昔、実家の人形屋で働きよった頃は、10月ごろから年末に向けては
干支人形の販売時期やったです。
人形屋は暮れまでは干支人形、歳開けたら雛人形、連休前までは
節句人形のかきいれどきやったです。
当時の出荷場はお粗末な屋根で雪もちらつくほどで手もかじかむほど。
10度超えたら暖かいってのを実感して覚えた頃でしたやね。
毎日、夕方は運送屋さんが荷物取りに来るとと発送の荷造りするとの競争で
大忙しの日々ば過ごしよりましたばってんが・・・
今はだんだんそげな節句祝いの風習もなくなってしまいよりますね(>_<)
さて、この干支て言うとは紀元前の中国で暦や時間ば表すものとして誕生したとです。
12年で1周する木星の軌道を模したものていわれますばってんがそげな昔に
そげなことばわかる頭の良か人のおったとにはびっくりですね。
おいしゃんて言うたら「あれがさそり座、あれがてんびん座」やら言われタッチャ
わけくちゃわからんですもん(>_<)北斗七星くらいしかわからんです(>_<)
時ば表すとに数字を意味する「子」「丑」やらの12の漢字が当てられとりました。
そいけん干支で使う漢字は牛→丑、猿→申、兎→卯のごと動物やない字が使われます。
江戸時代の時も12分割では干支が用いられ「丑三つ時」やら言いますね。
昼と夜ば六つに分けた刻のあってこれは四つから九つまでば
昼と夜に当てはめてます。丑三つ時の三つはこれと違い二時間ある丑三つ時ば
三十分の四つに分けたうちの三番目で大体夜中の二時過ぎってことになります。
魑魅魍魎が跋扈する時間って言いますね。(草木も眠る丑三つ時・・・)
そげな時間に「藁人形」ば打つ人のおったら怖いです(>_<)
日本の時ではこの十二支と10日ごとに循環する日付ば表現した十干ば組み合わせて
十二支十干で60年の一回りとされてます。甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)があります。「こうおつへいてい」て言うた方がわかりやすいでしょうか?
これってものの順番にも使われてました。
「甲種合格!」そう大東亜戦争の兵役の検査です。乙種不合格にでもなったげんたい
お国のために働けんて言うて「非国民」ですばい。
ジェンダーどこの騒ぎや無かです。凄い時代やったとですよ!!
今はちょっと行き過ぎの感もあるジェンダーやらノイジーマイノリティやら!
除夜の鐘ばうるさいやら言わんでね~(>_<)
昔の人は信長の幸若舞のごと「人間五十年」て言うごと良う生きて六十年やけん
年号で言わんで甲子やらで年がわかりよったとです。
そいけん山笠の手拭やらも西暦●●●●年とか明治●●年とかであらわさんで
十二支十干で書いちゃあとですよ。こげなふうに
人間の寿命もどんどん延びてますね。
縄文時代の平均寿命は30歳やったけん年寄はおらんかったていいますばってんが
28歳でやらいきなりぽっくり死によったとでしょうね、老衰じゃなかろうけん。
けがや病気でしょうね、縄文人でちゃたまに80位まで生きたひともおったかも
江戸時代だっちゃ70,80まで生きた人もざらにおったごたりますけん。
家康だっちゃ鯛の天ぷら食うてあたらんかたらもっと長生きしたかも?・・
話のそれましたやね・・・
来年は辰年です。おいシャンの爺さんの弟は辰年に生まれたけん辰蔵さん
戦後、人形で食えんで家計が苦しい時、剣道の竹胴作って日銭稼ぎ
博多人形の高砂人形の箒やらの付属品つくるとのプロやった
おいしゃんもこの大叔父さんに習うたもんでしたやね(^^♪
こげな話はどげんでちゃいいですけど・・・
辰年は陽の気が動いて万物が振動するので、活力旺盛になって大きく成長し、
形がととのう年ていわれます。
十二支の中で唯一空想の生き物です。そいけんな~ん?てか・・・
もし、干支が中東やエジプト発祥やったら絶対猫が入ってるはずやけど
中国発祥やけん猫はおりません。虎(寅)やら犬(戌)はおります。
ちなみに2024年は「甲辰(きのえたつ)」ですけん覚えとってください。
ちなみに甲子(きのえね)は十二支十干、還暦の最初の年です。
昔、天神地下街に「甲子苑」て言うお好み焼き屋さんがありました。
甲子の年に開業したとかな?
デルモンテて言うホットドック屋さんもあったばってんがそれは別のお話です。
ついでに言うたら100円食堂も天神地下街にありました。
鯨のベーコンの千切りにかしわ飯と味噌汁で100円やった。
雑餉の駅の近くにも100円食堂はあってここも鯨のベーコンは定番やった。
阪神甲子園球場・・甲子の年にできたけんこの名前です。
だんだん話がそれてきてなん書くかわからんごとなりよるけん
この辺にしときます。