高遠城址公園とは
武田信玄の五男仁科五郎盛信が織田信長の長男信忠と戦い、壮絶な死を遂げた高遠城は、明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。また、秋にはタカトオコヒガンザクラ独特のほとんど紅葉せずに落葉した公園に、およそ250本のカエデがきれいに色づき紅葉が楽しめます。
公園内には、国の登録有形文化財の指定を受けた高遠閣や城下から移築された問屋門、太鼓櫓、新城藤原神社のほか、高遠公園碑、無字の碑、靖国招魂碑などの碑文等、古きを偲ぶ歴史的資料がたくさんあります。
11月10日「紅葉シリーズ」最後の撮影と思い行って来ました。
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「錦繍の秋」と良く言われますし、聞きますよね。調べて見ました。
「錦繍」とは色鮮やかで美しい 立派な織物や衣服のこと。 美しい紅葉や花のたとえにも 用いられると書いてありました。全くその通りでした。
上田城址、小諸城址、千ケ滝温泉、遊歩道、トンボの湯、湯川渓流、雲場池等のどこの紅葉とも違っていました。
綺麗ですが、綺麗と言う表現もちょっと違っていました。とにかく「美しい」の一言です。
紅葉の周りに緑の木、針葉樹が全くなくてもみじだけが赤く紅葉しているのです。
不思議な光景でした。
約1500本以上のタカトオコヒガンザクラ独特の紅葉せずに落葉した城址公園に、250本のカエデがきれいに色づき紅葉している様は今でも江戸時代の趣を感じました。
そこにお武家さんが登場しても違和感や不思議感は全くありません。
1600年代~1800年代の時間が流れているような錯覚を覚えました。
またこの高遠城は歌舞伎で有名な、大奥の年寄り「江島」が流刑された場所であり「絵島囲み屋敷」なるものも「歴史博物館」に展示されているそうです。
「江島生島物語」参照
https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=900
表現の言葉を探すのが難しいほど、「美しい紅葉」を堪能することが出来ました。
改めて写真を一枚一枚見ていると余韻が身体全体を包んでくれています。
写真1
写真2
口語短歌「高遠閣 もみじ儚し 往年の 夢はまぼろし つわものはいずこ」
写真3
写真4
口語短歌「錦繍の もみじ舞い散る 高遠の えも美しき もみじ1本」
写真5
写真6
写真7
写真8
写真9
口語短歌「問屋門 当時を忍ぶ 武家屋敷 儚きもみじ ひとひら舞い散る」
写真10
口語短歌「江島の 遠い流刑地 高遠で 囲み屋敷に もみじ葉ひとつ」
写真11
写真12
写真13
口語短歌「高遠の 深まりゆく秋 誘われて 美しく我 迎えるもみじ」
写真14
写真15
口語短歌「タカトオの カエデ綺麗に 色づいて もみじの色香 昔を忍ぶ」
写真16
写真17
写真18
口語短歌「もみじばの くれないもみじ 高遠の 命儚し 赤くもっと咲け」
写真19
写真20
写真21
口語短歌「タカトオの コヒガンザクラ 落葉し モミジ色づき 季節を愛でる」
写真22
写真23
写真24
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