11世紀にベルベル人による最初のイスラム国家がつくられたマラケシュ(Marrakech)は、フェズ(Fez)に次いでモロッコで2番目に古い街。大きなメディナと個性的な広場の存在感が多くの人を魅了する。「赤い町」を意味するマラケシュは城壁も建物も全て赤い土の色。
グラナダでモロッコ行きを思案していた時、周囲のスペイン人にモロッコのどこが一番いいかと訊くと、大抵の人が「マラケシュかフェズだよ」と答えた。
そう答える彼らの頭の中には、恐らく、古いメディアの混沌とした様相が思い出されていたに違いない。
絨毯・ミントの葉・食器・スパイス・籐のかご・漢方薬・牛の足・かたつむり・銀食器・結婚式の道具・魚・革細工…メディナを活気付かせるスーク(商店街)は、宝箱とおもちゃ箱を同時にひっくり返したような様々な品物で満ち、全体は迷路のように果てしない。
マラケシュもフェズも、人間味あふれるメディナに人が引き寄せられていく。
マラケシュには、多くの史跡や目を見張る細工の施された宮殿が数多く存在するが、メディナの中心にある「ジャマ・エル・フナ広場(Place Djemaa el Fna)」を語らずにマラケシュを語ることはできない。
「いいですか。カメラと小銭以外はすべてバスの中に置いてきてください。スリの巣窟に入りますから」とガイドのジョナさんは注意深く言った。
わくわくしながら彼の後について夕暮れのフナ広場に近づくにつれ、軽快に太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてきた。それと共に暗くなりつつある空を照らす明かりと香ばしいにおいのする煙も漂ってくる。今夜はイスラム教の祭日だろうか。広場で何か祭事が行われているのでは。と、更に気持ちは高まる。
広場は、祭りの最中のよな喧騒だ。太鼓の音も数箇所の人ごみの中から上がっている。裸電球に照らされた露天の食堂が広場一面に店を並べている。その賑やかさにあっけにとられていると、ジョナさんがまた全員を集めて大きな声で言った(3ヶ国語で説明する大声も太鼓の音に負けるほどだ)。
「今夜が何かの祭りだと思う人もいるでしょうが、今日が特別というわけではありません。これが、このフナ広場の日常の風景です。」 なんて素敵な広場だろう。
「これから、左回りで広場を歩き、最後に広場角のレストランの3階テラスに上がって全体を見下ろしながらちょっと一休みしますが、いいですか、大道芸人にカメラを向けたり、芸を見物したりしたら、チップをあげてください。彼らはそれで生活しているのでお願いしますね」とジョナさん。
マラケシュまでの道すがら、バスが立ち寄ったドライブインのトイレで、要求されたチップを渡さなかった参加者が多かったと、彼はドライブインから、強い苦情を受けたと言っていた。富める者が貧しき者に与えるバクシーシの習慣がイスラム世界には色濃く存在しているが、何かお世話になったときに「チップ」の習慣のある国の人たちも、小銭の出しどころのタイミングを失うことはある。
「ここの露天レストランの食べ物はどれも信じられないほど安いです。でも、熱い中で調理する人の汗や鼻水を拭った手で肉が刻まれている光景を見ると、ツアーの皆さんは食欲をなくすでしょう」とジョナさん。これから案内する高級レストランの方がずっと清潔でいいと言外に漂わせるところはさすがツアーガイドである。
しかし、多くの観光客が簡易ベンチにすわり、目の前で料理されるシーフードや野菜料理に舌鼓を打っている。あの喧騒の中で、食べる料理は最高に違いない。こんな楽しい場面を去って、壁に囲まれた高級レストランで過ごすのはもったいない。
マラケシュ二泊目の夜、「ファンタジア鑑賞付きディナー」をキャンセルし、屋台料理を食べにフナ広場に戻ってきた。
1日5回、アラーに祈りを捧げる時間になると広場にあるモスクのミナレット(尖塔)のスピーカーからお祈りを呼びかけるアナウンスが響きわたる。
