昔、実家に山田太郎と言う学生が下宿をして居た。まあ随分と変わって居た学生だった。彼は仙台から東京の高千穂商科大学に入学して来た。そして親から、大学4年間の生活費として150万円を渡されて居た。或日、彼から声を掛けられた。何処か「ステレオが安く買える店」を紹介して貰いたいと言うのだ。私は彼を隣町の大きな質屋に連れて行った。質流の3万円ぐらいのモジュラーステレオが、その質屋では2万円ぐらいで売って居たからだ。私はそれを見せて音を聴かせて「此れがいいでしょ」と言った。しかし彼はその隣の8千円の安いスピーカーが2つ付いては居るステレオの、ダミー見たいな蓄音器がいいと言い出した。私は音を聴かせて、それはステレオでは無いから此方の2万円の方がステレオで低音も出るからと言ったが。彼は「こっちでいい」と言う事を聞かずに、その8千円の単なるレコードプレイヤーを購入して仕舞った。音楽的な素養が丸で無かったのだ。彼は暫くそのレコードプレイヤーでロックのシングル盤を聴いて居たが。すぐに飽きた見たいで、そのうちに聴かなくなって仕舞った。彼の部屋を見せて貰うと本棚が置いてあり。何だか「ジュニア偉人列伝」と言う本が並んで居た中学生が読む本だった。彼は下半身がだらしがなかった。いつもパンツにウンチを付けて居た。そして母に「これ洗って」と持って来た。母は嫌々ながら洗ってやって居た。ある日、彼はインキンタムシに罹った。彼の部屋には私が食事を運ぶので、ドアなんかを触らなければならない。私はそのせいで、見事、移されて感染して仕舞った。
この当時。薬局に行けばインキン治療薬はマセトローションと言うものが売っては居たのだが。私は近所の豊南病院で見て貰った。先生はすぐに塗り薬を捏ね始めた。1970年代初頭、当時は今見たく、薬が薬剤所で製薬会社のものが渡される事は無かった。皆、その医院で漢方の薬を擦りあわし、作ったものを患者に処方して居たからだ。私は彼と共にその漢方薬で要約治療した。ちなみに山田太郎は身長が148センチしか無かった。そして太って居たその体型からか、私の家に下宿して居た早稲田の学生のいいおもちゃにされて居た。彼を揶揄うと本気になって怒るので、いじめやすいのだ。彼はよく、その早稲田の学生から、いじめられて居た。そして何時も目に一杯の涙を湛えて「くそ!くそ!」と泣いて居た。当時は私は中学生だった。前にも書いた様に、私は私で悪ガキ3人組に学校の帰りに家まで来られて、ほとほと嫌になって居た頃だった。そして私が悪ガキ3人組と玄関先で話して居ると。山田太郎はドタドタドタと階段を途中まで降りて来て。私たちが彼を見ると何と彼はまたドタドタドタと階段を駆け上がって自分の部屋に帰って仕舞うのだった。彼は母の事を下宿屋のおばさんと慕って居た。ズボンを買って来ると裾上げをして貰ったりして居た。今、思うに私の母親は下宿で忙しくて、私の状態など何にも解っては居なかったのだろう。
私が学校から帰って来るとあの3バカトリオは必ず私に遊ぼうと言って来た。ある時など、サッカーをしたいと言うので。私は大切な音楽番組「ザ・ロック」などが夕方から放映されるので。そのテレビの音声を、ラジカセで録音しようとして居ると、やって来られるのが殆嫌だった。だから私が持って居るサッカーボールを貸すから勝手にやって居ろと渡して居た。するとあの悪バカ3人組は人のサッカーボールで遊んで居た。その頃だった。山田太郎は早稲田の学生と泣きながら取っ組み合いの喧嘩をし出した。早稲田の学生は、はっきり言って格好が不細工な彼をバカにして。いい様におもちゃにして遊んで居たのだ。彼は泣き叫びながら言って居た「僕はちゃんと成績とって居るんだぞ、オール優だぞ!!」すると早稲田の学生がこう言う「大学の成績なんて誰でもオール優は取れるぞ!!何そんなことで威張って居るんだ!!」と言われて。何時も彼は頭に来て取っ組み合いの喧嘩をして居た。そして最後は泣いて母の元に来て母に慰めて貰うのだった。月日が経ってそんな学生連中は大学を卒業して居なくなった。皆んな世話を掛けて行ったけど。働く様になってからも母に手紙を寄越してくれたのはその出来が悪かった山田太郎、ただ一人だった。彼は地元で水道屋を営み可愛い可憐な女の子と結婚した。記念写真が送られて来て、「何だ〜、凄いな〜!」と思った程だ。他の学生たちは皆母に世話になったはずだ。しかし彼以外は年賀状一枚も遣さなかった。バカだチョンだと言われて居ても、最終的にどうにかなれたのだから立派なものですよ。彼はね・・・・・・。
