私は学生時代、家業を継ぐことは毛頭考えていなくて、将来はコンピューター革命がやって来ると推察し「電気メーカーN社」に就職しましたが、結局一人っ子の私は、父が経営難で苦しんでいる姿に耐えられず家業を継いだのです。商品の配送や回収が今のように全国規模の運送会社やクレジット会社が無い時代でしたから再建には物凄く苦労しました。
父が無口な人でしたから、私は悩み毎日父と喧嘩、それも罵る位激しいものでした。昭和48年頃から急速に新時代の足音が聞こえ出し、流通や回収業務がスムースに行くようになりました。
社業も飛躍的に躍進出来るようになりかけた矢先昭和52年、父は帰らぬ人となりました。54歳、私が30歳の時です。私は「父を死に追いやったのは私ではないのか」と悔いたものです。
父の跡を継いで悩みながらも、当時は中国地方の「とある一企業」でしたが、商品開発が次々と成功し、曲がりなりにも全国展開することが出来、販売網を拡げることが出来ました。しかし45年間、歌詞に書いたように父には「ゴメンナサイ」「あなたは偉大でした」といった言葉を言えず心の中に絶えず後悔の念がありました。
今回BSHNK放送で見た、ケビン・コスナー主演の「フィールド・オブ・ドリームス」の内容が(失ったものたちは帰ってくるという父の思い出)映画でしたので、突然詩が舞い降りました。今の私の気持ちを素直に「作詞」することが出来たと思います。
You Tubeのお友達であるこういんさんに依頼しましたが快く引き受けて下さり、作曲して下さって嬉しかったです。感謝の気持ちしかありません。こういんさんはハーモニカとギター演奏の調べでソフトに優しく歌ってくださりました。「フィールド・オブ・ドリームス」に通じるような懐かしさを感じる曲となりました。
それではお聞きください。
板谷こういん「 偉大な父へ 」オリジナル曲(ギター弾き語り)
「偉大な父へ」
作詞kencyan 作曲板谷好員 演奏こういん 唄こういん
1
謝っても遅いけど
どうしても「ごめんね」と言いたい
あなたは偉大でした
今でも尊敬しています
2
あなたは無口だから
何も示唆してくれなかった
それが歯がゆくて
随分悩みました
3
人の背中を見て
学べと言われましたが
毎日喧嘩しては
母を泣かせました
4
あなたの偉大さは
私が一番知っています
無(ゼロ)からあそこまで
大きな会社を作りました
5
今は感謝しています
父と母の子供であったこと
親父 ありがとうと
大きな声で叫びたいです
親父 ありがとうと
大きな声で叫びたいです
「こういんチャンネル」
https://www.youtube.com/channel/UCzn-yQV1QS-3Cc24hWb3mDA
「こういんさん語る」
kenちゃんから、作曲のご依頼を頂きましたので、作曲させて頂きました。 この詩は、私の亡き父に通づるものがありましたので、亡き父を思い浮かべながら、歌ってみました。 私の父は職人でした。 そして私は、その仕事を継ぎました。 よく叱られました。 でも、父にはとても感謝しています。 皆さんもどうぞ、お父様を思い浮かべて聴いてみて下さい。 いつもありがとうございます。
コメント一覧
最新の画像もっと見る
最近の「オリジナルな作詞活動」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事