間もなく若くして亡くなりました。
常々、まいっぺん会いたか!て思いますばってん
それは叶わぬ夢。
いっつも困った時は
今、生きとったらお袋はなんて言うか?て思うとです。
甘えん坊やったけん子供の頃は
いっつもお袋のそばに引っ付きまっつきしよりました。
ばってん商売しよったけんそうは金魚の糞のごと
付いて廻ることができんかったとが寂しかったですね。
住み込みの従業員もおんしゃったし
家族だけの団欒ていうものにいっつも憧れとりました。
いつも従業員と一緒の食事やったけん
お袋が家族専用の台所ば作ってくれたときは
嬉しかったですね。
仕事終わってお袋が家事ばする時
アイロンかける時、裁縫するとき、台所仕事するとき・・
は傍から離れんで見よりました。
今もお袋が使いよった裁縫箱が手元にあります。
ほとんど使いませんけん当時のままです。
親父とお袋が夫婦喧嘩して親父に投げ飛ばされたこともある
この裁縫箱・・
何でも捨てんで取っとく人やったけん
ボタンがいっぱい入っとりました。
懐かしか見たことのあるボタンがいっぱい・・・
「リフォームの匠」やったら「思い出」として
なんなと利用しんしゃあとやろうばってん・・
こないだふてました・・・・
はさみも昔ながら・・
真田紐やら、パンツのゴムやらも当事のまま入っとります。
親父の「赤手拭」で作った赤ちゃん用の手拭いも
この裁縫箱が活躍したとやろう。
旧町の古い当番法被も解いて子供用の
短い当番法被ばこしらえてありました。
ばってんおいしゃんな「太郎次郎」やけん
我が息子たちにゃあこの法被廻ってこんかった。
小学校、中学校の運動会のゼッケン付け
学校に持っていく雑巾
※今は雑巾でさえ売ってある時代・・
やっと山ば舁けるごとなって「台廻り憲章」ば
貰うてきたときも、一晩で肩に縫い付けてくれました。
新しか水法被はいつも袖ばあげてくれよりました。
針に糸ば通すともやおいかんけん通すとば
手伝いよりましたバッテン
お袋の歳に近づいた今はおいしゃんも
老眼でやおいかんごとなってきました。
今もお袋が使うた糸がそのまま針についたままです。
たぶんもう誰も使わんと思われるこの裁縫箱・・
おいしゃんが生きとう間だけは
大事に取っとこうておもいます。
「台廻り憲章」
山笠において山笠の廻りでは交代の舁き手ば赤手拭はもちろん
台廻りは常に探しとります。
肩に赤い布ばつけたものは「舁き手です」て言う
目印になります。各町は赤手拭以下の若手で
バリバリ戦力ですていうものに「台廻り憲章」ていう
赤い布ば配ります。舁き手は自分の利き肩につけておきます。
台廻りは舁き手が疲れたとき周りのこの「憲章」ばつけた
舁き手ば探して交代ば促すとです。
この「憲章」ばつけたもんは肩の肉がめくれるくらい
山に付いて舁くくらいでなからな山は動きませんと
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