■ ■■■■■ ■ 日刊 こならの森 ■ ■■■■■ ■

* * * *  *  * * * *
東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森 13号

2008-03-20 | 創刊~100号
       ●13号 1989.2.1発行

■目        次■

カラム・コラム………2p
著者紹介………………3p_6p
トピックス………………7p
看板娘コンテスト……9-10p
■田中正造番外編…11p~14p
若き芸術家の世界…15p~16p
スターウオッング…………17p
ぐるめーる…………………18p
協賛店マップ…………19-20p
結婚しました。……………21p
美容と健康…………………22p
モータースポーツ………23p
危険な道路をぶっとばせ…23p
アウトドアー………24p
協賛店マップ…………25-26p
絵本紹介…………27p
ブックス10・海外旅行入門…27p
エッセイ・おぞねとしこ……28p
センチュリーラン………29-30p
コーヒータイム………………30p
サークル紹介・31p
街角の肖像昧…………31p+32p
僕の好きなMONO…32p
芝居三昧……32p
編集日記・購読会員名簿……33p

【本文抜粋記事】

■田中正造番外編 

●今回は、生家を中心に紹介したいと思う。

@生家墓地
田中正造1913年(大正2年)七十三才で死去。
カツ夫人1936年(昭和11年)八十八才で死去のあと合葬。

@浄蓮寺
 田中家の菩提寺。本堂は格調高い優れた建築だったというが最近に再建された。

@人丸神社
 学業成就、交通安全祈願は霊験あらたか。梅原猛夫妻も参拝したとある。
 正造が、江刺県(現在の岩手県)で獄中にあったとき、カツ夫人が夫の安泰を願掛けしたという。

@堀米地蔵堂
二十九才(明治2年)の時六角家騒動により、小中村を一家追放され手習塾を開く。
 正造は当時を振り返って「正に是人生無量の楽しみ、予がひっせいの生活中この時の如き興味多きは、あらざるべし」と述懐している。また、佐野町万座での講演会のあと木下尚江らが正造にねだって生家へ向かう途中、ここに立ち寄り榎の大木を見上げて「手習師匠の頃は、子供の手ほどであったのだが」とひとりごとをつぶやきながら懐かしんだそうである。現在はは菊川町公民館となっているが、地蔵堂と榎は当時の面影を残している。

@惣宗寺
田中正造自由民権運動の時代の本拠地。死後は本葬が行われた。 同寺には、石川啄木が当時盛岡中学三年在学中だったとき、正造の直訴の感動を三十一文字に託した、
「夕川に葦は枯れたり
血にまとう民の叫びの
など悲しきや」の碑がある。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