「帰国までに完成させること」と旅の宿題にピラミンクスをもらった。ひと昔前に流行ったルービックキューブに似ている。三角錐の4面の色を合わせることがゴールだ。機中の退屈な時間を想定し、旅を応援してくれる友人の遊び心が嬉しい。
その彼に、「ブログを書き続けることは一種の強迫観念とも言えないか」と訊かれた。
若い頃、10年ほど大学ノートに日々の雑感や出来事を赤裸々に書き綴っていた時期がある。やがて、ある時期に突然、書くエネルギーが消えた。最初の結婚を決心する頃に前後していたかもしれない。20冊ほどの大学ノートは、段ポール箱に詰めてガムテープで密封し、誰に開封されることなくいずれ焼却するときがくるだろうと漠然と思っている。
ブログはそうしたプライベートな日記とは異なる。
読み手を意識するか否かの違いは大きい。「伝えたい」という動機は、何気ない言葉や目に飛び込む刺激に触発されて増殖する。伝えたい言葉や風景はメモ書きにし、後でゆっくり反芻してみたいと思う。その反芻を助けてくれる場所がブログなのだろう。日常に溢れている驚きや喜びや焦燥感を誰かと共有したいと思うことこそ、自分が気付かない傲慢さなのかもしれないのだが。
↓こちらのブログもお楽しみください。
その彼に、「ブログを書き続けることは一種の強迫観念とも言えないか」と訊かれた。
若い頃、10年ほど大学ノートに日々の雑感や出来事を赤裸々に書き綴っていた時期がある。やがて、ある時期に突然、書くエネルギーが消えた。最初の結婚を決心する頃に前後していたかもしれない。20冊ほどの大学ノートは、段ポール箱に詰めてガムテープで密封し、誰に開封されることなくいずれ焼却するときがくるだろうと漠然と思っている。
ブログはそうしたプライベートな日記とは異なる。
読み手を意識するか否かの違いは大きい。「伝えたい」という動機は、何気ない言葉や目に飛び込む刺激に触発されて増殖する。伝えたい言葉や風景はメモ書きにし、後でゆっくり反芻してみたいと思う。その反芻を助けてくれる場所がブログなのだろう。日常に溢れている驚きや喜びや焦燥感を誰かと共有したいと思うことこそ、自分が気付かない傲慢さなのかもしれないのだが。
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作家になりたがる人は多いけど、誰かに読ませたいという気迫のある人は少ない・・・というようなことを山田詠美さんがどこかで書いていましたが、そうかも知れません。
読み手を意識することによって、独りよがりにならず、冷静さを保てるのかも知れませんね。
旅先からのブログに期待!
ピラミンクスも是非完成させてください。