今の若っか人は知らん人も多かろうけんちょこっと説明。
日本がロシアと戦争しよった1904年(明治37年)。
当時は無敵ば誇っとったロシアのバルチック艦隊は
バルト海の港ば10月に出向します。
ヨーロッパ~アフリカ大陸~東南アジアば回って日本海ば抜け
ウラジオストックに戻り制海権ばとる目的です。
この年明け日本軍は多大な犠牲ば払いながらもやっと203高地ば落とし
旅順ばとり旅順のロシア艦隊も壊滅した頃です。
ロシアは今も一緒で昔もいい加減やったごたります。
本体は計画より艦船が大きすぎてスエズ運河ば通れんやったけん
二班に分かれ本体ははるばる喜望峰ば回っての大航海です。
対馬海峡に来るまで半年以上もかかっとります。
それて言うともインドや東南アジアでロシア艦隊の寄港は許されんかったけん。
ここに来る前北海でロシア艦が日本の水雷艇と間違えて
イギリスの漁船ば攻撃したけんイギリスは反露親日に傾いとったとです。
東郷平八郎率いる日本連合艦隊はそのバルチック艦隊ば迎えるべく
待機しとったばってんが対馬海峡抜けてくるか?はたまた津軽海峡経由、宗谷海峡
で来るか当時はレーダーも長距離偵察機も無か時代ですけんね・・
映画やらでは漁師が黒煙吐きながら通過するバルチック艦隊ば見つけ
慌てて船漕いで戻って連絡した・・やらのお話も出てきますばってんが
史実は対馬東水道で仮装巡洋艦「信濃丸」が発見したとです。
あとは有名な日本連合艦隊の秘策「東郷ターン」で
ロシアバルチック艦隊に打勝ったんであります。
当時はロシアは黒色火薬日本は白色火薬ば使うておりました。
ロシアは一発撃ったあと煙で一時撃てんとばってんが日本は違います。
敵前でまさかのターンで横腹ば見せて片舷からの一斉射撃するとが
東郷ターンであります・・・・※だんだん弁士のごとなってきた(^^♪
今も福岡市の北東、福津市の津屋崎に「東郷神社」があり
東郷平八郎が祀ってあります。
こげな亜細亜の小国がなんで大国ロシアに勝てたとか?
それは今のウクライナみたいに当時のイギリスが資金面でも
日本に加担してくれたけんです。日本はイギリスから多大の借金で
戦争ができたとですね。
その後の第一次世界大戦でも日本は勝ち組になるとばってんがこっから一転
西側諸国はアジアの人種開放ば訴える日本に敵対するごとなり
日本は国際連盟ば脱退し孤立化の道に走りついにはアジアの為に
一人負けして今に至ります。
しかし当時の船もしかり大航海時代含めて何か月もなん食べよったとかいな?
当時は日本の軍艦やらもヨーロッパまで行きよりましたもんね。
ものの本によると大航海時代は家畜(鶏やら山羊)ば船で飼うとったて聞きます。
ばってんが一番問題なとは飲み水やろう?
食べもんの米やら味噌、根菜類は長持ちするばってんんが当然青野菜と
肉は無かったろうけん干し魚くらいやろうか?
水は長う置いたら腐りますばってんが戦争行った親父からは
「船は揺れるけん水は腐らんと」て聞いとりましたばってんが
やっぱどっかで補給せないかんですもんね。
今も海上保安庁や海上自衛隊は水節約で風呂は塩水って聞きます。
ましてや今や女性の乗組員もおる時代(自衛隊には女性艦長も・・)
船内の設備も改良されたことでしょう。
海鮮記念日ば前にしてそげなことばふと思うて書いてみましたやね・・
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