京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(146):大津祭・殺生石山





 大津祭編の第3回目です。
 今回は大津祭の曳山の中でも、「殺生石山(せっしょうせきざん)」をとりあげます。 「殺生石」と「九尾の狐」の伝説は、非常にスケールの大きい妖怪伝説として知られ、それをモチーフに作られた曳山なのです。
 妖怪マニアの私としましては、この曳山を見るためにわざわざ大津祭を見に行った。
 極端に言えば、この曳山を見るためだけに大津祭を見に行ったと言ってもよいほどなのです。


 まず、この曳山のモチーフとなった「九尾の狐」と「殺生石」の伝説について大まかな説明もします。
 「九尾の狐」とは、別名を「金毛九尾の狐」「金毛玉面九尾」ともいう、九本の尾を持つという狐の妖怪です。
 かなり古くから、少なくとも数千年の年月を生き抜き、強大な魔力・霊力を持ちます。暴政や大虐殺を起こしていくつもの国家を崩壊・破滅に導くという、スケールの大きな悪事を重ねてきました。
 その手口は、だいたい次の通り。
 絶世の美女に変身し、その国の権力者を惑わします。または、その国の権力者の寵愛を受けることによって、絶大な権力を手にします。
 そして、この妖怪は手にした権力を使って、大量虐殺や国家財政の私物化などの悪事を行います。あるいは、この妖怪に惑わされた権力者は彼女がもくろんだ通りに道を踏み外し、大虐殺や国家資産の蕩尽などの暴政を行うようになり、最後は国家を崩壊させてしまいます。
 こうした手口によって、古代インドのマガダ国、古代中国の夏・殷・西周などを破滅に導いてきました。
 特に、殷王国最後の王・紂王(ちゅうおう)の后である妲己(だっき)に変身して、「炮烙」「酒池肉林」など、歴史・伝説に残るようないくつもの暴虐を行ったという話は有名です。
 『封神演義』の悪役・妲己(その正体は「千年狐狸精」という妖怪)とも同一視されています。
遣唐使船にまぎれて日本にも渡り、12世紀頃に「玉藻前(たまものまえ)」という知性あふれる絶世の美女に変身して鳥羽上皇の寵愛を得ます。ここまでは、古代インドや中国の国歌をいくつも滅ぼしてきたのと同じ手口です。
 しかし陰陽師・安倍泰成(安倍泰親、安倍晴明という説もある)によって正体を見破られ、宮中から逃走します。
 その後、那須野(現在の栃木県那須郡周辺)でも悪事を働いたため、安部泰成や三浦介義明らによる討伐軍が那須野に派遣され、ついに「玉藻前」こと「九尾の狐」は倒されます。

 しかしそれでもまだ話は終わりません。
 死後、九尾の狐は「殺生石(せっしょうせき)」という巨大な毒石に変身し、有毒ガスなどをまき散らして、多くの人々や生物の生命を奪い続けました。
 さらに後世の14世紀頃、曹洞宗の僧・源翁心昭(げんのうしんしょう)によって対峙され、その破片は日本各地に飛散したと伝えられています。
 この殺生石は、栃木県那須にて史跡として残され、現在でもその周辺には有毒ガスが発生し続けています。


 以上が、「殺生石」と「九尾の狐」、そして「源翁」にまつわる大まかな話です。
 何百年・何千年にも及び、古代インドや中国、日本と舞台も広大な、多くの妖怪伝説の中でも特にスケールの大きな話です。
 以上の話、特に最後の「僧・源翁による殺生石退治」を題材にして創られたのが能楽の『殺生石』であり、さらにそれを題材に作られた曳山が、「殺生石山」なのです。

 

 それでは、大津祭の本祭(曳山巡行)の前日・宵宮(よいみや)に見た「殺生石山」の様子を見ていきます。
 前回でもとりあげました曳山展示館のある丸屋町商店街入り口の様子。

 



 入ってすぐ、やはり前回とりあえげた「西王母山」が見えてきます。。



 さらに少し進むと、大津祭・曳山のひとつ「孔明祈水山(こうめいきすいざん)」が見えてきます。

 

 この曳山は、「蜀の天才軍師・諸葛孔明が魏の曹操と赤壁で戦った時に、祈りによって水や風の流れを変えて大勝利をもたらした」という、『三国志演義』の有名なエピソードを題材に作られた曳山です。

 そこからさらに進み、商店街を抜け、交差点を越えていくと「殺生石山」が見えてきました。

 

 通りのど真ん中、食料品店の前に曳山が置かれています。


 そこから少し進んだ横道にも、何かあるようです。
 こちらもちょっとのぞいてみます。

 

 七福神の一人、布袋の像が祀られています。


 横道から戻り、通りをさらに進んでいきますと、通りの商店のひとつに、人が集まっています。


 その商店の中には、「殺生石山」の御神体である、玉藻前と玄翁のからくり人形が祀られていました。

 

 この人形を見て、何故か私はうれしくなってしまいましたね(笑)。

 
ただ残念なことに、この曳山と人形がからくりで動くところは、今年の宵宮でも、本祭の曳山巡行でも見逃してしまいました。
 そこで仕方がないので、後日に曳山展示館を再訪し、そこの展示されている映像から、殺生石山のからくりが動く場面をカメラにおさめてきました。

 まずは、玄翁和尚が祈り、法力を使います。

 


 


 すると、岩(殺生石)の中から、妖女・玉藻前が現れます。

 

 

 一瞬のうちに、玉藻前の顔が一回転して、狐の顔に変わります。

 

 面白いですね。

 それでは今回はここまで。
 また次回!




大津祭・曳山連盟のホームページ
http://www.otsu-matsuri.jp/home/




*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm





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