生命はどうして摩訶不思議に神秘に満ち満ちているように設計されているのでしょうかね。
世界中の英知を結集しても生命は葉っぱ一枚も人間の手によっては作ることができないですね。(生命は霊?)
何故なんだろうか?・・・わからないなあ!
きっと生命は神によって創造されたからでしょうね。
そして生命は何処までも健康で生きれるように生きれるように設計されているみたいですね。
病気になっても免疫力自然治癒力が働き、不要となった細胞は死滅し新しい細胞が生まれますから、
新陳代謝が成され正しい元の姿に復元されるように設計されているのでしょうね。
不思議に体はいつも正しい元の状態を維持するように、環境に適応できるように肉体に五感を与えて下さっています。
人の体温は平均36.5分を維持するように自動的に多分設計されているでしょう。
高過ぎても低過ぎても生きてゆけませんね。
外気圧、外温度、体の水分量も皆影響しますね。
血圧、脈拍数、血液検査、各腫瘍マーカー、尿検査なども数値化(データー)されて適正値が維持されていればOKで異常なしとなり健康であると判断されていますよね。
数値が高過ぎても低過ぎても偏りすぎて問題ありとして病気と看做されるようですね。
科学、医学のことで全くわからない2,500年も前からお釈迦様が言われたように中道が良いと分かっていたのですからね。
弦の音は張り過ぎれば切れる、緩み過ぎれば音が悪い、中程が丁度良いとして悟られた。
さすがに凄い聖者だったのでしようね、だからこそ何処までも人々の心を癒し惹きつけ信仰されるのでしょうか?
本当に全てのものの適正値のデーターが決められていて、高過ぎる数値のものは低くするような自然の力(自然治癒力、免疫力)が働き、
逆の低すぎる人の数値は高くするような自然の力が働いて適正値に持って行くわけですよね。
この事は決して自分の力ではなく自然治癒力のなさる技なんでしょうね。
自然治癒力に積極的な力を与えるのが、より明るいプラスのポジィティブな全ての物に感謝する『心』にあるのじゃないでしょうか?(心が安らぎ平安な全てのものと調和した状態)
逆の反対の不平不満、愚痴悪口、文句、恨み妬み、嫉妬などの人を赦さない『心』にあるのでしょうか?(心が安らげずイライラしたストレスを抱えた不調和な状態)
イエス様の教えの通りに根底には自分を愛するように隣人を愛しなさいという『愛』がなければならないでしょう?
『ありがとう』と感謝する言葉と『御免なさい』『お許しください』と私が間違っているかもしれない、
という言葉を発することによって不調和な状態を解消し、調和な状態に変換させることができるように思いますね。
人によれば私が悪くないのに何故御免なさいなどと言わなければならないのという方があるかもしれませんが、、、
あなたが正しいと思っても、相手も自分が正しいと思っているわけですからね、、、
相手を包み込む大きな器になることが大切なのではないでしょうかね。
やはり不調和な状態から調和な状態に切り換えるための知恵を働かせなければならないのじゃないでしょうかね。
単純に1➕1=2であると固執するのではなくいろんな見方もあるのですよということかもしれないね。
自然の力(神仏)、自然治癒力が働き元の適正な数値(データー)に自動的に健康体に戻し調和させるようにね。
あなたの心も調和し安定させいつも安らぎを得れるようにストレスの解消を計らねばね(^。^)
・・・幸せで健康を維持する為にはね。
信じるも信じないもあなた次第ですからね・・・
『いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全てのことに感謝しなさい』
・・・イエスキリスト真理の言葉
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