もう2年程前の事だ。ある若い訪問看護師の女の子が来て居た。彼女はパンク・ロックが好きだった。私は今、流行りのパンク・ロックは好きでは無い。私はそんな彼女にハーモニカを吹いて聴かせた。するとその子は、何を思ったか「バンドだ〜〜!!」と叫んだ。私は何を突然言うのだ?と思って唖然として居た。「何時からハーモニカ吹いてるんだ」と聴かれたから「僕は此処26年間ぐらい吹いては居なかったんだよ」と言うと「ボク〜〜!!」と人をバカにし出した。私は何だか程度の低いバカな子だなと思って居た。その子は私がハーモニカを吹いて居る時によく来た。そして何時も言う事は決まって居た。毎回「バンドだ〜〜!!」と叫ぶのだ、「若い頃は、何処で吹いて居た。練習は何処でして居た。」としつこく聞くので「ああ、僕は軽音楽部に居たからね」と言うと今度は「軽音楽部〜〜!!」とまたバカにするのだ。そしてある日こう言い出した。「何でバンドで吹かないの?」そしてこうも言った「ギター置いてないの?何処にあるの??」だから言った「僕はね、バンドは封印したんだよ。僕が演奏して居たのは、今からほぼ40年ぐらい前だよ。」すると黙って居る。そしてこう言った「何だ教えて貰おうと思って居たのに・・・。」「君、歳幾つ?」と聞いたら「20歳」と言うのだ。今時の20歳はこうも幼稚か?と思って居ると、今度はこう私に聞き出した。
「髪の毛、若い頃どれだけ長かったの?」だから言った「肩ぐらいまでだよ。」と言うと今度はこう言って来る。「な〜〜んだ。腰までじゃ無いのか?」私は呆れて仕舞った。その子はよく私の処に来る様になった。そしてパンク・ロックの最新鋭のバンドの事を言っては、私に勝ったと喜んで居る。私は彼女に訊いて見た。「ブルースは聴かないの?」するとこう言い切った。「ブルースは魂の叫びだよ!!」私は、あれ?この言葉は何処かで訊いた事が有るなと思って居たら。Apple Musicの音楽の分類欄に出て来る言葉だった。その女の子は黒人のブルースなどは聴いた事が無いのだ。だからデルタブルースのロバートジョンソンを教えた。「この人はあのエリック・クラプトンが影響を受けて居るよ」そう言ったら、名前をメモして居た。そして、このバンドは日本の昔のバンドだが皆んなが知って居るバンドだからと思い。CDで所有して居る「ブルース・クリエイション」知らない人が居たら御免なさい。竹田和夫と言うギタリストが1970年の初頭に作った。ブルージーなハードロックバンドです。そのCDから或日「原爆落とし」と言う曲を聴いて居たらやって来て「これ日本人のバンド?」と聞く。私があの竹田和夫のバンドだよと言うと。「竹田和夫???」知らないのか黙って聴いて居る。
Blues Creation - Atomic Bombs Away (Japan Heavy Psych 1971)
Blues Creation - Demon & Eleven Children (Japan Heavy Psych 1971)
