どうも、こんにちは。
シリーズ前回に続いて今回も、六波羅蜜寺の話題を少し。
六波羅蜜寺の境内の一角にある「なで牛」についてです。
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身体に何か悪いところ、気になるところがあれば、その牛の象の相当する部分を撫でたらよくなる、と信じられていますが、これは確か天満宮の、天神・菅原道真の象徴であったはず。
何故、天台系寺院である六波羅蜜寺にそんなものがあるのか。
過去記事では、「何故、なで牛がここにあるのかは謎」と書きましたが。
最近、その答えがわかりましたので、この機会に触れてみます。
この謎を解くにはまず、この国独特の信仰のしかたである「神仏習合」と「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」を理解しなければなりません。
過去記事のおさらいにもなりますが、以下この2つについて。
「神仏習合」とは、日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)とが融合しこの国独特の信仰形態です。
その信仰を支えた考え方のひとつが、「本地垂迹(ほんちすいじゃく)」です。
それは、「日本の神々は、実は仏教の諸仏が姿を変えた存在である」という、日本の神道や土着信仰の神々と仏教の諸仏とを同一の存在とする考え方です。
同じ神仏の、本来である仏の姿を「本地仏」か「御正体(みしょうたい)」といい、衆生救済の為の神としての姿を「垂迹神」と呼びます。
例えば、垂迹神が貴船神社の神様なら、本地仏は不動明王。
垂迹神が石清水八幡宮なら、本地仏は釈迦如来、という具合に。
そして六波羅蜜寺のご本尊・十一面観音が本地仏(御正体)なら、その垂迹神には鹿島神宮、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)など複数ありますが、その中のひとつに北野天神が、つまり天神・菅原道真があるのです。
つまり、「ご本尊・十一面観音=天神・菅原道真」と考えれば、その神使である「撫で牛」が六波羅蜜寺境内に居るのも当然というわけです。
現代からはちょっと考えにくい、わかりにくいかもしれませんが、明治期の神仏分離、廃仏毀釈があるまでは、こういう神仏習合はおかしくなかった。いや、むしろ神道や民間信仰の神様と、仏教の仏様とが共存どころか、同一の存在と考えられていた方が当然だった。
ところで、私に「本地垂迹」について教えてくださった、妖怪絵師・伝道師の葛城トオル氏の説によれば、この六波羅蜜寺の境内にはかつて、天神・菅原道真を祀る社や祠があったのではないか、ということでした。
だとしたら、その社か祠は今、どこに?
もう無いのだとしたら、六波羅蜜寺さんは何故、それをなくしてしまわれたのか?
これが次なる謎として残ってしまいましたが・・・。
なおシリーズ次回は、「2023年の目標」でも書いたとおり、今までここで紹介したことのないスポットをとりあげたいと思います。
今回はここまで。
また次回。
*六道珍皇寺へのアクセスはこちら。
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