■こならの森82号■1995.2発行
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森3月号■
おぞねとしこのポエム…かたくり………3p
その他の情報…こころみ/猫バス……4p
結婚しました…山尾俊樹さん&陽子さん…94/9/18=5p
知らんの5つの市/ディスク…6p
阪神大震災7p-15p
協賛店マップ16-17p
JC・JOURNAL………………18-19p
インフォメーション94………22-25p
海棠市子の映画評……………26p
書評・絵本紹介………………27p
現代国語/カクテル………28p
杜 @皇が占う今月の運勢…………29p
新・こならの森から…………………30p
■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
阪神大震災レポ
今回の日程では車中泊するなどがたたったためか、メンバーの中には帰宅後39・5度の熱を出す人もいたとか。かなりハードな内容の救援だったことが伺える。
実際に見た被災地の感想などを、先頃おこなわれた報告会から収録してみた。
ガレキの後片付けをする
くらいの覚悟だった。
休日出勤の予定だったが急遽参加させてもらった。出発前はどういう状況で行くのかが分からなかった。自分のイメージとしては、ガレキの後片付けをするくらいの覚悟だった。文化会館に集まるとものすごいほどの救援物資が集まっていた。4トンのロングボディのトラックに山積み状態だった。そういうものを見て胸が詰まる思いだった。 現地に着くとまず、神戸市役所へ行った。こういう活動をしてください、物資はここへ、という指示を仰ぐつもりだったが、役所自体がパニックという感じで指示が出せない状態だった。そういった中でどうしたらよいか参加したメンバーで議論し、災害対策本部から指示が出ないのであれば、ゲリラ的に困っている人のところへ直接、手渡しでもって行ったらいいのではないか、ということになった。 たまたま近くを通った人にどこへ行ったらいいですかと聞くと、山の手の住宅街、芦屋とか三宮がすごい状態だったが、そうではない、被害が少ないと言われているところにあまり救援物資が来ていない、ということを聞いたものですから、地図を見ながら行きました。余談ですが、GPSを持って行ったのですがすごい活躍をしました。地図だけでは目的地にたどり着けなかったと思います。建物を目安にして角を、曲がるといってもその建物はありませんからね。
他のところへも配ってくれ
まず、小学校へ行きました。何が必要ですかと聞き、リクエストに答えた。その中ですごく感激したのは、自分のところもそうだけれど、他のところへも配ってくれという思いが伝わって来ることです。何でもいいから降ろしてくれというのではない。自分のところは下着がないからそれは降ろしてくれ、ここは給水が始まったから、水は大丈夫だ。といってくれる。
分けてくださいといって行ったけれども、分けてくれなかった
救援物資は先に役所に送られ山積みで、そうしたトラックが数珠繋ぎになっている。
また、学校に救援物資を分けてくださいといって行ったけれども、分けてくれなかった、といって自治会長さんが怒っていた。そこでその自治会長さんを車に乗せて救援物資を公園まで届けに行ったりもしました。そのときは、災害を受けて五日目の活動でしたが、五日目にして始めて救援物資をもらったということです。大きな目立つ学校とかに避難している人は、どうにか物資が届いたけれども、家が何とか壊れないで、避難しないでいた人には後手後手で、物資が届いていないというような状況だったようです。
被害者が暗い表情なのかなと
思ったが、そんなことはない
共通して言えたのは、被害者の人達が私が私がという気持ちではなくて、みんなを思いやっている。初めてトラックをつけたときには、よこから物資を取っていってしまうのかなと心配したのですが、そんなことは全然ないんですね。降ろすのも手伝ってくれるし、待っていてくれる。被害者の方々がうなだれていたり、暗い表情なのかなとも思ったのですが、ぜんぜんそんなことはないんですよ。結構明るいといったら語弊があるのですが、逆にこっちが勇気づけられるような感じなんです。そう言った意味ではすごく救われた。たぶん今回の災害がある特定の町内、一部分だけがやられたのはないからだと思う。お互いに助け合っていこうという連帯感が生まれて来ている。
最初に受けた印象からずれている部分も感じており、災害に対する認識を新たにしなければいけないと思った。そして、みんなが災害に対して思っているイメージ、こんなに極端な状況だったらこうなるんだということ、こういうことをきっかけとして、家族と災害ということを話し合ってほしい。今は、救援に参加出来て良かった、という思いから感じたことを人に伝えていきたいという思いに変わって来います。
建築上の観点から
私は建築屋なのでその観点から見たお話しをします。
まず、どうして壊れる建物と、壊れない建物があるのか。被災地へ向かう際には、揺れ方の少ないところから、だんだん被害が大きくなっていく所へ行く訳ですが、土で葺いた瓦の屋根は雪崩のように落ちていた。それが第一段階。次の段階になりますと、建物の壁にひびが入る。外壁の仕上げ材が落ちる。木造ですと筋交いというものがありますが、それが入っていない家は揺れたとたんにグシャッとなっている。二階建の家が平屋になってしまったというのは、そのせいです。それを助長させているのが、二階部分の重み。頭でっかちですと、一階が潰れてしまう。ただ、木造で瓦屋根はだめということではありません。壁材にしろ、屋根材にしろ地震が来たときに揺れないような状況にしておけば大丈夫です。
