わが大黒流でも早朝から注連おろしが行われ流内12ケ町も
笹立てして町内ば清めます。
町界に笹ば立てるけん町内で本数が違います。
事前に申請して朔日に当番町から受け取ります。
すノ一さんだけは廻り止めにも笹立てるけん本数が多いです。
わが町の場合、早朝の笹立て(四本)が終わったら役員若手は朝飯食いに・・
※おいしゃんが赤手拭の入りたての頃(昭和の時代)は
若手やらおりませんけん4~5名の役員だけでこと済ましよりました。
町内の寄付もずっと少なかった時代です。
親父の時代はもっと酷く、当番町でさえ4~5人の赤手拭で
一切の仕事ば賄いよったて聞きます。
たすき(ねじねじ)ば作りながら居眠りしよったて聞きます。
もともとわが町は若手て言う組織やら無うてすべて赤手拭が
一切の仕事(昆布するめ切りから)ばしよりました。
町の一切合切の仕事ばこなし一旦山が動き出したら率先して舁き手に・・
それだけ赤手拭はステータスだけや無くハードな役職やったとです。
取締は対外(流内の他町との打ち合わせ)業務が主やけん
赤手拭が一切合切の町内の仕事ば仕切りますと!!!
うちの親父が良う言いよった・・・・
「赤手拭筆頭っちゃなんや?」ってね・・・・
「赤手拭に上も下もなかろうもん」
「ことのあったらいつでちゃ取締代行でけるとが赤手拭」ってね・・
そいけん博多では取締より「赤手拭」が実働部隊で
昔から「赤手拭なら嫁にやっても」て言う格言のあるとですよ。
取締もそう・・・・
新取締は多少の遠慮もありますばってんがそれぞれ町の代表。
格上も格下もござっせん。
そいけん取締寄りは流内での主義主張の取り合いでもあります。
大黒流の場合12ケ町の合議で山ば動かしますけんね。
そいけん取締寄りで手ば入れたら大黒流は以後一切の文句は言いません。
昭和の40年代は山笠も厳しい時代やったです。
わが大黒流でちゃ参加人数が少なくて追山でちゃ
表三番台下やら見送り二番三番はがら空きやったです。
そいけん若っかおいしゃんも格好の練習台になりよりました。
それでもわが流は追山で27分台で廻り止めに入りよったとですけん
先人達には敬意ば表します。
その昔は遅い大黒流で有名やった時、先人たちは流独自の舁き方ば
編み出しました、今に至る{前へ前へ・・}の舁き方です。
おいしゃん若っか時に大先輩から「胡瓜は舁かんで良か」
「棒受に肩充てて前さい前さい押せって」ね・・・
それと大博通はまっすぐ走れって・・・
切磋琢磨の結果、当時速さで独占状態やった大黒流も
今は並みの速さであります。
それて言うとも他の流が切磋琢磨して早うなったとです・・
大黒流のタイムは昔とそげん変わらんとです。
「30分切る」っていうとが流の目標やけんです。
櫛田入りは相変わらず下手くそ・・・・
東流の櫛田入のスピードは相変わらずです。
恵比須流の清道のコース取りは昔から天下一品。
東と大黒の良さば取り入れた千代流も素晴らしい山舁くごとなりました。
常に上位ば〆てます。
一時前は下手くそ遅いって有名やった西流・中洲流も今じゃ素晴らしい。
単なる走りぐっちょや無か・・・
それぞれの各流(自治)が目的持って切磋琢磨するとが大事とです。
結果はどげんでちゃ良かってす。
賞状貰うわけでもんないし・・・・
博多の街に法被姿がちらほら・・
山が始まったな~って思い
書きました・・・
チャンチャン
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