自分は自分、他人は他人、と人とのかかわりでの煩わしさから
逃れる世界を求めつづけて今日があるように思える。
しかし、何か変だと思う方達も増え、疑問視され始めているが、
まだまだその流れを止めるには至らないのではないのだろうか。
私は、「人の喜びを自分の喜びにかえること」を方針の一つに
掲げ、限られた範囲だが提唱もしている。
これは、何を言っているのか、と質問してもそのものズバリの
返事を返す人は、中々いない。
あなたはあなた、私は私の今の世の中において、それぞれ個々の
努力によって喜びを勝ち得、本人の喜びもさることながら、
それを周囲の人が喜ぶ姿はよく見かけもするし、ごく自然のように
も思える。
しかし、ここでの「人の喜びを自分の喜びにかえること」とは、
自分が相手の為に尽くして、その尽くされたことに相手が
満足した時の喜びをもって、自分の喜びとすることをいうのである。
即ち、「尽くす喜び」でもあるわけです。
何かを感じられた方は早速始めてみませんか。
逃れる世界を求めつづけて今日があるように思える。
しかし、何か変だと思う方達も増え、疑問視され始めているが、
まだまだその流れを止めるには至らないのではないのだろうか。
私は、「人の喜びを自分の喜びにかえること」を方針の一つに
掲げ、限られた範囲だが提唱もしている。
これは、何を言っているのか、と質問してもそのものズバリの
返事を返す人は、中々いない。
あなたはあなた、私は私の今の世の中において、それぞれ個々の
努力によって喜びを勝ち得、本人の喜びもさることながら、
それを周囲の人が喜ぶ姿はよく見かけもするし、ごく自然のように
も思える。
しかし、ここでの「人の喜びを自分の喜びにかえること」とは、
自分が相手の為に尽くして、その尽くされたことに相手が
満足した時の喜びをもって、自分の喜びとすることをいうのである。
即ち、「尽くす喜び」でもあるわけです。
何かを感じられた方は早速始めてみませんか。
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