」」と「宮本武蔵」は持って居ました。
レーザーディスクでしたが、、「銀嶺の果て」は黒澤明の脚本でしたよね。
「宮本武蔵は」「samurai」と言うタイトルでアメリカのクライテリオン
盤で売って居まして。確か日本では「東宝娯楽部」と言う会員制の
通販のビデオでしか購入出来なかったと思います・・・・・・・・。

だから私はアメリカのクライテリオン版の「samurai」3部作を購入して
所有して居ました。まあ此の時の主役は三船敏郎でしたが、、
すぐ後に中村錦之助の東映の「宮本武蔵」五部作が出来まして、

今は谷口版の「宮本武蔵は」処分してしまい。中村錦之助の「宮本武蔵」の
矢張りこれもアメリカ盤のDVDBOXを所有して居ます。
なぜなら日本盤で最近までDVDが発売されて居なかったからです。

アメリカ盤は何も言葉が英語では無く。英語字幕が入るだけなので、、
日本人は普通に楽しめるんですよ。リージョンコードの問題で日本のDVDプレイヤーでは再生出来ませんが。最近ではアマゾンなどで向こうのDVDが再生出来るDVDプレーヤーが売って居ます。

私も一台所有して居ます。値段は5千円ぐらいなんですよ.....。
まあ、谷口監督は可也な好色家だったんでしょうねぇ、、
褒められたものでは無いですよ。ろくでも無い。
でもまあ、作品はいいですけど・・・・・・・・


レコード店は今や大手の中古レコード店しか残って居ませんね。
でも品揃えは凄いですよ。私もこないだ行った時には
6枚も購入して仕舞いました。一枚800円ぐらいからありますから。
安いんですよ。ずいぶんと。まあ、中古と言う事もあるけど、、、


また来て下さいね。宜しく.....。
masamikeitas
kiyasume さん,おはようございます。

 昔の美人は顔は良いですが、スタイルはそれほどでもないですね。
若山セツ子さんは、可愛かったです。
それ以上に可愛いのは八千草薫さん。
谷口監督は、若山セツ子さんから、八千草薫さんに乗り換えました。
若山セツ子さんは、それもあって精神に支障をきたし、早く亡くなりました。
美人薄命の代表かな?

レコード店でも生き残っているところがありますね。
専門のレコード店が生き残っているのかな?
kiyasume
yokohanagokoroさん、コメント有難う御座います。。。
いやぁ〜〜。今回のは殆んど過去記事からですので、、
私は一部、手直しと冒頭の映像を付け加えただけです。

しかし昭和の美人女優を今風にする画像は面白かったですよね。
皆さん、今風にすると、どこかキュートで可愛くなって居て、、、

美人は何時の世でも美人ですよね・・・・・・。

体調の方はおかげさまで病状は消えて居るのですが、、
薬を結構飲まなければならず、、、
その薬の副作用で起きてられないんですよ。
まあ、辛いですが、持病ですので仕方が無いですね。

心配して頂いて有難う御座いました。
また、来て下さいね。。。。。
yokohanagokoro
おはようございます

体調はあまり良くないとのことですが、
これだけの長文を書けるのですから、
大したものですね!
今日も全部読めませんでした。

興味深い所をピックアップ!
昔の美人を今風にすると〜が面白かったです。
皆さん、魅力的な方ばかりでしたね!
意外にも、今風でも違和感なく見られました。最後の一枚が面白かった!

勝手な事ばかり書きました。

体調も、少し落ち着くといいですね!
お大事に…
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