食後、雑貨を広げている露天商を冷やかし、広場周囲にある洋服屋で民族衣装のジュラバを物色していると、祈りを呼びかける声があたり一面に響いた。モスクに行かないのかと応対している髭の男性に訊くと、「アッラー神は我々の仕事をちゃんと理解している」と彼は言った。続いて覗いたサンダル屋では、客の去った狭い店の奥で店主が正座し礼拝している最中だった。
↑魅力的なモロッコ料理がメニューに並ぶ露天。観光客向けなので、ジョナさんが言う「信じられないほど」の安さとは言えない。羊の串焼き2本320円。
↑ガス灯の明かりの中で踊る大道芸人。周囲からチップを集め、満足する金額まで集まらないとスタートしない。始まりを待つ観客をじらす話術は実に巧み。
↑露天レストランの横にオレンジのジュース屋台が軒を並べる。モロッコの西海岸沿いにもイベリア半島と同様にみかん畑が広がる。絞りたてのオレンジジュースは大きなグラスで32円。
↑夜の喧騒とは趣の異なるフナ広場には、ベルベル人の伝統衣装を身につけたフォトモデルが写真をとる客を待っている。
↑蛇を首に巻いて写真を撮らないか、としきりにアメリカ人家族を誘う露天商
↑スーク(商店街)の陶器屋に並ぶ大皿には、ベルベル人やアラブ人特有の模様が見える。
↑スークに並ぶ鞴(ふいご)の工房
↑仕事の合間に礼拝するタクシー運転手。1日5回の祈りを忠実に履行するムスリムたちの宗教観について一度じっくり聞いてみたいと思うのだが、なかなか機会がない。
↑メディナの中にあるモスクの入り口。
↑メディナの壁に描かれている枠は、各選挙候補者の広報スペース。
↑マラケシュには宮殿や霊廟群などの史跡も多い。現国王も宿泊するバイヤ宮殿の中庭にはモロッコタイルが敷き詰められている。建造時、周囲の部屋は4人の妃と24人の側女たちのものだったという。
↑19世紀末に7年かけて建造されたバイヤ宮殿は、アルハンブラ宮殿に観るイスラム文様や建築様式で飾られている。
↑「依頼主がいて、初めて建築芸術が生まれる」というスペインで買ったガウディ建築の紹介文の一節が思い出される。細微なイスラム芸術が残るのも、それを創作させるだけの財力を持った王がいたからということになる。
グラナダでモロッコ行きを思案していた時、周囲のスペイン人にモロッコのどこが一番いいかと訊くと、大抵の人が「マラケシュかフェズだよ」と答えた。
そう答える彼らの頭の中には、恐らく、古いメディアの混沌とした様相が思い出されていたに違いない。
絨毯・ミントの葉・食器・スパイス・籐のかご・漢方薬・牛の足・かたつむり・銀食器・結婚式の道具・魚・革細工…メディナを活気付かせるスーク(商店街)は、宝箱とおもちゃ箱を同時にひっくり返したような様々な品物で満ち、全体は迷路のように果てしない。
マラケシュもフェズも、人間味あふれるメディナに人が引き寄せられていく。
マラケシュには、多くの史跡や目を見張る細工の施された宮殿が数多く存在するが、メディナの中心にある「ジャマ・エル・フナ広場(Place Djemaa el Fna)」を語らずにマラケシュを語ることはできない。
「いいですか。カメラと小銭以外はすべてバスの中に置いてきてください。スリの巣窟に入りますから」とガイドのジョナさんは注意深く言った。
わくわくしながら彼の後について夕暮れのフナ広場に近づくにつれ、軽快に太鼓を打ち鳴らす音が聞こえてきた。それと共に暗くなりつつある空を照らす明かりと香ばしいにおいのする煙も漂ってくる。今夜はイスラム教の祭日だろうか。広場で何か祭事が行われているのでは。と、更に気持ちは高まる。
広場は、祭りの最中のよな喧騒だ。太鼓の音も数箇所の人ごみの中から上がっている。裸電球に照らされた露天の食堂が広場一面に店を並べている。その賑やかさにあっけにとられていると、ジョナさんがまた全員を集めて大きな声で言った(3ヶ国語で説明する大声も太鼓の音に負けるほどだ)。
