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どうも、こんにちは。
シリーズ前回に引き続いて。
今年(2020年、令和2年)の3月3日、ひな祭りの日。
京都の妖怪絵師・伝道師である葛城トオル氏主催の、京都・東山の霊場魔所をめぐるツアーのレポート記事です。
シリーズ前回は、あの有名な‘三十三間堂’こと蓮華王院を巡り、その創建にまつわる不思議な由緒や名前の由来を聴いたり、または千体あると言われている仏像群、動きまでリアルな二十八部衆像、そして俵屋宗達の「風神・雷神像」の元ネタとなったと風神・雷神像を観たりしました。
しかしあれだけのものを内包している‘三十三間堂’こと蓮華王院も実は。
後白河法皇が築いたという広大な離宮「法住寺殿」の一画に建てられた建物のひとつに過ぎない。
つまり、かつてこの地に築かれた巨大な後白河ワールドのごく一部にでしかなかったというのです。
今回も、葛城氏の案内で後白河ワールドを巡ります。
シリーズ前回で‘三十三間堂’蓮華王院を出て、その東側の道を南へと進みます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/56/22b28e5043514b3068441257f1630dc7.jpg)
その道を少し進んだ東側に立つ門が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/8b/bf91f62ad8fbd2e6bafcc5ae49eb3977.jpg)
そこは、養源院という浄土宗の寺院です。
元々は、あの淀君が父・浅井長政ら供養のために、豊臣秀吉に願って創建したという天台宗の寺院だそうですが。
そこには面白いものが幾つもあります。
俵屋宗達の像と唐獅子のふすま絵。
日光東照宮の「眠り猫」、祇園祭の「鯉山」(※シリーズ第412回を参照)、三井寺・閼伽井堂の竜(※シリーズ第8回)などの作品を遺した伝説的職人・左甚五郎による「鴬張りの廊下」。
そして・・・「血天井」です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/84/42865a80e59b037f418f21c71e8ed782.jpg)
一応、「血天井」について簡単に解説を。
有名な関ヶ原の戦いの前哨戦ともいうべき、伏見城の戦いで徳川家康の忠臣・鳥居元忠らが自刃した血の跡が残るという廊下の板の間を、供養のために天井としたというものです。
この血天井には、「今でも血がしたたり落ちることがある」とか、「人型に遺った血の跡が、動いたように見えることもある」等の、怪談や都市伝説のような話もあるそうです。
この血天井の秘密について葛城氏からお話を聴いたのですが・・・まあ、その内容はここで言うより、葛城氏主催のイベントに参加して直接聴かれることをお勧めします。
ところで今回、この養源院に入ったのは、血天井が主目的ではありません。
その塀を挟んだところにある、後白河陵と、そのさらに隣にある法住寺について解説をする為です。
後白河陵、つまり後白河天皇(法皇)の墓所には、入り口が閉められて入れないことも多いので・・・。
私の場合はだいぶ前に、法住寺の「今様合せ」で公開されていた時に入れましたので、その時(※シリーズ第420回)に撮った中の様子を以下に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/e4/85bd78ff3ec15778ff32897f82f2d066.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/89/9ae74855372825b202ac6447465460f7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/4d/a30d72a6a37e0f0a2856299045758145.jpg)
法住寺は元々、永祚元年(989年)に藤原為光という人が創立しましたが、後白河天皇が出家して上皇へとなった際、法住寺の地を離宮(院の御所)として定めてられました。
当時はまさに院政の時代。
こうして出来た「法住寺殿」は広大な敷地を有し、二条天皇や高倉天皇なども訪れるような政治的にも重要な場所として栄えたそうです。
さらに上皇が信仰していた日吉大社や熊野大社も勘定され、新日吉神社や今熊野神社をもその中に築かれました。
法住HPの紹介で、当時の敷地の広大さについて、以下のような記述があります。
>法性寺の地域は唯今の東福寺から西の方賀茂川原附近に及んでいたのですから、当初の法住寺は南は八条通りから北は七条通りより更に北方に延び、東は法輪寺(今熊野観音)の旧域を除いて東山の山裾に及び、西は今の大和大路にまで及んでいたのです。
京都在住でない方や、京都・東山の地理に詳しくない方などは、この文章だけでは今ひとつピンと来ないかもしれませんが。
葛城氏より「法住寺跡の発掘調査の復元図を観たらよくわかります。ここからJRの線路をまたいだ場所に大きな池が広がっていたりしました」と教わりました。
で、ネットからその復元図のひとつを以下に拾ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/80/7fb4e4b4b9392fce35fe27d70e7dcd62.jpg)
それでもピンとこないかもしれませんが。
現在のJR東海道本線の線路も中に入るようなとんでもなく広大な敷地が広がっています。
現在の法住寺は、(かつてと比べて)わりとこじまりとした天台宗寺院のひとつですが、「身代わり不動明王」や「親鸞上人のそば喰い木像」など不思議な伝説が遺る遺産(※シリーズ第420回参照)や、後白河上皇がハマっていたという「今様(いまよう)」の伝統が遺されていたり(※シリーズ第419回参照)など、非常に面白い場所です。
ただ今回は、あまりにも書くことが多すぎるので、今回は省きます。
法住寺につてご興味ある方は、シリーズ第419回記事や第420回をご覧下さい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/71/c407d9b9d02dcf56ee1413bc1cd4512f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/99/bc97e290ff370c0d2116cfa9974d0054.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/ad/adc7adfb3e4eba488c357a784e9f0a06.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/e2/74c9c91dd78dd294a9ccc01f0bec4b65.jpg)
京都・東山の後白河ワールドである法住寺殿跡地の散策を終えてその次は・・・同じく東山にある豊臣秀吉ワールドを巡ります。
しかも一時期京都の支配者でもあった秀吉が、霊的・呪術的にも京都を支配し、さらに死後もなおパワースポット化した京都のエネルギーを得続けようとしたという場所だというのですが・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/58/18be370da42464b80a846d83657926ef.jpg)
今回はここまで。
この続きはまたシリーズ次回に。
*法住寺のHP
http://hojyuji.jp/
*法住寺へのアクセス・周辺地図はこちらをご覧下さい。
*葛城トオル氏のTwitter
https://twitter.com/yokaido
*『京都妖怪探訪』まとめページ
https://kyotoyokai.jp/
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