このブログは元々アメブロのミラーサイトとして作ったものですが、ありがたいことに、一定数訪れてくれる方がいます。
それで、ただのミラーサイトでは芸がないので、こちらはこちらで特色を持たせるために、アメブロにはあげてない記事を時々upするようにしようかなと思ってます。
元々の記事を書くのにも手を取られるので、不定期にはなると思いますが。
内容はもう少し真面目な(?)話。
「文学作品から恋を考える」をテーマとした記事あたりを考えてます。
で、これ1本で終わると情けないんですが、A^ ^; ま、頑張るということで…。
明治期の小説ですが、樋口一葉の作品に『十三夜』というのがあります。
ヒロインは高級官吏に見初められて玉の輿に乗ります。そのヒロインには幼なじみで心密かに恋心を寄せる男性、録之助がいて、その録之助もヒロインのことを好きだった。
その男性は愛する女性が他の男と結婚してしまったことで、自暴自棄に陥る。
結婚して妻子もあったのに、放蕩のあげく身を持ち崩し、車夫になっていた。(車夫というのは当時では最下級の仕事だった)
その車夫としても、気が乗らないと乗せたお客さんを「やる気がないから」と途中で下ろしてしまうようなだらしなさ。
子供を産んでから夫に冷酷に扱われるようになったヒロインはこの男性、録之助と結婚していたらと嘆くのですが…。
私は愛する女性を他の男性に取られたという程度のことで、自暴自棄になってしまうような男性は嫌いです。
男性だったら、恋愛がうまく行かなかったとしても、苦しんでもがきながらも日々の仕事をこなし、夢に向かって努力する、そういう人の方がかっこいいし、素敵だと思います。
樋口一葉はこの録之助がヒロインを失って、その結果自暴自棄になってしまうというところで、録之助のヒロインへの愛情の深さを表しているつもりなのかもしれません。
でも、私は自暴自棄になるかどうかと愛情の深さは関係ないと思うんですよね。
そして、そんなことで自暴自棄になるような男性はたとえ結婚したとしても、何かしらうまくいかなこととがあった時に、愛する女性を苦しめたり苦労をかけたりすることでしょう。
このヒロインは夫に冷たく扱われ、日々辛い思いをしているので、若い頃の淡い恋が美しく見えているのだと思います。
ただ、録之助を選んでいたら、何かしら苦労の多い人生でもそれはそれで幸せだったのかもしれません。
辛い、苦労の多い方を選んでしまう…それが恋というものの本質のような気がします。