庭木師は見た!~ガーディナー&フォトグラファー~

庭木師が剪定中に見たあれこれ。

-いざ、富山“足湯県”へ-富岩運河のパンプキン爆弾

2021-12-15 07:41:46 | 旅行

 JR富山駅の北側(県庁や百貨店などは南側)は、工場が集中していて、これまで賑わいはあまりありませんでしたが、富山県美術館が2017年に移転してくるなど、一般の観光客などにも近年、注目されつつあります。

 駅北口の観光面での目玉が富山駅から歩15分ほどの所にある「富岩(ふがん)運河還水公園」です。「世界一美しい」と称された「スターバックス還水公園店」なども出店、人気スポットになっています。

        

(2019年12月下旬に撮影したクリスマスイルミネーションの富岩運河。中央の橋は天門橋。右手にスターバックス店が見える)

 同公園を富山駅北口から富山湾に向かって、富岩運河(ふがんうんが)が整備され、観光客向けの船が運航しています。

 この運河についての紹介記事は改めて書いてみたいと思いますが、今回は運河と遊歩道の境に並べてある黒い球についてです。ボウリング場で使う玉を数倍大きくしたサイズと言ったらいいでしょうか。

 観光船ガイドの説明によると、太平洋戦争末期にこのあたりに落ちたパンプキン爆を模したものだとのこと。パンプキン爆弾とは、広島、長崎原子爆弾の投下訓練用として開発されたもので、形がカボチャ(英語でパンプキン)に似ていることからその名が付きました。

 富山市に投下された同爆弾は4個(日本全体では計49個)だとされていますが、そのすべてが、この運河近くにあった3つの工場を狙って落とされました。1940年7月20日(投下1回目)のことです。

       

       (富岩運河の観光船と、岸辺に並ぶ黒い「パンプキン」)

 当時のことについは、朝日新聞(2020年5月31日<富山県版>)に、「射水市大島絵本館」の立野幸雄館長が詳しく書いていますので、それをベースに以下、記します。

 狙われた工場は、不二越の東岩瀬工場(現・東富山製鋼所)、昭和電工(旧・日満アルミニウム)、日本曹達でした。

 しかし、すべてが目標を外れました。米軍は7月26日に再度、6機編成で飛来しましたが、天候の関係で1発のみ投下して引き揚げました。この6機の中には、広島原爆のエノラ・ゲイ、長崎原爆のボックスカーが含まれていました。

                  ◇

 「このあたりまでカモは来ますか?」

 筆者が運河の写真を撮っていたら、遊歩道を通りかかった一人の老人から声を掛けられました。もの静かで、思慮深そうな口調でした。

 渡り鳥のカモは、運河の中央あたりで群れを作っていました。カモの写真ではなくて、パンプキン爆弾のモニュメントを撮っている旨伝えると、その方は、近くの橋を指して「あれが下新橋で、模擬爆弾はあそこの工場の近くに落ち…」と橋の名や工場名をすらすらと語り出したのです。

 恐らく、富山空襲を調査・研究されたことがあったのでしょう。お名前は聞きませんでしたが、年齢を問うと86歳とのこと。90歳くらいに見えました。

「戦時中、富山駅前にチャーチルやルーズベルトの顔が描かれていて、それを学校の先生などが踏めと言っていたので踏みましたよ。その大きさ? うーん、幅は2㍍ほどもあったかなあ……」とのことでした。

 富山駅前の路上に戦争中描かれていたチャーチルなどの顔については、富山空襲を記録した本などには書かれていますが、実際にそれを見て、足で踏んだという人に会ったのは初めてでした。 

  今年(2021年)12月は、太平洋戦争開戦からちょうど80年になります。

                              (以上)

 


-いざ、富山“足湯県”へ-慶大卒の富山ルーツ女性2人

2021-12-12 02:07:16 | 旅行

 タイトルを「慶応大学卒の富山ルーツ女性2人」としましたが、ここでは、絵本の翻訳家・福本友美子さんと、エッセイストで2018年に『ただの文士~父、堀田善衛のこと~』を執筆した堀田百合子さんについて紹介します。

