保坂耕司と学の知っ得ブログ

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R&Rの最高峰「ARB(エーアールビー)」はご存知でしょうか?

2021-11-03 14:20:11 | 音楽

保坂耕司です。
本日はロックといえばの一人と言ってはいいのではと思うARBをご紹介致します。

80年代の邦楽ロックではおじさん世代では皆ご存知でしょう。
今の時代にも繋いでいきたい。それほどのロックを感じさせるのです。

本日ご紹介する楽曲は「野良犬」というデビューシングルです。

彼らのデビュー当初は「Alexander Ragtime Band(アレキサンダー・ラグタイム・バンド)」という名前で活動しており、3作目のアルバム発売と共に改名し頭文字をとった「ARB」にされています。
バンド自体は1977年に結成しています。
田中一郎氏(Gt)は甲斐よしひろ氏からすすめられた石橋凌がオーディションを受けてメンバー入りしています。この二人は結成前からの知り合いでもあったそうです。
加入や脱退などのメンバー構成が変化しながらも2006年まで活動しています。
その間に石橋氏が俳優転向するなどの事件が1990年に起こり活動は停止されるもののデビューから30年近く活動していたんですね。活動再開したのは1997年となっています。
それでも根強いファンがずっと支えていた事、また俳優としての一面を持つ事で新たなファン層を取り込む事ができたと思います。
1980年頃に活発にライブを行っていた新宿ロフトにて再始動。
アルバムも同年リリースし武道館ライブも行う怒涛の復活劇といえるでしょう。
個人的には1981年にリリースしたアルバム「BOYS & GIRLS」が好きだったりします。

「野良犬」は下記YouTubeからご覧ください。
恐らく映像は90年代頃でしょうか。
リリースは1978年なので10年は経過してからのライブ映像のように思います。
それだけ貫禄を感じますね。格好いいです。
ARB 野良犬
※YouTube by straydogsrock


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保坂耕司のGood Music「米米CLUB - FUNK FUJIYAMA」のご紹介です!

2021-11-01 11:18:22 | 日記

保坂耕司がお勧めする本日の邦楽は「米米CLUB」です。

彼らは1982年結成のバンドで、SONYからシングル「I・CAN・BE」とアルバム「シャリ・シャリズム」でデビューしています。
1989年10月21日に「FUNK FUJIYAMA」がシングルリリースされています。

何気なく聴いているとハマってしまうこの感じ。
他にも出せない雰囲気がこの一曲を選んだ理由です。
特に1989年という90年代を迎える年。
米米CLUBが全盛期ともいえる90年代を添えるには良き一曲なのではないでしょうか。
そんな米米CLUBには前身となる「トムトムクラブ」というバンド名で活動していたそうです。しかも人気だったそうです。米米と言い間違えた事から周りが大ウケしバンド名を変えたとの噂もあります。
とにかくダサいバンド名にしようとしていたらしいです。逆に格好良いですよねw
その当時のノリで「私こしひかり」「奥さん米屋です」「夜泣き米屋」というオリジナルソングを遊びで10曲をテープに録音したそうです。遊びで作る量ではない気がしますね笑


彼らは真面目に音楽というだけではなく、エンターテインメント性を重要視していた事がわかります。
それが大衆に認められましたし、そもそものファンはそういうところも大きな魅力だったのでしょう。
彼らの魅力は言葉では伝えきれないのが歯痒いところです。詳しくはWikipediaからご参照ください。

KOME KOME CLUB-FANK FUJIYAMA
※YouTube by 春原一直

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保坂耕司も皆も大好き「THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ) - チェルノブイリ」

2021-10-30 14:39:33 | 日記

保坂耕司がお送りする80年代邦楽ロック!
本日は好きな方も多い伝説的なバンド「ブルーハーツ」のご紹介です。
株式会社PLUSの世田谷ハウスから本日もご紹介してまいります!
保坂学の影響から好きになったのですが、キャッチーで共感できる歌詞。
決して歌唱力が凄いわけではないと思うけど、人を惹きつける声はその生き方が滲み出ている気がする。
好き嫌いは分かれるのかもですが。自分は大好きですね!
保坂耕司が好きなTHE BLUE HEARTSの楽曲は数多くあります。
チェルノブイリという曲。他にも「少年の詩」とか「No No No」とか大好きですね。


この楽曲を選んだのはまずタイトルが尖っているからですかね。
チェルノブイリで起きた原子力発電の事故は1986年4月26日です。
ブルーハーツが結成した1985年の翌年。

とにかく甲本ヒロトが魅力的ですよね。


かなりこの事故の事は彼らとしても衝撃的なニュースだったのでは?と推測しました。
彼らは下北沢のバイト先で知り合ったメンバーで構成され、最初は原宿ホコ天でライブを行っていたそうです。
バンドブームの世代ですよね。
そして活動を続けながらメジャーデビューとなりますが、1stシングルがあの名曲「リンダリンダ」です。
1stアルバムは「THE BLUE HEARTS」とあるあるのバンド名タイトルのアルバムです。ファーストアルバムは9割以上がバンド名じゃないですかねw なんなんでしょうかw