鉄筋コンクリートでは建築基準法が改正され、その前と後では建物の造りかたがかわった。古い建物は、壊れているけれどもその隣の新しい建物はしっかりしている、というような状況です。
また新しい建物の壊れる一番の原因は一階が店舗のように柱だけあって壁がないもの。
柱に力が加わるので、亀裂が入って柱が倒れる。
ボランティアをしているところの写真を撮る必要はない
カメラを持っては行ったのですが、記録が充分にできませんでした。現地に行く前にあるメンバーと話をしていまして、「ボランティアで行くんだから、ボランティアをしているところの写真を撮る必要はない」という意見がありまして、自分の中でも葛藤があり、積極的に写真を撮るところまで頭が回らない状況でした。
行きは12時間、帰りは延20時間
私はバスの運転をしたのですが時間的には、行きは12時間、帰りは延20時間かかりました。丸一日神戸にいたのですが、非常に耳に残ったのがけたたましいサイレンの音です。これは止む事なく続きました。
確実に帰って来る
行くのはいいがもし余震でもあって帰って来られなくなったどうするんだと家族からいわれました。確実に帰って来るという、いいかげんな約束をしまして、何とか説き伏せて行きました。
高速道路は、施工の基準が改定前ですので、鉄筋の量ですとか、ピッチが違っていたりした、ただそれが倒壊の原因になったというのは、テレビに出ている評論家が胆略的に言っていることで、本来これは土木技術の根底を揺るがす問題です。今後の設計の在り方が変わることですから、今後に生かしてもらいたい。
メディアに対してですが、どの局を見ても一カ所の避難所だけを取り上げており、そこばかりが被害を受けているような印象を受けますが、それ以外にも家が辛うじて残っていてその中で生活しているという人もたくさんいる。ですが、そういう人には救援物資は届かない。そこだけ悲惨だと思うとボランティアの人もそこにしか行きません。物資もそこにばかりしか持って行かされない。ですから、実際の現実を見極めてメディアの人も均等に報道していただかないと不公平が起きるのではないか。 また神戸市内を抜けるのに、6時間近くもかかった。なぜかというと国道43号線と国道2号線という二つしか道がない。異常だと思えるくらい渋滞している。43号線は高速道路が倒壊している現場です。信号機があるのですが、電気が来ていないのでついていない。交差点に四方から勝手に車が入って来て、一時間に10メートルくらいしか進まないというような状況でした。
C・o・n・t・e・n・t・s
■こならの森3月号■
おぞねとしこのポエム…かたくり………3p
その他の情報…こころみ/猫バス……4p
結婚しました…山尾俊樹さん&陽子さん…94/9/18=5p
知らんの5つの市/ディスク…6p
阪神大震災7p-15p
協賛店マップ16-17p
JC・JOURNAL………………18-19p
インフォメーション94………22-25p
海棠市子の映画評……………26p
書評・絵本紹介………………27p
現代国語/カクテル………28p
杜 @皇が占う今月の運勢…………29p
新・こならの森から…………………30p
■■■■■■■■■■■
【本文抜粋記事】
阪神大震災レポ
今回の日程では車中泊するなどがたたったためか、メンバーの中には帰宅後39・5度の熱を出す人もいたとか。かなりハードな内容の救援だったことが伺える。
実際に見た被災地の感想などを、先頃おこなわれた報告会から収録してみた。
ガレキの後片付けをする
くらいの覚悟だった。
休日出勤の予定だったが急遽参加させてもらった。出発前はどういう状況で行くのかが分からなかった。自分のイメージとしては、ガレキの後片付けをするくらいの覚悟だった。文化会館に集まるとものすごいほどの救援物資が集まっていた。4トンのロングボディのトラックに山積み状態だった。そういうものを見て胸が詰まる思いだった。 現地に着くとまず、神戸市役所へ行った。こういう活動をしてください、物資はここへ、という指示を仰ぐつもりだったが、役所自体がパニックという感じで指示が出せない状態だった。そういった中でどうしたらよいか参加したメンバーで議論し、災害対策本部から指示が出ないのであれば、ゲリラ的に困っている人のところへ直接、手渡しでもって行ったらいいのではないか、ということになった。 たまたま近くを通った人にどこへ行ったらいいですかと聞くと、山の手の住宅街、芦屋とか三宮がすごい状態だったが、そうではない、被害が少ないと言われているところにあまり救援物資が来ていない、ということを聞いたものですから、地図を見ながら行きました。余談ですが、GPSを持って行ったのですがすごい活躍をしました。地図だけでは目的地にたどり着けなかったと思います。建物を目安にして角を、曲がるといってもその建物はありませんからね。
他のところへも配ってくれ
まず、小学校へ行きました。何が必要ですかと聞き、リクエストに答えた。その中ですごく感激したのは、自分のところもそうだけれど、他のところへも配ってくれという思いが伝わって来ることです。何でもいいから降ろしてくれというのではない。自分のところは下着がないからそれは降ろしてくれ、ここは給水が始まったから、水は大丈夫だ。といってくれる。
