JR富山駅の北側(県庁や百貨店などは南側)は、工場が集中していて、これまで賑わいはあまりありませんでしたが、富山県美術館が2017年に移転してくるなど、一般の観光客などにも近年、注目されつつあります。
駅北口の観光面での目玉が富山駅から歩15分ほどの所にある「富岩(ふがん)運河還水公園」です。「世界一美しい」と称された「スターバックス還水公園店」なども出店、人気スポットになっています。
(2019年12月下旬に撮影したクリスマスイルミネーションの富岩運河。中央の橋は天門橋。右手にスターバックス店が見える)
同公園を富山駅北口から富山湾に向かって、富岩運河(ふがんうんが)が整備され、観光客向けの船が運航しています。
この運河についての紹介記事は改めて書いてみたいと思いますが、今回は運河と遊歩道の境に並べてある黒い球についてです。ボウリング場で使う玉を数倍大きくしたサイズと言ったらいいでしょうか。
観光船ガイドの説明によると、太平洋戦争末期にこのあたりに落ちたパンプキン爆弾を模したものだとのこと。パンプキン爆弾とは、広島、長崎原子爆弾の投下訓練用として開発されたもので、形がカボチャ(英語でパンプキン)に似ていることからその名が付きました。
富山市に投下された同爆弾は4個(日本全体では計49個)だとされていますが、そのすべてが、この運河近くにあった3つの工場を狙って落とされました。1940年7月20日(投下1回目)のことです。
(富岩運河の観光船と、岸辺に並ぶ黒い「パンプキン」)
当時のことについは、朝日新聞(2020年5月31日<富山県版>)に、「射水市大島絵本館」の立野幸雄館長が詳しく書いていますので、それをベースに以下、記します。
狙われた工場は、不二越の東岩瀬工場(現・東富山製鋼所)、昭和電工(旧・日満アルミニウム)、日本曹達でした。
しかし、すべてが目標を外れました。米軍は7月26日に再度、6機編成で飛来しましたが、天候の関係で1発のみ投下して引き揚げました。この6機の中には、広島原爆のエノラ・ゲイ、長崎原爆のボックスカーが含まれていました。
◇
「このあたりまでカモは来ますか?」
筆者が運河の写真を撮っていたら、遊歩道を通りかかった一人の老人から声を掛けられました。もの静かで、思慮深そうな口調でした。
渡り鳥のカモは、運河の中央あたりで群れを作っていました。カモの写真ではなくて、パンプキン爆弾のモニュメントを撮っている旨伝えると、その方は、近くの橋を指して「あれが下新橋で、模擬爆弾はあそこの工場の近くに落ち…」と橋の名や工場名をすらすらと語り出したのです。
恐らく、富山空襲を調査・研究されたことがあったのでしょう。お名前は聞きませんでしたが、年齢を問うと86歳とのこと。90歳くらいに見えました。
「戦時中、富山駅前にチャーチルやルーズベルトの顔が描かれていて、それを学校の先生などが踏めと言っていたので踏みましたよ。その大きさ? うーん、幅は2㍍ほどもあったかなあ……」とのことでした。
富山駅前の路上に戦争中描かれていたチャーチルなどの顔については、富山空襲を記録した本などには書かれていますが、実際にそれを見て、足で踏んだという人に会ったのは初めてでした。
今年(2021年)12月は、太平洋戦争開戦からちょうど80年になります。
(以上)