チェルノブイリという楽曲は当時所属していたメルダックの親会社が原子力発電事業に携わっていた三菱電機だったいう事もあり所属事務所の自主レーベルから発売される事になった特殊なシングルです。
その為か甲本ヒロト名義ではなく、甲本浩人の本名となっている。


チェルノブイリ / THE BLUE HEARTS / LIVE
※YouTube by hoppybeverage

 

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保坂耕司がいく「保坂兄弟列伝 - 渋谷109の様子」夕方の人混み

2021-10-29 15:22:52 | 日記

保坂耕司です。

これは10月14日の17時頃の渋谷109前の様子です。

 

 

渋谷の街を久しぶりにフラフラ街中散歩をしました。

 

保坂学も渋谷はあまり歩かない街。

 

以前とは駅周辺の様相も大きく変わり、恥ずかしながら行きたい方向に行けない始末。

 

ヒカリエの方から井の頭口の方へ行きたかったのですが、以前のように真っ直ぐに進む事ができずにショッピングビル?モール?が立ちはだかる。

 

一度、通り抜けられるかと思いお店に入るも反対側へいく出口はなく、また出入り口から店を出る始末。

 

さまよう鎧。

 

完全に頭の中にはドラクエのテーマが流れてくる。

 

これから渋谷がさらなる開発が進んだら全く別の街になってしまいそう。

 

しかしセンスのかけらもない街づくりで落胆してしまう。

 

誰が街の設計を行なっているのだろうか。

 

若者の街である事を忘れてしまっているのだろうか。

 

少し宮下パークらへんの開発も高級ブランドを置いたりとビジネス的。

 

若者をもっと刺激できる街づくりを目指した方がコンセプトがある。

 

これまでの歴史の流れを汲み取ってほしい。

 

洗練された落ち着いた街。それはお隣の表参道あたりに任せておけばよいのに。

 

若者にとって落ち着く街づくりをやれないものだったのだろうか。

 

話はそれましたが、109の周辺はもちろん相変わらずな状況でした。

 

誰かと待ち合わせをしている風の人もいれば仕事中なのか仕事帰りなのか社会人らしき人たちも目に留まる。

 

じゃがりこのバッグを背負った二人も目に入ってくる。

 

渋谷109前の人たちはどこを目標にしているのだろうか。

 

渋谷109前の様子

 


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「SPECTRUM(スペクトラム) - NEVER CAN SAY GOOD-BYE」を保坂耕司が語る

2021-10-28 21:06:31 | 音楽

みなさんこんばんは。保坂耕司です。

本日も株式会社PLUSの世田谷ハウスより配信致しております。

新田一郎(トランペット)そして、中村哲(サックス)、兼崎順一が作った「ホーン・スペクトラム」が前身となるバンドです。その前からキャンディーズなどのバックバンドをしていたMMP(ミュージック・メイツ・プレイヤーズ)が元となったバンドでした。

その3名にMMPの渡辺直樹(ベース)を加え1979年に結成したバンドです。

メンバー構成

  • スペクター1号 新田一郎(トランペット / ボーカル)
  • スペクター2号 兼崎順一(兼崎”ドンペイ”順一)(トランペット)
  • スペクター3号 吉田俊之(トロンボーン)
  • スペクター4号 渡辺直樹(ベース / ボーカル)
  • スペクター5号 西慎嗣(ギター/ボーカル)
  • スペクター6号 奥慶一(キーボード)
  • スペクター7号 岡本郭男(ドラムス)
  • スペクター8号 今野多久郎(パーカッション)

デビュー曲

デビューアルバムレコーディングへと早々に着手し、ロサンゼルスにて行われました。

1979年7月22日に埼玉県所沢市にあった西武球場が初めてオーブニングアクトで登場する。

同年8月25日にデビューシングルとなる「トマト・イッパツ」、同日8月25日にアルバム

「SPECTRUM」をリリースしています。

紹介曲「NEVER CAN SAY GOOD-BYE」

この当時では少々時代がついてこれない程のパフォーマンス力。

この曲に関しても完全に仕上がっていますね。

リズム隊がめっちゃ安定しているので、トランペット&トロンボーンのホーンセクションが前でより映えた音に聞こえる気がします。

演奏に雑味がない。グルーヴしている。

とにかくめちゃくちゃ格好良いです。

SPECTRUM (スペクトラム) 「ACT SHOW」LIVE AT BUDOKAN Sep.22.1981 NEVER CAN SAY GOOD-BYE ※YouTube by Riku 20世紀末