昨日の予告通り今日(すでに昨日)のお昼はカレーです。

おいしゃん芋好かんけん普段は入れんばってんが
昨年の運動会の景品が一つ残っとったけんいれました。
芋ちゃ長持ちするですね・・・・・ポークカレーやばってんが
砂ずりも入っとります。
さて昨日の同窓会の最終打合せん時ジャイアンから出来たての
「土居流記録簿」ば見せてもらいました。

非売品で自費出版らしい。
WEBの「大黒流総合サイト」の書物判であります。
うち(大黒流)と一緒でコツコツ記録集めは大変な作業やったろうて
苦労ば察します。
ばってんが書物になった方が重みのありますね。(なんか悔しか・・)
この非売品の『土居流記録簿】は、市立総合図書館(現在処理中との事)、
福岡市博物館、博多ふるさと館、伝統工芸館、櫛田神社にて閲覧する事が可能げなです。
土居流は芸術家の多かけん良かですね。

法世さんの挿絵に

金太夫のイラスト・・・

これも懐かしか面々。
大黒流も昔からの写真3000点掲載(こちらはWEBの強みです)しとりまして
いつも懐かしか先輩の写真ば見とりますばってんが
土居流は隣町、国松のおいしゃんやらばんじろのパパちゃん
元振興会会長、石橋さんの姿も懐かしかですね。
今はご法度、腰に舁き縄巻いた人(左端)もおりますね・・

これは昭和38年の櫛田入(馴らし)でしょう。
おいしゃん7つのときですばってんがこの飾り覚えとりますもんね。
西鉄ライオンズが最後のリーグ優勝した年です。
大黒流と違い鼻取りは前に引っ張るスタイルですね。
大黒流の鼻取りは棒の横に位置し山ば引っ張ることはせんスタイルです。
どっちが良かかは議論に値しません。
流独自のやり方ですけん。後押しも大黒流は締込の腰ば押す
土居流は肩に手ば当てて押すやり方。
この年大黒流は「下す」が当番町

飾りは「神輿」です。はいっ台上がりちゃんと立っております。
大黒流の昔からの伝統ですね。
現在は台上がりが神様の前で棒の上に立ちあがるとは御法度ですばってんが
(※近年立ちあがって翌年山笠参加出来んやったやからもおったね月しゃん・・)
当時は悠長なお祭りでしていつから今のごと
しつむつかしゅうなっとでっしょうね。
現在、大黒流の流順は土居流の後ですばってんが
当時の記録では昭和38年は土居流が六番山笠、大黒流が五番山笠であります。
この辺土居流の流解散、保存会、流復帰による関係でっしょうばってんが
東流れも以前は流順は大黒流の前やった記憶のありますと。
伝統は昔からと同じことば周到して続けることも大事ばってんが
博多の山笠はその時代その時代に合わせて臨機応変に時代に合わせて
変わって来とります。
これは博多の歴史からしてもおんなじ。
日本で一番大陸に近い都市また海外との貿易の基点としての
博多ならではの臨機応変なやりくりで
博多は生き残ってきた経緯のありますもんね。
ゲイツ行ったら中国人ばっか・・・・
い~やその昔は博多は日宋貿易で博多郷主は皆中国偉人やったとです。
いまのごと「爆買い観光客」やぁなかったでっしょうが・・
大黒流総合サイトは書物や無かけんまだ進化系ですもんね。
昨年も「座談会」形式で昔ば思い出し・・・・
今年の大黒流の当番町は「古ノ二」です。
土居流の今年の当番町の「西方寺前町」とは隣り合わせの町。
その両方の町に面する「ナラヤ燃料」の井上のじっちゃん
良か次期やけん死ぬ前(すいまっせん縁起でもなか)に
大黒流座談会に引っ張り出そうかいな?
まだまだ元気で屋台の炭の配達がてら食材の買い出しもしよりますけんね。
昔の記憶がまだ鮮明なうちにです・・