刺激不足なのか?

まぁ、マインチ変わらずウチにいてウサギやハト、スズメ達と遊んでいるわけだけども、なんかこう沸々としているんだよな。
考えてみたら単に刺激不足なのかも?
つまりは、なんの変化もない日常を送ってて退屈してるってことかね。
かといってそとにでたからなにがあるというわけでもないんだけどさ。
そういう考え方をすると、ウチで飼ってるハトなんかはどうなる?って話ですよ。
いくら自由に飛び回ってるとは言っても、同じ空間しかいないわけで・・・
それでもエサや水があって、敵がいなくて安心して過ごせる場所がある。
単にカゴで飼われてる鳥や動物から見たら、カナーリ恵まれてると思うんですよねぇ。
事実、ウチのウサギなんかは健康酢の物で長生きしているし。
ということは、やはり考え方の問題なのかも?とも思う。
どんな環境でも楽しいと感じられる人もいれば、それと同じ環境でも苦しくて退屈で仕方ない人がいる。
そういう「現状に満足できない人」は結局のところ次から次へと追いかけても追いつくたびにすぐに満足するなにかを求めてしまう。
さて、ではどうしたらいいのか?
そんなに次から次へと追い求めてもきりがないのではないのか?
金持ちほど物への満足度が低く、金を持っていない人ほど満足度が高い。
そんなことを考えたりします。
お金がない子供時代には新しいものが買えないため、いつも同じもので遊ぶしかなく、たまに友達からもらった「あたらしいおもちゃ」が大変うれしかった。
それは友達が遊び飽きたものなのだが、俺にとっては新しいオモチャなのだ。
そういう考え方から見てみると、欲しいからと言ってすぐに買ってしまうというのは人生を退屈にさせるだけなのだろうと思う。
子供の頃に母親に1万円札を借りて、姉と模写しておもちゃの1万円札を作った記憶がある。
姉は当時から絵の才能というかセンスがあって、おれが描いたゴミの様なものと違い、大変良くできてた。
こういう思い出というのも貧乏だったからあったことで、物をすぐに買い与えられていたら起こらなかったことです。
ということから考えても「欲しいからすぐに買って、なぜこんなものを買ったのか?」って後悔していたら結局は満足できるような生活はできないんだろうなぁ。
俺にとってのハトやウサギたちは単なるペットではなくて、もっと違う物なんです。
それは血の通った生き物であり、考えることができ好き嫌いをはっきりと表現することのできる存在ですかね。
触れれば体温を感じられるというのは重要なことです。
生まれてきたからには苦しいことは少なく、楽しく安心して暮らしてもらいたい。
人間と同じ命を持っていて代りのいない生き物なんだから、そういうことを考えて飼うのもいいのではないでしょうか?
そんなことに話を持っていくと
「退屈だったらペットと遊んでやれよ」
って結論になるんですよ。
だって、人間から見れば飼ってる生き物以外にもいくらでも遊ぶものはあるけど、飼われてる方は人間しか相手がいないわけですから。
そんなことを考えて先日の茂吉を連れて海に行った行動につながったというわけ。
よく、犬を車に乗せて窓から顔を出していたりするのを見るけど、犬がとても幸せだと思うんだよなぁ。
やっぱりちょっと物事の見方を変えてみるということは必要なのかもね。
考えてみたら単に刺激不足なのかも?
つまりは、なんの変化もない日常を送ってて退屈してるってことかね。
かといってそとにでたからなにがあるというわけでもないんだけどさ。
そういう考え方をすると、ウチで飼ってるハトなんかはどうなる?って話ですよ。
いくら自由に飛び回ってるとは言っても、同じ空間しかいないわけで・・・
それでもエサや水があって、敵がいなくて安心して過ごせる場所がある。
単にカゴで飼われてる鳥や動物から見たら、カナーリ恵まれてると思うんですよねぇ。
事実、ウチのウサギなんかは健康酢の物で長生きしているし。
ということは、やはり考え方の問題なのかも?とも思う。
どんな環境でも楽しいと感じられる人もいれば、それと同じ環境でも苦しくて退屈で仕方ない人がいる。
そういう「現状に満足できない人」は結局のところ次から次へと追いかけても追いつくたびにすぐに満足するなにかを求めてしまう。
さて、ではどうしたらいいのか?
そんなに次から次へと追い求めてもきりがないのではないのか?
金持ちほど物への満足度が低く、金を持っていない人ほど満足度が高い。
そんなことを考えたりします。
お金がない子供時代には新しいものが買えないため、いつも同じもので遊ぶしかなく、たまに友達からもらった「あたらしいおもちゃ」が大変うれしかった。
それは友達が遊び飽きたものなのだが、俺にとっては新しいオモチャなのだ。
そういう考え方から見てみると、欲しいからと言ってすぐに買ってしまうというのは人生を退屈にさせるだけなのだろうと思う。
子供の頃に母親に1万円札を借りて、姉と模写しておもちゃの1万円札を作った記憶がある。
姉は当時から絵の才能というかセンスがあって、おれが描いたゴミの様なものと違い、大変良くできてた。
こういう思い出というのも貧乏だったからあったことで、物をすぐに買い与えられていたら起こらなかったことです。
ということから考えても「欲しいからすぐに買って、なぜこんなものを買ったのか?」って後悔していたら結局は満足できるような生活はできないんだろうなぁ。
俺にとってのハトやウサギたちは単なるペットではなくて、もっと違う物なんです。
それは血の通った生き物であり、考えることができ好き嫌いをはっきりと表現することのできる存在ですかね。
触れれば体温を感じられるというのは重要なことです。
生まれてきたからには苦しいことは少なく、楽しく安心して暮らしてもらいたい。
人間と同じ命を持っていて代りのいない生き物なんだから、そういうことを考えて飼うのもいいのではないでしょうか?
そんなことに話を持っていくと
「退屈だったらペットと遊んでやれよ」
って結論になるんですよ。
だって、人間から見れば飼ってる生き物以外にもいくらでも遊ぶものはあるけど、飼われてる方は人間しか相手がいないわけですから。
そんなことを考えて先日の茂吉を連れて海に行った行動につながったというわけ。
よく、犬を車に乗せて窓から顔を出していたりするのを見るけど、犬がとても幸せだと思うんだよなぁ。
やっぱりちょっと物事の見方を変えてみるということは必要なのかもね。

