昭和30年代、、、
今振り返れば、、、不衛生でしたよね、、、
まだ戦後10年代でしたし、、、疫痢赤痢は頻繁に聞かれましたし、、、
虫はいたし、、、白い粉は振り掛けられるし、、、
そんな中に育ったこともあってか、、、野性的な健康さがありそうですが、、、
ほんとに今は、、、衛生面は安心していられますね。。。。。
昭和30年代、、、
今振り返れば、、、不衛生でしたよね、、、
まだ戦後10年代でしたし、、、疫痢赤痢は頻繁に聞かれましたし、、、
虫はいたし、、、白い粉は振り掛けられるし、、、
そんな中に育ったこともあってか、、、野性的な健康さがありそうですが、、、
ほんとに今は、、、衛生面は安心していられますね。。。。。
「こころ」って、、、移り変わるものですよね、、、
「こころ」ここに定まらず、、、変わっちゃいけないものも、、、あるんだと、、、
思いながらも、、、定まらぬ「こころ」にもてあそばされています。。。。。
小学校時代、、、
庭内の畑に5坪位麻が植えてあって、、、麻を切って遊んでました、、、
麻縄を作るんだといって、、、何処からか種をもらってきたみたいで、、、
ある時、、、駐在さんが寄って、、、立ち話しをしていました、、、
それから私服の警察官がきて、、、何やら書類を書いていましたね、、、
その後すぐに、、、植えてあった麻を引き抜き、、、天日に干し皮を剥いで、、、
縄を編んでました、、、
私は、細く編んだ紐でコマ回しをして遊んでいましたね、、、
後で、、、煙草にして吸うと気持ちよくなるんだって、、、無許可で植えちゃいけないらしい、、、
と言ってましたから、今思えば、、、大麻だったんでしょうね、、、
何も知らない田舎の百姓ですから、、、ただ単に、麻縄を作りたいだけで、、、
貰ってきたんでしょうね。。。。。
憧れて、、、この歳まできてしまいました、、、
愛されることに、、、枯渇し、、、
愛を求めて、、、
でも、、、「愛する」ということを、、、
何も理解していなかった気がしています。。。。。
中学校時代、、、
2年生の時でしたか、、、
同じクラスの同級生が、授業を抜け出して、、、魚を獲りにいったんですね、、、
それがバレて、担任の先生にコッピドク叱られていました、、、
休み時間に、、、獲ってきたその魚を触っていたら、、、その同級生が激怒しましてね、、、
直径4センチ位の青竹で太ももを思いっきり殴られました、その青竹は細かく割れましたね、、、
痛いのなんのって、、、しばらくまともに歩けませんでした、、、
ところが、その場を2階の窓から見ていた3年生が、親しい上級生ではなかったんですが、、、
「どうしたんだ」と中に割って入ってきて、話を聞いて、、、
殴った同級生が悪い、殴り返せというので断ったんですが、「いいな、、、」と、、、
その同級生の同意をとって、同じ青竹で無理矢理殴り返させられましたね、、、
これで喧嘩両成敗だ、仲直りしろ、もう喧嘩するなよ、、、言い残して行っちゃいました、、、
そんな上級生もいたし、、、そんな時代だったんですかね。。。。。
「相手のこころを揺さぶる」という「こころ」
相手の「こころ」に揺さぶられることって、、、ありますょね、、、
どんな時に揺さぶられますか、、、
揺さぶられる「こころ」の一つに、、、
私心なく、、、下心なく、、、私のことを思い、、、已むに已まれずほとばしることば、、、
そんなことばには、、、温もりが感じられ、揺さぶられる「こころ」が、、、
生まれてくるのではないでしょうか、、、
下心なく、相手のことを思い、相手のためになる、私心を捨てたことばは、、、
相手の「こころ」を熱く感じさせるのではないでしょうか。。。。。
昭和30年代、、、
田んぼに水が必要な時期には、用水路の堰を止めて水を引き、、、
水があっては困る時期には、堰を開けて水を流します、、、
その堰を開けて水が引き始めた頃にも、大きな網を川の中に入れておくと、、、
フナとか、鯉とか、ナマズとか、が川の流れに乗って下ってくるので、沢山獲れるんです、、、
水が膝上位までに引いてきたとき、、、小ぶりのタビを川底につけて待っていると、、、
ウナギとか、カニとか、ナマズとか、、、が結構獲れましたね、、、
