京都の闇に魅せられて(新館)

京都妖怪探訪(115):菊野大明神




 京都には、「鉄輪の井」や、「安井金比羅宮」や、「おかげ明神」など、恐ろしい呪いや縁切りの魔所がいくつもあり、『京都妖怪探訪』シリーズで何度かとりあげてきました。
 今回もそうした縁切り魔所のひとつ、しかもその中でも特に恐ろしい魔所のひとつを紹介します。

 菊野大明神。
 祀られているのは、深草少将という平安時代の貴公子です。
 より正確に言えば、御神体として祀られているのが、深草少将が腰掛けたとされる「深草少将腰掛の石」という石です。
 深草少将の名前を聞いて思い出した方もおられるかもしれません。
 シリーズ第99回などの本シリーズ「小野小町関連エントリー」でも取り上げたことがありますが。
 「深草少将百夜通い」という、小野小町に関する伝説に登場する人物です。
 ここで、その伝説の大まかなストーリーを改めて説明します。

 絶世の美女と言われた小野小町に恋をした男というのはあまた居ましたが、最も熱心に求愛をした貴公子の一人に、深草少将という人が居ました。
 小町に求愛した深草少将は、彼女から「百夜通ったら想いを遂げさせてあげましょう」と言われます。
 それ以来少将は、毎夜小町の元に通い、その証拠にと榧(かや)の実をひとつずつ置いていきます。
 しかし九十九日目の大雪の降る夜、少将は最後の榧の実を持ったまま、力つきて倒れてしまいました。
 よく伝わっているのはこような話ですが、「最後の夜に代人を立ててしまって、それがバレて小町にふられてしまった」という説も伝わっています。
 小野随心院に伝わっているのは、後者の話です。
 いずれにしても、深草少将は想いを遂げられず無念の結末を迎えることになるわけです。

 また、小野小町の館があったとされる小野随心院の住所は「京都市山科区小野御霊町35」です。
 この中に出てくる「御霊(みたま、ごりょう)」という言葉は、怨霊などの死者の魂を意味する言葉です。
 ということは、過去に何か……御霊(怨霊)を生み出すような事件があったのか?
 そんな疑いを抱かせます。
 もしかしたら、まだ我々も知らない隠された事実もあるのかもしれません。しかし、それを除いて考えれば……怨霊を生み出すような事件と言えば、まず思い浮かぶのが深草少将の無念死です。
 能『通小町』『卒塔婆小町』などでも伝えられているように、深草少将はものすごく深い無念・怨念を抱いて亡くなったと思われたようです。
 そんな言い伝えが、「深草少将腰掛の石」を、縁切りの神様に変えてしまったのでしょうか。
「婚礼の際には菊野大明神の傍らを通ってはいけない」とも言い伝えられています。
 では、いつものとおり、まずはアクセス方法から。

 京都市役所前、御池通りと河原町通りとが交わる交差点です。





 最寄りの交通機関は、京都市営バス「京都市役所前」停留所と、京都市営地下鉄の「京都市役所前」駅です。
 そこから、河原町通りを少し北上した場所にある、河原町二条の交差点です。





 河原町二条の交差点の北東角(奇しくも‘鬼門’に当たる場所です)。
 その角をほんの少しだけ北上した場所に、法雲寺・菊野大明神への入り口があります。
 「菊野大明神」の入り口を示す大きな看板が入り口に立っています。





 法雲寺は、浄土宗のお寺です。
 浄土宗のお寺の境内に、何故そんな縁切りの社が? などという疑問がわきますが。

 法雲寺の境内、庫裡の中、そして中庭を通り抜け、目的地・菊野大明神を目指します。








 この中庭の道を、小さな石の参道を歩いていけば、菊野大明神へとたどり着きます。

 入り口から撮った全体像です。





 すみません、私の腕前が下手くそなため、こんなブレた写真しか撮れませんでした。
 いや、正直に言えば……私が下手くそだからだけではありません。
 ここが、多くの人々の愛憎や邪念、呪詛などが渦巻いている魔所だと思えてきたら、カメラを持つ手が震えてしまったのかもしれません。
 つまり、びびってしまったのです。すみません……。

 ですが、そうやってびびってしまうほど、ここは恐ろしい場所なのです。
 「安井金比羅宮」や、「おかげ明神」などの他の縁切り魔所がそうであるように。
 「○○と別れさせろ」「○○死ね」などの呪詛や願いが書かれた絵馬・護摩木とか、藁人形の釘の跡など、人間の持つ暗くドロドロした部分が目に見える形で現れているからです。
 現在ではきれいに改装されて、そんなドロドロしたものが直接見えることあまりはありません。そんな願いの多くは、小さな護摩木に書かれて、片隅に裏向けにして積み重ねられているだけのようです。





 しかしかつては、願掛けに髪の毛を供える風習があったともいわれます。
 1988年頃の改装までは、祠に髪の毛が巻き付けてあったり、五寸釘が打ち込まれた藁人形が置かれていたり、呪詛の言葉を書き連ねた紙や絵馬・写真などが打ち付けられていたりなど、かなり恐ろしい光景が広がっていたそうです。


 おや?
 片隅に豊川稲荷の小さなお社があります。





 豊川稲荷といえば、シリーズ第113回の「興雲庵・陀枳尼尊天堂」のように、陀枳尼天(だきにてん)を祀っている場所です。
 現在では所願成就の善神として崇められている陀枳尼天ですが、シリーズ第113回でも触れたとおり、元々は人間を喰らい、邪悪で陰惨な儀式や「悪魔の契約」などに本尊として使われたという恐ろしい鬼神でもあったのです。
 そんな鬼神の小さな社が祀ってあるとは……何故?
 「やっぱりここは怖い場所なのだ」という印象をより強くします。





 先述したとおり、1988年の改装から中はきれいになりましたが……。
 おそらくそれも、表面上のことにすぎないのかもしれません。
 「多くの人々の呪詛や愛憎が渦巻く魔所」という本質は、変わっていないのでしょう。
 この写真は、菊野大明神の社の表ですが、この裏側には、そこにも恐ろしい呪詛や縁切りなどの願いを書いた紙を入れるという小さな穴があるという噂もあります。
 訪れた時、その穴があるという社の裏側も見てきましたが……そこは本当に真っ暗闇で、ほとんど何も見えなかったのを覚えています。
 その時は懐中電灯なども持っておらず、またフラッシュを使って撮影するというのも、恐ろしい気がしたので……結局、撮るのをやめました。


 今後も、このような魔所を必要とする人たちは後を絶たないのだろうな、という気もします。
 何百年、何千年と続き、これからもなくならないであろう人間の業が、こういう魔所を生み出したのでしょう。
 それが、このような魔所を現代の町中にも存在させているのでしょう。

 ただ、あまり生半可な気持ちで訪れるような場所ではない。そんな気もしました。
 
 「婚礼などの祭にはこの近くを通らない」という風習が、今でも京都に残るそうです。
 昔から「万年モテない男」の私には、妻とか、恋人・婚約者などに当たる女性は居ません。幸か不幸か、私はこういう魔所とはあまり縁のなさそうな男です(苦笑)。
 ただそれでも、「何か怖いな」という気がしますし。特に異性の知人と会うよな日は、この場所をなるべく避けるようにしています。


 それでは、今回はここまで。
 また次回。



*菊野大明神・法雲寺への地図はこちらをご覧ください。



*縁切り神社お寺一覧
http://enmusubida.com/spot/81engiri.html



 
*京都妖怪探訪まとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm




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