「としのせに だいにのちちを みおくった」
4歳とか5歳の頃に初めて小樽に訪れた時、この駅名板を見て「おたるこわい〜!」とギャン泣きした私。
松の内が明けたので、年賀状をくれた人たちに寒中見舞いを出した。
かれこれ20日前。小樽に住む伯父が亡くなった。
父のお兄さん。なんだけど、親戚の集まりに行くと私の顔を見た人が口を揃えて「伯父さんの小さい頃に似てるね〜」
とよく言ってきたので、私は勝手に伯父の事を「第二の父」と慕っていた。
北海道に住む前も住んでからも、伯父夫婦が住む小樽の家にはよくお邪魔していた。
元気な伯父と伯母に会ったのは2018年の夏が最後になった。
2021年の夏、伯母が亡くなった時に通夜に参列して。そこで会った伯父は別人のように見えて、悲しかった。
その後、長男の家族と一緒に暮らしていたけど、最後は施設に入っていたらしくて。全然会えないままだった。
クリスマスの翌日が葬儀だった。平日で月末で年末なので多忙な亭主ドノに会社を休んでもらうわけにはいかず。
大阪の父も足の具合が良くなくて、真冬の凍結した坂道だらけの小樽に行くのはさすがに無理があったので。
私だけで葬儀に参列してきた。凍結した坂道だらけの小樽を運転する技術はないので、汽車を使って小樽へ。
4歳とか5歳の頃に初めて小樽に訪れた時、この駅名板を見て「おたるこわい〜!」とギャン泣きした私。
なんかこのデカすぎる「お」「た」「る」という平仮名が自分を襲ってくるように見えて、ものすごい恐怖を覚えた。
さすがにもう大丈夫やろう…と思ってあらためて見たものの、今でもちょっとゾワゾワしてしまうトラウマ。
それはともかく。葬儀場に着いて、自分の分と父や姉たちから預かった香典を受付に出すと「確認しますねー」と。
伯母の時に衝撃を受けたけど、北海道の香典ルールはどうしても興冷めして、悲しみも消えてしまう。
大阪では大体、受付に親族や職場関係者がいて「ご愁傷様です」とそっと香典を出して、そのまま葬儀場に入るけど。
北海道では受付は葬儀社の人で。香典袋をその場で開封。丁寧にノリ付けされてればカッターでスイっとカット。
この時点で私は衝撃を受けたけど、さらに目の前でお札を数えられて領収書を切られた時はもう…ドン引き。
その場で会葬御礼を香典の人数分もらって終了。このシステマチックな風習のせいで、冷静さを取り戻す。
でも葬儀場へ入ると、笑顔の遺影が待っていて。取り戻した冷静さが一瞬で消えて、涙が止まらなくなった。
長男夫婦や叔母(父の妹)に会うのも、伯母の通夜以来で。私はずっとマスク姿の泣き顔しか見せてない気が…。
葬儀で何がつらいって、眠る伯父の顔を見ながら棺をお花いっぱいに飾った後、棺に釘を打つ音を聞く時間。
ああこれで本当にさよならだ、という気持ちが、釘を打つ音と一緒に無理やり区切りをつけさせられる感じ。
ずっと泣いていて、鼻が詰まって呼吸困難になって、偏頭痛を起こしてしまい。帰りの汽車はグロッキーだった。
私…年齢の順からすれば、自分の父や姉たちや亭主ドノやワンコたちを見送る立場になるんだろうけど。
毎回こんな症状が出るのかと思うと恐ろしくて、いっそ誰よりも先に旅立ってしまいたい。
ってか、呼吸困難と頭痛で倒れて、そのまま旅立ってしまうんじゃないか。という心配ばかりしてしまう。
人生も50年過ぎれば、どんどん見送る人が増えていくのよな。もう…つらいよ。
「第二の父」とはお別れしてしまったけど、本当の父(←?)とはまだまだお別れしたくない。長生きしてよ〜。
そんな感じで。2024年から2025年の年末年始は、何の準備も心構えもできないまま慌ただしく終わったのでした。
どうか今年は誰ともお別れせずにいられますように…(>人<)