幼馴染みの土居流のラーメン屋の「K坊」から
「これ貸しちゃあ」て薦められ「福岡町名散歩」ていう本ば
読みよります。
この「K坊」おいしゃんとおんなし歳やけん
とても「坊」は似合わん白髪頭のおいしゃんばってんが
小さいときからの愛称はいくつになってもやっぱ変わりません。
この本は福岡の急速な都市化に伴う、整理・統合によって
消滅した150町の旧町ば紹介した本。「葦書房 井上清三著」
大黒流の旧町は分かりますバッテンが
他の流の旧町は町名は聞いたことのあるばってん
どこにあるか知らんとも有りますと。
おいしゃん「うちの流のことしかしらんもんね」
K坊「そうやけんお前んとこの流は閉鎖的て言うったい」
そう大黒流は他の流との調和、融合が無いて良う言われますと。
ほんなごとバッテン・・・・
聞くばってんどこかわからん町に「普賢堂町」て有ります。
七小路、七厨子、七堂、七口、七流、七観音の
博多ば七条の袈裟になぞらえ七七四九願ば表して
博多全体ばひとつの「伽藍」に例えたていううちの
「普賢堂」のあった町です。
七堂ちゃ「奥堂」「普賢堂」「瓦堂」「萱堂」「脇堂」「辻堂」「石堂」の
七つです。今も「奥の堂」て言うバス停の有ります。「石堂川」て言いましょう?
先の「普賢堂町」空襲も受けず昔ながらの姿ば残しますばってん
普段、立ち寄る用の無かとこやけんあんまり知りめえ?
西門(さいもん)通りのひとつ南側の横筋です。
「西門通り」ちゃ山笠用品の「山下商店」「西門蒲鉾」のある通り
明治通りのひとつ南の橋「西門橋」にいたる横筋です。
おいしゃん疎開道路からこの筋ば見る風景が好きやばってん
やっぱ用の無かけん入ってみたことは有りません。
大黒流、土居流あたりは6月19日の福岡大空襲で全滅し
戦前と区画も変わり昔の面影の無うなってしもうたばってん
「恵比須」「東」「福神」は火の手が回らず今も
昔ながらの街並みで道もせばいまんまのところの有ります。
これが一番良うわかる場所の有ります。
「横町筋」中対馬小路と下対馬小路の間
濱小路と西方寺前町の間の横筋です。
追山で最後に対馬小路筋ば北進して左折した横筋が「横町筋」
この横町筋ば東さい真っ直ぐ行ったげんたい「大博通り」に達します。
この大博通りばつっきって白水酒店(リカーショップしろうず)の「山道」から二つ目の通り
金屋町の縦筋
この金屋町ば界にここから堅町(たてちょう)に入る道は急にせぼうなります。
ここから先は戦災におうとらんけんです。
せばい博多の街やばってん昔はそれぞれの自治で運営され
町の集合体が「流」になり流の集合体が「博多」ば築き上げてきたとですね。
追山のコースです。
社家町ばスタートし、櫛田入した山は左折し祇園町ば通り
下小山町の東長寺の清道ば周り、馬場新町から辻堂の承天寺へ・・
御供所、金屋小路、東町筋ば下り、浜口町に至ります。
一転、市小路、呉服町、小山町ば南進し、奥堂から竹若町に入ります。
箔屋町、西町、蔵本、奈良屋と北進し、横町筋に左折、さらに左折して
濱小路に入り、さらに行町ば左折して妙楽寺新町と古門戸町の間ば抜け
右折して対馬小路ば北進、さらに横町筋で左折、洲先町で左折
上洲先町ば直進して山止めに至ります。
ややこらしかね~
タメニナルネ~
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