一晩中、、、面白くてやっていました。。。。。
若い間は、、、考えもしなかったことが、、、
歳を重ねるごとに、、、生まれてくるものなんですね、、、
死に支度ではありませんが、、、
どんなに若い時のままに望もうとも、、、脳も、、、身体も、、、衰えてゆくのですょね、、、
そのことを抱えながら、、、今までのように、、、今まで以上に生きるか、、、
今までにない新たな種ですねぇ。。。。。
小学生時代、、、
遊び場は、お互いの家の周りか、山や川でしたね、、、
多かったの「チャンバラ」ですかね、、、
山に行き、、、形よく曲がった枝や若木を切って、腰に差しては喜んでました、、、
弓と矢もつくりましたね、、、弦の部分は針金やつるを使い、、、
矢羽は、笹を使ったり、鳥の羽を使い、色々試してましたね、、、
大小の弓をつくり、、、藁を束ねた的をこしらえ、、、当てっこして遊んでましたね、、、
当時は買う金もないし、、、多くは手作りしたもので遊んでましたよね。。。。。
「自分」という「こころ」
誰でも、、、「自分」ですよね、、、
また、この「自分」って、、、強い力を持っていますねぇ、、、
「自分」が、これをやろう、、、と思ってやりだしたら、、、
たいていのことは、やれるのではないでしょうか、、、
そこが、「自分」次第というところでしょうか、、、
ただ一面、、、周囲の人の「こころ」を揺さぶるには、、、
足りないところがあるかもしれません、、、
ほんの少し、、、周囲の人の「こころ」を揺さぶる「こころ」が付け足されれば、、、
一味二味違ってくるのでしょうね。。。。。
昭和30年代、、、
当時河川敷に自衛隊が、、、1週間位野営している時もありました、、、
野営を終わり、基地に戻った後、、、
野営跡に殺到しましたね、、、
ガムとか、チョコとか、キャラメルとか、落ちてることもあるので、、、
探しに行ったんです、、、
口に入れられるものは、、、何でもいれましたからね。。。。。
ほんとに、ほんとに、、、断ち切れないものですね、、、
だから、「未練」なのでしょうか、、、(笑)
自分の中にありながら、、、制御できない、、、悩ましいぃものです、、、
時を経ても、、、歳を重ねても、、、「未練」から抜け出せず、、、
晴れない世界を彷徨っています。。。。。
昭和30年代、、、
初め頃ですね、、、交通手段といえば、、、バスと国鉄でしたね、、、
国鉄はまだ、、、電化されていませんので、、、今でいうSLでした、、、、
お盆とかに親戚の家へ行く時など、、、乗車するのが大変でしたね、、、
客車の連結に近い乗降口は開放されて、外に手すりの棒がついていました、、、
さぁ~乗るぞとなると、、、乗客が乗降口に殺到して我も我もと黒だかりになり、、、
押し合いへしあいして、やっと乗れる状態、、、窓から乗る者もあり、、、
客車内は、、、足場があれば人が立つといった具合で、、、寿司詰めでしたね、、、
乗降口は重なり合い、外にはみ出し、外の手すりにぶら下がっている人もいましたね。。。。。
「こんなこと、、、」と思う「こころ」、、、
「こんなこと、、、」と思えば、、、「やってもしょうがないか、、、」と、、、
やらないで終わってしまうことって、、、沢山あるような気がします、、、
「こんなこと、、、」と思っても、、、しっかりやり通し、、、こつこつと積み上げていけば、、、
「こんなこと」もいつの日か、、、大きな感謝を引き出すのではないでしょうか、、、
「こんなこと」も捨てることなく、、、大切に育てる「こころ」が必要なのでしょうね、、、
と言って、、、中々、、、できていませんが。。。。。
昭和30年代・昭和40年代初め、、、
まだ、勉強する時間があったら、家の仕事を手伝え、、、というところもありましたね、、、
中学校を卒業する時点で、、、就職組と進学組の二つに分かれました、、、
当時は、、、「金のたまご」ともてはやされ、、、就職列車が走っていました、、、
割合的には、就職組が多かったですかね、、、
進学したくても、お金がなくて、、、就職を選択する同級生も沢山いました、、、
親たちは、、、進学させてやりたくても、、、進学させられないほど、、、
多くは貧乏だったんですよね。。。。。