8 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 時計より (自然を尋ねる人) 2006-11-23 22:05:59 賽銭箱が気になります。本当に賽銭をいれたりするひとがいるみたい!よろいは戦国時代でしょうか。 返信する 環境に優しい (tokkocyann) 2006-11-24 10:05:36 昔の生活道具って、こうして見ると「エコ」ですよね。捨てても、自然に帰る物ばかりですね。今のプラステックは、何百年たっても自然に消える事って無いですね。 返信する 賽銭板 (のらしろ) 2006-11-24 18:28:25 自然を尋ねる人 こんばんはよろいは戦国時代の様子でした、賽銭箱は箱にはなっておらず、看板の様子でした。仏像も解説もなし、手入れが届いてなさそうでした。古い物だと言うことだけはわかりました。 返信する 昔の道具 (のらしろ) 2006-11-24 18:39:01 tokkocyann こんばんは時計、ショウケース、以外は古い物ばかり、農耕民族の生活の知恵、文化の継承ですね。戦乱は10年に一度は起きてそのつど戦の道具が新式になり、砲筒で激しい戦乱に巻き込まれたのでしょうね。横の仏像はその昔何を祈っていたのでしょうね。 返信する 戦乱 (えり) 2006-11-24 23:57:31 武士は戦う時期を選ばない。農家の人達が米を収穫してから戦闘をすれば良いのに、そんなこと御構い無しに、田畑を荒らして戦う。武士が身分の頂点にいましたが(落ちぶれた我が家の本家にも刀などが、いっぱいあったそうです)TVなどを見ていても、残忍きまわりなしですね! 返信する 武士 (のらしろ) 2006-11-25 19:26:42 えりさんのご本家が武士ですね、何万石から、野武士まで階級はいかほどだったのか知りませんが、家紋の入った長持ち箱。床の間の刀束。角館市の武家屋敷には今も鎧兜、太刀、短刀、を今もいざ戦と言わんばかりに飾ってありました。屋敷には末孫が住まわれていました。我が家にはカタビラなどを巻き取る鬼の金棒のような重い戦闘道具が有りました。 返信する 桑名城に (えり) 2006-11-26 03:32:32 仕えていたと聞いています。刀狩り(秀吉)で農民になり、その後?光太夫の時代には「OO要助」という名前の庄屋になり、本にも筆書きが(証文)載っています。刀などは売ってしまったそうです。貴重な金色の仏像が大小ふたつあり、小さい方は、家の祖父が本家を出る時に持ってきたそうです。大きなほうは、本家が最近お寺に預けて、引っ越して行きました。大昔は、この道路一帯にあったOO家も次々に引っ越してしまい・・今はオンボロ、ボロボロな一軒が残っているだけなのです。恥ずかしいボロ屋は、我が家です。誰かが盛り立ててくれないと、其の内に我が家も「引越しの憂い目に?」 返信する 家系図 (のらしろ) 2006-11-26 20:18:02 桑名城主に仕えた家老武士?○○家の道,庄屋さんの道、お辞儀をして通った物ですね。良い遺伝子が家系図を恥ずかしくない立派な物に書き換える事でしょう。仏像が歴史をご存知で、何か聞いて見たい気がしますね。「一言頑張りなさい」言葉を信じて後世に伝えたいですね。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
本当に賽銭をいれたりするひとがいるみたい!
よろいは戦国時代でしょうか。
捨てても、自然に帰る物ばかりですね。
今のプラステックは、何百年たっても自然に消える事って無いですね。
よろいは戦国時代の様子でした、賽銭箱は箱にはなっておらず、看板の様子でした。
仏像も解説もなし、手入れが届いてなさそうでした。
古い物だと言うことだけはわかりました。
時計、ショウケース、以外は古い物ばかり、農耕民族の生活の知恵、文化の継承ですね。
戦乱は10年に一度は起きてそのつど戦の道具が新式になり、砲筒で激しい戦乱に巻き込まれたのでしょうね。
横の仏像はその昔何を祈っていたのでしょうね。
農家の人達が米を収穫してから戦闘をすれば良いのに、そんなこと御構い無しに、田畑を荒らして戦う。
武士が身分の頂点にいましたが(落ちぶれた我が家の本家にも刀などが、いっぱいあったそうです)TVなどを見ていても、残忍きまわりなしですね!
角館市の武家屋敷には今も鎧兜、太刀、短刀、を今もいざ戦と言わんばかりに飾ってありました。
屋敷には末孫が住まわれていました。
我が家にはカタビラなどを巻き取る鬼の金棒のような重い戦闘道具が有りました。
刀狩り(秀吉)で農民になり、その後?光太夫の時代には「OO要助」という名前の庄屋になり、本にも筆書きが(証文)載っています。
刀などは売ってしまったそうです。
貴重な金色の仏像が大小ふたつあり、小さい方は、家の祖父が本家を出る時に持ってきたそうです。
大きなほうは、本家が最近お寺に預けて、引っ越して行きました。
大昔は、この道路一帯にあったOO家も次々に引っ越してしまい・・今はオンボロ、ボロボロな一軒が残っているだけなのです。
恥ずかしいボロ屋は、我が家です。
誰かが盛り立ててくれないと、其の内に我が家も「引越しの憂い目に?」
の道、お辞儀をして通った物ですね。
良い遺伝子が家系図を恥ずかしくない立派な物に書き換える事でしょう。
仏像が歴史をご存知で、何か聞いて見たい気がしますね。「一言頑張りなさい」言葉を信じて後世に伝えたいですね。