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どうも、こんにちは。
前回の続きで、琵琶湖・瀬田川河畔の古刹・石山寺から。
今回は、「比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)」という、石山寺創建にも関わる不思議な伝説が遺された石も紹介します。
前回の「朗澄大徳遊鬼境」を訪れた後、石山寺の正門ともいうべき「東大門」から入ります。
境内へ。
拝観料を払って中に入ると、早速、面白いスポットが見えてきました。
それが、この「比良明神影向石(ひらみょうじんようごうせき)」です。
この一見何気ない、ふたをしている井戸みたいにしか見えないものですが、実はこの石山寺の創建・由緒にも大きく関係しているという重要なスポットなのです。
天平19年(747年)、
聖武天皇の発願により、良弁(東大寺開山・別当)によって開基された、と伝えられています。
「石山寺縁起絵巻」には、その創建に関して、次のような話が遺されています。
聖武天皇に東大寺大仏建立の為に必要な黄金の調達を命じられた僧正・良弁は、金峯山に籠もり、夢で神託を受け、この石山の地を訪れます。
すると岩の上で釣りをしていた老人が、この地こそお告げの場所であることを、良弁に告げました。この老人こそは、この地を守る比良明神だったのです。
この時、比良明神が座っていた石こそが、この「比良明神影向石」だそうです。
さらに「この地で拝めば、探している金が見つかるであろう」と告げられました。その後良弁は、岩盤の上に祠を建て、如意輪観音を祀って祈願したところ、陸奥の国で黄金が見つかり、無事に東大寺の大仏を完成させることが出来た、と伝えられています。
この話は、非常に面白いと思います。
仏教の僧侶が、修験道の聖地に籠もって、神道の神様から助言されて、仏教の観音様を祀って、大仏建立という事業を成し遂げる。
言ってみれば、こういう話になります。
日本の「神仏習合」を、元は外来宗教だった仏教と日本古来・土着の信仰とが共存・協力関係にあったことを示しているようで、非常に興味深いですね。
今回はここまで。
また次回。
……っと、いかんいかん。
前回では「菅原道真ゆかりとも言われる梅園の光景をお届けします。」と言ったのに。
「比良明神影向石」だけで、一回分の記事になってしまいました。
すみません。
またもや私の計画性の無さというか、行き当たりばったりという性格が出てしまいました。
次回こそは、石山寺の梅の光景をお届けします。
では、また次回。
*石山寺へのアクセス・周辺地図はこちら。
*石山寺のHP
http://www.ishiyamadera.or.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
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