京都の闇に魅せられて(新館)

2020年山科・毘沙門堂の紅葉 @ 京都妖怪探訪(717)





(記事中の写真はクリックで拡大します。プライバシー保護等の為、人の顔部分に修正を加えていることがあります)


 どうも、こんにちは。
 コロナ禍などで大変な中ではありますが、それでも2020年(令和2年)の『霊場魔所の紅葉』シリーズを続けたいと思います。
 今回は、紅葉名所のひとつでもある京都・山科の「毘沙門堂門跡」を巡り、その紅葉風景をお届けします。
 この古刹、平安遷都以前から存在し、平安京を霊的・呪術的に守護し続けてきた場所のひとつでもあります。


 まずはいつもの通り、交通アクセスから。
 JRや京阪の山科駅から。




 ここは、JR、京阪バス・電車、京都市営地下鉄など結構交通の便がいいようです。
 そこから20~30分からほど歩きます。









 途中にも秋の気配が感じられます。















 毘沙門堂の入り口から、紅葉に彩られています。。









 石段を上って仁王門へ。









 本堂へ礼拝(らいはい)。











 ここでこの「毘沙門堂門跡」の縁起や由緒を少し調べてみますと・・・。
 元々は大宝3年(703年)、文武天皇の勅願で僧・行基によって、護法山出雲寺として、出雲路(現在の京都御所の北側辺り)に開かれました。
 延暦7年(789年)、天台宗を興し比叡山延暦寺を開いた伝教大師・最澄の手で本尊の毘沙門天が創られ、祀られたそうです。
 その後、たび重なる戦乱から苦難の道をたどり、寛文五年(1665)、山科安朱の地に再建され、後西天皇の皇子・公弁法親王が入寺してより門跡寺院となったと伝えられています。
 行基や最澄などといった、日本仏教史にその名を遺す錚々たる顔ぶれが関わっており、これだけでも驚くべきことだと思いますが、これだけではわざわざ『京都妖怪探訪』シリーズでとりあげたりはしません。
 以下は歴史に詳しい方、一部のオカルトマニアの方や、本シリーズを長く読み続けてこられたというディープな方には、ご存知の方も少なく無いかもしれませんが。
 平安京遷都当初より、怨霊など目に見えない存在を恐れ続けた桓武天皇によって、鬼門(北東)に比叡山延暦寺を配置するなど、多くの霊的・呪術的防御を施すために、多くの神社仏閣を創られたのが、京都という街であるということを。
 おそらくこの毘沙門堂門跡も、元々は京都の霊的・呪術的防御のために創られた寺院のひとつだったと考えられます。
 また、ここには比叡山を開いた天台宗の開祖でもある伝教大師・最澄が、唐より持ち込んだという秘法「鎮将夜叉法」が
伝わっているそうです。
 私のような何の地位・権力・資格も無い一般人が、この秘法「鎮将夜叉法」を直接目にすることはまず無いでしょうが。それでも、こういう秘法が今でも行われているかもしれないということを知っていると、同じ光景でもまた違った感じで見えてきます。


 本堂の裏へ。








 紅葉風景の中に弁財天堂も見えます。
 7年前に訪れた時もこの光景を見た記憶があります。


 宸殿(しんでん、後西天皇の皇子・公弁法親王の居る)の裏に広がる庭園・晩翠園。








 7年前に訪れた時はここを見てなかったかな。


 再び本堂裏を通って。












 弁財天堂へ。






 弁財天堂から観た本堂。






 本堂横を通って。












 勅使門の下の坂を下ります。














 本当に、あっという間に回りきってしまいました。






 今回はここまで。
 また次回。





*山科・毘沙門堂門跡へのアクセス・周辺地図はこちら



*山科・毘沙門堂のHP
http://bishamon.or.jp/



*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/




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