分けてくださいといって行ったけれども、分けてくれなかった
救援物資は先に役所に送られ山積みで、そうしたトラックが数珠繋ぎになっている。
また、学校に救援物資を分けてくださいといって行ったけれども、分けてくれなかった、といって自治会長さんが怒っていた。そこでその自治会長さんを車に乗せて救援物資を公園まで届けに行ったりもしました。そのときは、災害を受けて五日目の活動でしたが、五日目にして始めて救援物資をもらったということです。大きな目立つ学校とかに避難している人は、どうにか物資が届いたけれども、家が何とか壊れないで、避難しないでいた人には後手後手で、物資が届いていないというような状況だったようです。
被害者が暗い表情なのかなと
思ったが、そんなことはない
共通して言えたのは、被害者の人達が私が私がという気持ちではなくて、みんなを思いやっている。初めてトラックをつけたときには、よこから物資を取っていってしまうのかなと心配したのですが、そんなことは全然ないんですね。降ろすのも手伝ってくれるし、待っていてくれる。被害者の方々がうなだれていたり、暗い表情なのかなとも思ったのですが、ぜんぜんそんなことはないんですよ。結構明るいといったら語弊があるのですが、逆にこっちが勇気づけられるような感じなんです。そう言った意味ではすごく救われた。たぶん今回の災害がある特定の町内、一部分だけがやられたのはないからだと思う。お互いに助け合っていこうという連帯感が生まれて来ている。
最初に受けた印象からずれている部分も感じており、災害に対する認識を新たにしなければいけないと思った。そして、みんなが災害に対して思っているイメージ、こんなに極端な状況だったらこうなるんだということ、こういうことをきっかけとして、家族と災害ということを話し合ってほしい。今は、救援に参加出来て良かった、という思いから感じたことを人に伝えていきたいという思いに変わって来います。
建築上の観点から
私は建築屋なのでその観点から見たお話しをします。
まず、どうして壊れる建物と、壊れない建物があるのか。被災地へ向かう際には、揺れ方の少ないところから、だんだん被害が大きくなっていく所へ行く訳ですが、土で葺いた瓦の屋根は雪崩のように落ちていた。それが第一段階。次の段階になりますと、建物の壁にひびが入る。外壁の仕上げ材が落ちる。木造ですと筋交いというものがありますが、それが入っていない家は揺れたとたんにグシャッとなっている。二階建の家が平屋になってしまったというのは、そのせいです。それを助長させているのが、二階部分の重み。頭でっかちですと、一階が潰れてしまう。ただ、木造で瓦屋根はだめということではありません。壁材にしろ、屋根材にしろ地震が来たときに揺れないような状況にしておけば大丈夫です。
鉄筋コンクリートでは建築基準法が改正され、その前と後では建物の造りかたがかわった。古い建物は、壊れているけれどもその隣の新しい建物はしっかりしている、というような状況です。
また新しい建物の壊れる一番の原因は一階が店舗のように柱だけあって壁がないもの。
柱に力が加わるので、亀裂が入って柱が倒れる。
ボランティアをしているところの写真を撮る必要はない
カメラを持っては行ったのですが、記録が充分にできませんでした。現地に行く前にあるメンバーと話をしていまして、「ボランティアで行くんだから、ボランティアをしているところの写真を撮る必要はない」という意見がありまして、自分の中でも葛藤があり、積極的に写真を撮るところまで頭が回らない状況でした。
行きは12時間、帰りは延20時間
私はバスの運転をしたのですが時間的には、行きは12時間、帰りは延20時間かかりました。丸一日神戸にいたのですが、非常に耳に残ったのがけたたましいサイレンの音です。これは止む事なく続きました。
確実に帰って来る
行くのはいいがもし余震でもあって帰って来られなくなったどうするんだと家族からいわれました。確実に帰って来るという、いいかげんな約束をしまして、何とか説き伏せて行きました。
高速道路は、施工の基準が改定前ですので、鉄筋の量ですとか、ピッチが違っていたりした、ただそれが倒壊の原因になったというのは、テレビに出ている評論家が胆略的に言っていることで、本来これは土木技術の根底を揺るがす問題です。今後の設計の在り方が変わることですから、今後に生かしてもらいたい。
メディアに対してですが、どの局を見ても一カ所の避難所だけを取り上げており、そこばかりが被害を受けているような印象を受けますが、それ以外にも家が辛うじて残っていてその中で生活しているという人もたくさんいる。ですが、そういう人には救援物資は届かない。そこだけ悲惨だと思うとボランティアの人もそこにしか行きません。物資もそこにばかりしか持って行かされない。ですから、実際の現実を見極めてメディアの人も均等に報道していただかないと不公平が起きるのではないか。 また神戸市内を抜けるのに、6時間近くもかかった。なぜかというと国道43号線と国道2号線という二つしか道がない。異常だと思えるくらい渋滞している。43号線は高速道路が倒壊している現場です。信号機があるのですが、電気が来ていないのでついていない。交差点に四方から勝手に車が入って来て、一時間に10メートルくらいしか進まないというような状況でした。