 なぜ、この2人を?との問いには、まず、福本友美子さん(1951年生まれ。慶応大学文学部卒)の講演会が11月下旬に富山市民図書館で催され、それに筆者が参加したこと。

 一方、堀田百合子さん(1949年、神奈川県逗子市生まれ。72年慶応大学文学部卒)は、富山県高岡市伏木の有力な回船問屋だった堀田家(屋号は「鶴屋」)の末裔で、父親の堀田善衛こそ芥川賞作家(受賞作は『広場の孤独』など)として有名ですが、鶴屋という廻船問屋が富山県伏木の産業発展史の上で、大きな位置を占めていたからです。

 富山は文学を含めた芸術系世界とは縁が薄いこともあり、産業史を調査・研究しているアート好みの筆者のアンテナに引っかかった、と言ったらいいでしょうか。

                  ◇

 まず、福本友美子さんの講演会についてです。下の写真が2021年11月23日に富山市の富山市立図書館で開かれた講演会「翻訳絵本の魅力を語る」のパンフレットです。

            

 福本さんは「絵本の翻訳家として約260冊訳した」そうです。中でも最も知られているのが「おさるのジョージ」シリーズでしょうね。翻訳だけでなく、児童図書に関する研究書類も多く執筆されています。

 絵本に関する講演会でしたが、富山に関するブログを書いている筆者にとって大きな驚きだったのは、福本さんの父は富山県砺波市出身で、母親は富山市西中野生まれだと自己紹介したことです。

 この講演会を主催し、福本さんを招いた富山市立図書館の担当者も、ご両親が富山の方だということは知らなかったそうです。

 しかも、母方の祖父はガラス会社を営んでいて、その会社は現存しているのですが、福本さんご本人は、富山がガラス産業が盛んなことや、講演会の会場となった同図書館および富山市ガラス美術館が入居しているモダンなビル「TOYAMAキラリ」(2015年オープン)のことは、自宅がある東京で見たテレビで知ったとのことでした。

 産業史をライフワークにしている筆者にとっては、なんてことだ!と言いたい感じでした。

 講演内容自体は、興味深いものでした。

 講演終了後、福本さんが翻訳した絵本の販売とサイン会が始まった時、彼女の背後から年配の女性2~3人が親しげに声をかけていました。恐らく親戚の方なのでしょう。

(下の写真が、富山市のシンボル的建築物「TOYAMAキラリ」。設計は隈研吾。写真左下をモダンな路面電車が走る)

          

 ▼次は、堀田百合子さんです。

 堀田家のルーツは先に記したように富山県高岡市伏木です。伏木という土地は今でこそ有名とは言えませんが、江戸時代は「越中(富山)の玄関口、海運の中枢」(「高岡市史」)の地でした。

 堀田善衛の小説に『鶴のいた庭』があります。隆盛を誇った廻船問屋「鶴屋」(堀田家)に陰りが見え始めたころを描いた作品です。作品中に次のようなくだりがあります。帆船に代わって、蒸気船が主流になり始めた大正時代です。

 「帆をかけただけの和船は、陸から見つけられるまでは、たとえどんなに苦難の航海をつづけて来たとても、帰港を知らせるためのどんな手だてももつていない。それを見張つているのが、この望楼のおもな役目であつた」

 かつての堀田家の建物は現存しませんが、「望楼」がある伏木の廻船問屋(旧秋元家)が「伏木北前船資料館」として保存されています。その写真を下に添付しました。

        

(伏木の高台にあるかつての廻船問屋旧秋元家住宅。写真中央に、屋根から突き出ているのが望楼)

              

               (望楼への急な階段)

       

    (望楼から伏木港方向を眺望。海岸が埋め立てられ海が遠くなった)

 『ただの文士』には、百合子という名前の由来についてのくだりがあり、そこに「伏木のおばあちゃん」という言葉が出てきます。堀田善衛の母親のことですね。 さらに、「父(善衛)は富山弁混じりの、ゆっくりとした英語を話します」ともあります。

 この本を読んでいると、百合子さんがいかに父を尊敬し、敬っていたかが分かるだけでなく、百合子さんご自身の気品ある謙虚さ、性格の穏やかさがにじみ出てくるのを随所に感じます。

 まさにこの親ありてこの娘あり、といったところでしょうか。(以上)