そして「こんなバンドなんて知らない...。」と言う。だから「今から50年ぐらい前のバンドの音源だから、君が知らないのは無理ないよ」と言った。するとこう言った。「へぇ〜今から50年も前のロックバンドなの?」だから言った。「君が生まれる30年前だね。」すると黙って居て、今度はこう言い出した。「デビット・ボウイ知ってる?」だから「知ってるよ。ジギースターダストだとか有名だよね。」だから私は「この子なら丁度姪っ子と歳が近いよなぁ。」と思い。シンガーソング・ライターで作曲家の姪っ子の作った曲を聴かせた。すると彼女は自分の知って居るだけのパンク・ロックのバンド名を並べて、あのバンドにも、このバンドにも似て居ると言い始めた。私は苦笑して言った「そう聞こえるの?」何だが話して来て言いたいが。若い事はいい事だが。絶対的に知識量が足りない。まあ、私もクラシックなどは殆んど盲目だから人の事は何も言えないが。少なくともいいものは解るつもりだ。だから最後に桑名正博とファニーカンパニーの「スイートホーム大阪」と甲斐バンドの「裏切りの街角」のレコードを聴かせてみた。どちらも1970年代に活躍したバンドだ。。。
David Bowie - Ziggy Stardust (From The Motion Picture)
スウィートホーム大阪 ファニー・カンパニー(Early Version from 1st LP「FUNNY COMPANY」
裏切りの街角 甲斐よしひろ
そうしたら黙って居た。。。
私は特にこの甲斐バンドの「裏切りの街角」が好きだ。小説の様な歌詞が良いからだ。。。
このバンドの後ぐらいだ桑田佳祐のサザンオールスターズが出て来たのは・・・・・。
勝手にシンドバッド サザンオールスターズ
いとしのエリー
桑田佳祐 – 東京(Full ver.)
まあ、話がずれたけど・・・・・。
或日、私がグリムスパンキーの曲を聴いて居たらその子がやって来て言った。「この連中はkiyasumeさんの子供の歳ですよぉ〜〜!!」そんな事は知って居る。歳取って居たって、若者の音楽で良いものでも、いいと思うのは有るだろ普通は?何にも、解って居ないのですよ。大体がこのblogを読んで居る人も、どれくらいの人が、私の話をきちんと読んで居てくれて居るのだろうか?私は構わずに彼らの曲と山下達郎の「硝子の少年」を聴いた・・・・。それから子連れ狼の「ててご橋」を聴いた。するとその子は、「何でそんなに色々と聴いてるのよ〜〜!!」と訝しがった。
GLIM SPANKY「ダミーロックとブルース」
山下達郎 「硝子の少年 」
バーブ佐竹「ててご橋」
まあ、知らないのだから仕方がないが、何でも一元的に考えるのは良くないですよ。多角的に見ないとね。其れから、その子は、私の計画表に「kiyasumeさんは憂さ晴らしとして、ブルースをブルースハープで吹いて叫んで居る!!」と書いた???。そして看護ステーションを辞めて行った。まあ、若さが露呈して仕舞ったんでしょうね。ロック好きも良いが。彼女見たく頑ななのは困りますよね。もっとフランクじゃないとね・・・・・。そんな思い出です.....。処で今日、若い訪問看護師が一人やって来た。半年振りだ。玄関を開けて一眼見て愕然とした。物凄く痩せて居るのだ。「私は痩せたね・・・。」と言ったら。「解りますか?16kgは痩せたんです、」と言って居た。その子は前は太って居たが、ちょっと痩せすぎだ。腕なんか以前の3分1に成ってしまって居た。もっと痩せたいと言いたそうだったから「君、そのぐらいで辞めて置いた方がいいよ」と言ったら。キョトンとして居たが。見た処あまりに痩せ過ぎだ。私も昨日、病院だったが主治医が私を見て一言言った。「なんか太って居ない?」だから私が、「ええ、最近、物凄く太りましたよ?」と言ったら。「それ太るのは、薬のせいだから太る薬を2錠外すから」と要約、太る薬を外してくれた。前に、私が幾ら外してくれと言っても外さなかったが、、余程に、私が太って仕舞ったのだろう、、此れで痩せれば良いのだが、、痩せたと言えば、一昨日美容室に行って、美容師の、みどりちゃんの腕を見たら、この子も痩せギスなので吃驚してしまった。最近の女の子たちは痩せすぎだ。。。。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
終わりに山崎ハコの「硝子のピノキオ」を聴いて下さい。。。
Hako Yamasaki (山崎ハコ) - 硝子のピノキオ
今回は短いですが此処までです。読んでくれて有難う御座いました、、