袋ラーメンを食べながら運について考えてみる
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ウチで使ってるレンジは、新品で買ったアイリスオーヤマが壊れて恵美里からもらったもの。
で、恵美里のウチで使ってるのは、俺が健康食品の話を聞きに行ってクジ引きで当てた、そこそこいいレンジ。
当然のことながら、ウチのアイリスよりもイイものだったけど、恵美里にあげました。
なんか恵美里に御利益がありそうじゃん?
その後、ウチのレンジが壊れたときに、恵美里が以前使ってたレンジをもらって使ってます。
思えば、あの時の商品のレンジは大当たりだったなぁ・・・
人生って、個々に運の総量が決まっており、100の人も10万の人もいる。
それをどのように消費していくかなんですよね。
駄菓子屋で1等を当てて1運を使ってしまう。
事故を回避したり、違反を見逃してもらったりで、いくつかずつの運を消費。
そうして運が無くなった後で、何らかの不運で人生が終わってしまうのでは?
生きていると大きな災難に見舞われることもある。
大きな事故や怪我で入院、受験に失敗したり大きな失恋を味わったり。
この場合でも運の量は回復しません。
そういう災難などは、生きていく上での次のステップです。
なにもなかったら人間は成長しませんし。
俺の今までの人生でも色々ありましたよ。
普通経験しないような余計な事ばかり。
しかし、その余計な事をしてホントは大変なことになるはずが、なんとか切り抜けられてるってのは運がいいんでしょう。
これは、たとえば腕が無くなるところが骨折くらいで済んだということで、なにも無く無事に終わったってことではないです。
でも、それはリカバリできるでしょ?
それに運を使わなかったことで痛い目にもたくさんあってきた。
そのおかげで、T子ちゃんと一緒にいることが出来たり、いいこともそれなりにありました。
で、いよいよ人生も終盤になってきて、運を使っていく時期になったってことなんじゃないですか?
そこで運がどのくらい残っているかで老後が変わってきたり。
でもさぁ、若いうちに運を使ってメッチャ楽しい人生を送るってのもいいよなぁー。
若いころの経験は、歳を取ってからカネをいくら払ってもできないからね。
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