「今夜が何かの祭りだと思う人もいるでしょうが、今日が特別というわけではありません。これが、このフナ広場の日常の風景です。」 なんて素敵な広場だろう。
「これから、左回りで広場を歩き、最後に広場角のレストランの3階テラスに上がって全体を見下ろしながらちょっと一休みしますが、いいですか、大道芸人にカメラを向けたり、芸を見物したりしたら、チップをあげてください。彼らはそれで生活しているのでお願いしますね」とジョナさん。
マラケシュまでの道すがら、バスが立ち寄ったドライブインのトイレで、要求されたチップを渡さなかった参加者が多かったと、彼はドライブインから、強い苦情を受けたと言っていた。富める者が貧しき者に与えるバクシーシの習慣がイスラム世界には色濃く存在しているが、何かお世話になったときに「チップ」の習慣のある国の人たちも、小銭の出しどころのタイミングを失うことはある。
「ここの露天レストランの食べ物はどれも信じられないほど安いです。でも、熱い中で調理する人の汗や鼻水を拭った手で肉が刻まれている光景を見ると、ツアーの皆さんは食欲をなくすでしょう」とジョナさん。これから案内する高級レストランの方がずっと清潔でいいと言外に漂わせるところはさすがツアーガイドである。
しかし、多くの観光客が簡易ベンチにすわり、目の前で料理されるシーフードや野菜料理に舌鼓を打っている。あの喧騒の中で、食べる料理は最高に違いない。こんな楽しい場面を去って、壁に囲まれた高級レストランで過ごすのはもったいない。
マラケシュ二泊目の夜、「ファンタジア鑑賞付きディナー」をキャンセルし、屋台料理を食べにフナ広場に戻ってきた。
1日5回、アラーに祈りを捧げる時間になると広場にあるモスクのミナレット(尖塔)のスピーカーからお祈りを呼びかけるアナウンスが響きわたる。
食後、雑貨を広げている露天商を冷やかし、広場周囲にある洋服屋で民族衣装のジュラバを物色していると、祈りを呼びかける声があたり一面に響いた。モスクに行かないのかと応対している髭の男性に訊くと、「アッラー神は我々の仕事をちゃんと理解している」と彼は言った。続いて覗いたサンダル屋では、客の去った狭い店の奥で店主が正座し礼拝している最中だった。
↑魅力的なモロッコ料理がメニューに並ぶ露天。観光客向けなので、ジョナさんが言う「信じられないほど」の安さとは言えない。羊の串焼き2本320円。
↑ガス灯の明かりの中で踊る大道芸人。周囲からチップを集め、満足する金額まで集まらないとスタートしない。始まりを待つ観客をじらす話術は実に巧み。
↑露天レストランの横にオレンジのジュース屋台が軒を並べる。モロッコの西海岸沿いにもイベリア半島と同様にみかん畑が広がる。絞りたてのオレンジジュースは大きなグラスで32円。
↑夜の喧騒とは趣の異なるフナ広場には、ベルベル人の伝統衣装を身につけたフォトモデルが写真をとる客を待っている。
↑蛇を首に巻いて写真を撮らないか、としきりにアメリカ人家族を誘う露天商
↑スーク(商店街)の陶器屋に並ぶ大皿には、ベルベル人やアラブ人特有の模様が見える。
↑スークに並ぶ鞴(ふいご)の工房
↑仕事の合間に礼拝するタクシー運転手。1日5回の祈りを忠実に履行するムスリムたちの宗教観について一度じっくり聞いてみたいと思うのだが、なかなか機会がない。
↑メディナの中にあるモスクの入り口。
↑メディナの壁に描かれている枠は、各選挙候補者の広報スペース。
↑マラケシュには宮殿や霊廟群などの史跡も多い。現国王も宿泊するバイヤ宮殿の中庭にはモロッコタイルが敷き詰められている。建造時、周囲の部屋は4人の妃と24人の側女たちのものだったという。
↑19世紀末に7年かけて建造されたバイヤ宮殿は、アルハンブラ宮殿に観るイスラム文様や建築様式で飾られている。
↑「依頼主がいて、初めて建築芸術が生まれる」というスペインで買ったガウディ建築の紹介文の一節が思い出される。細微なイスラム芸術が残るのも、それを創作させるだけの財力を持った王がいたからということになる。