どうも、こんにちは。
今年の5月25日、妖怪こなきじじいなど数多くの妖怪伝説が遺る地でもある、徳島の秘境・大歩危(おおぼけ)で開催されました、『四国妖怪フェスティバル』へと行き、そこで行われた「ジオガイドと巡る妖怪ツアー」という、大歩危の妖怪伝承地を巡るミニツアーに参加してきました。
シリーズ第892回から何回かに渡って、そのレポートした記事を書きます。
その第4回である今回は、大歩危・藤川谷の赤子淵、妖怪・川赤子の伝承が残されているという場所を訪れます。
まず「川赤子」とは何者か。
江戸時代の有名な妖怪絵師・鳥山石燕(とりやま・せきえん)が『今昔画図続百鬼』で描いた、有名な妖怪の一人(?)でもあります。
もっとも私などは、水木しげる先生の書かれた妖怪本で知ったのですが。
これは、その著書のひとつである『小学館入門百科シリーズ88・妖怪百物語』に書かれた「川赤子」です。
子どもの頃から水木作品に馴染んできた私には、お馴染みの姿ですが(笑)。
同著によれば、川赤子とは次のような妖怪だそうです(以下、引用)。
>“川赤子”というのは、沼とか池で、
「オギャー、オギャー」
と泣く妖怪である。赤ん坊でも溺れているのではないかと思って、助けようと声のするほうへ行くと、こんどは逆のほうから
「オギャー、オギャー」
と泣く。
ばか親切ないなかの人は、さらにまた助けようとあわてて逆の方向に走っていくと、また、まえに泣いていたところから、
「オギャー、オギャー」
と聞こえてくる。
“川赤子”だと気づけば、あわてなくてもすむのだが、土地の老人くらいしか知らないので、たいていの者は、あわてて足を踏みはずし、池や沼に落ちてずぶぬれになる。すると、気が狂うように泣いていた“川赤子”の声もようやくおさまるという。
この妖怪の声を聞く者はいるが、その姿を見た者はいない。・・・
(引用ここまで)
つまり私にとっては、子供(小学校)の頃からの馴染みの存在でもあり、今回その伝承地を訪れるのは、私にとって大きな楽しみのひとつでもあったのです。
シリーズ前回で、山じじ像の前を過ぎ、山道をさらに進んでいきますと。
「妖怪古道」「赤子淵」民家の前に分かれ道が。
「妖怪古道」という、舗装されていない文字通りの山道を進んでいきます。
舗装されていないので、少々歩きにくいだけでなく、安全策もないので足を踏み外したら下の谷川に落ちてしまいそうな、そんな道を進んでいきます。
道の途中、倒木があって少し身をかがめて通らなければならない場所もあり。
「本当に妖怪でも出そう」な・・・。
そんな山道を歩き続けた先に、小さな滝と淵が。
澄んだエメラルドグリーンの水が輝いているこの淵が、目指す「赤子淵」だそうです。
私の拙い文と写真とでこの淵の美しさを伝え切れていないのが残念ですが。
昔はここには水車があり、時々軸が「ギギーッ」と音を立てて、道行く人を驚かせたこともあったそうですが。
さらにここは昔、「赤ん坊を捨てるところ」でもあったと言われ、赤ん坊の泣き声が聞こえてくることもあったそうです。
それで赤ん坊の泣き声がする方向を探すと、今度は別の方向から赤ん坊の泣き声が聞こえて・・・そのうちに赤子淵全体から赤ん坊の声が覆い尽くされ、気が動転していると、何者かに足をすくわれて、赤子淵に落とされてしまうという。
まさに、子どもの頃に妖怪本で読んだ伝説の場所がここだったのです。
その後赤子淵から、その上の舗装された山道へと上がりますと。
今度はエンコ(河童)さんが(笑)。
子どもの頃から馴染んできた妖怪の一人(?)。
その伝承地を訪れることが出来、しかもそれがこんなにも美しい場所だったとは。
何というか、感無量。
ここ一箇所を訪れただけでも、感無量。
無理をして遠くこの地まで来てよかったなあ、という気になれました。
そして元の道(徳島県道272号線)へ。
そこからさらに進み、次はいよいよ、あの妖怪・こなきじじいの伝承地へと向かいます。
それでは今回はここまで。
続きはまた次回。
※ところで2024年の目標で、「(本シリーズでの)新規スポットの記事を最低でも20以上、出来れば30以上書く」としましたが、今回で7カ所目。
目標まであと13本(13カ所)です。
*「道の駅大歩危」へのアクセス及び周辺地図かこちら。
*「道の駅大歩危」のHP
https://yamashiro-info.jp/
*『京都妖怪探訪』シリーズ
https://kyotoyokai.jp/