新編 辺境の物語 第二巻 カッセルとシュロス 中編 1話
【フィデスの独白ー1】
小さな窓から射しこむ陽の光だけが私の希望です。
私は暗く冷たい牢獄に閉じ込められています。もう何日経ったのかも分かりません。毎日のように暴行されています。さしたる理由もなく殴られたり、あるいは辱めを受けたりと、それは酷いものです。胸や背中には鞭で打たれた傷痕が残っています。宙吊りなってぶら下がったまま気を失ってしまったこともありました。
戦いに負けたのですから仕方ありません。
エルダさん・・・私はその人の名を何度も口にしました。
エルダさん、助けてください。
〇 〇 〇
・・・私はカッセル守備隊との戦さに敗れて捕虜になりました。捕虜として連行されるとき、私たちは馬車に乗せられました。私たちというのは捕虜は二人で、若い隊員のパテリアも一緒でした。
私を捕らえたのは指揮官のエルダです。エルダはとても残酷な女です。平気で残虐なことをする女でした。戦闘が終結した後で、無抵抗の仲間に暴行を加え大怪我を負わせたのでした。戦場での出来事とはいえ、あまりにも酷い仕打ちでした。
きれいな顔をしていますが、その仮面の下は恐ろしい怪物なのです。
エルダは人間ではありません。
私はエルダに一瞬でも好意を抱いたことを恥ずかしく思います。
馬車には守備隊の隊員が乗っていました。そのうちの一人はお嬢様と呼ばれていました。もう一人は身の回りの世話をするお付きです。馬車が動き出して間もなく、お嬢様が私たちの身体を縛っていた縄をほどいてくれました・・・・・・
・・・・・・馬車が揺れるたびに木の枠に身体がぶつかります。パテリアの身体にも当たりますが、縛られていては避けることができません。
「アンナ、この人たち、かわいそうですよ」
お嬢様がそう言うと、お付きのアンナが縄をはずしてくれました。
「マリアお嬢様のお心遣いです。逃げたりはしないでください」
私はパテリアを抱きしめました。仲間と引き離され、パテリアはどんなにか不安でしょう。それは私も同じです。カッセルでは監獄に押し込まれたり、そして畑仕事や水汲みなどの強制労働が待っているのです。
もう二度とシュロスへは帰れないかもしれません。
アンナが水筒を差し出し、お菓子も勧めてくれました。甘いチョコレートです。空腹で疲れている身体にはとても助かりました。
私は軽く頭を下げました。
ところが、パテリアは、
「ねえ、何でお嬢様って呼ばれているんですか」
と、馴れ馴れしい口調で尋ねるのです。
「タメ口はいけません」
案の定、アンナにたしなめられました。
「お嬢様は、とある貴族のご令嬢です」
貴族と聞いて私は座り直しました。
「高貴なお方とは存じ上げず失礼いたしました」
「いいんですよ、私は人から頭を下げられることには慣れておりますので」
お嬢様の話は微妙にズレていますが貴族の娘とあれば納得です。
「そんな偉いお嬢様が守備隊に入って、こんな田舎の戦場に出てくるなんてあり得ない」
パテリアは貴族のお嬢様と分っても相変わらず友達のような話し方をします。
「そうなのよ、私はイヤだって言ったのに、皇位・・・」
お嬢様の言葉をアンナが遮りました。
「いえ、その、実は、花嫁修業でして」
戦場で花嫁修業とは聞いたことがありません。
「それは、まあ、とんだ花嫁修業でしたねえ」
私が労わると、お嬢様は言いました。
「そうですよ。敵の悪い人たちが追いかけてきて、剣を振り回して襲ってきたんです」
敵の悪い人というのが、私たちのことだと気付いていないようです。
「お嬢様、この人たちが、その敵の悪い人なんですよ」
「それを早く言ってよ」
お嬢様は馬車の荷台から身を乗り出しましたが、すぐに首を引っ込めました。
「ヤバい、外にはベルネさんがいる。捕まったらイジメられる」
それから、私たちを振り返って、
「この人たちは・・・それほど悪いようには見えませんね」
と言ったのでした。
これには喜んでいいのやら分かりません。
「フィデスさんは戦場でお嬢様のことを助けてくれたのですよ。もう忘れちゃったんですか。部下のナンリさんも、早く逃げなさいと言ってくれではありませんか」
「ああ、そうでした。その節はいろいろご親切にしていただきました」
一件落着したようです。
それから暫くしてお嬢様とパテリアは互いに寄り添って眠ってしまいました。
私は守備隊の三人の姿が見えないことに気が付きました。三姉妹という三人組です。中でもレイチェルという隊員のことが気に掛かっています。シュロス月光軍団が敗北したのも実はレイチェルに原因があるのではないかと思ったのです。戦いのさ中では混乱して考えがまとまりませんでしたが、馬車に揺られながら一つの可能性を思い付いていました。
それは・・・月光軍団を襲った黒づくめの鎧を着た怪物とレイチェルとが同一人物ではないかということです。
私と部下のナンリに怪物が迫ってきました。殺されると覚悟したのですが、どうしたことか、怪物は急にその鋭い爪を引っ込めました。私たちは助かったのです。そのとき私は、レイチェルが身に着けていたペンダントが怪物の首にぶら下がっているのを見たのです。怪物が奪い取ったのだとばかり思い込んでいましたが、今でもレイチェルがそのペンダントを持っているとしたらどうでしょうか。
そうです。レイチェルが怪物に姿を変えたと考えると辻褄が合うのです。
レイチェルが戻って来た時に確認しようとしたのですが、混乱の中でそれはできませんでした。
しかも、三姉妹は帰途の部隊にはいないのです。そのことをお付きのアンナに訊くと、三姉妹はご褒美に温泉に行ったとのことです。
私は来た方角を振り返りました。
遠くには人を寄せ付けない灰色の丘が見えました。空にはどんよりとした雲が垂れこめています。この空の下、月光軍団は無事に撤収できるでしょうか。敗戦の失意の中、多くの負傷兵を抱え撤収していくのです。シュロスまでは過酷な道のりになることでしょう。撤収部隊の指揮はナンリが執っています。冷静なナンリならば、きっと、困難な任務でも遂行してくれると思います。
そうでした、王宮からローズ騎士団がシュロスへ向かっているのでした。しかし、この敗戦では出迎えどころではなくなってしまいました・・・
カッセルの城砦が近づくとそれまでの雰囲気が一変しました。私たちは馬車から降ろされ縄で縛られました。沿道には守備隊の帰還を一目見ようと大勢の人が集まっていました。副隊長補佐のアリスは手を振って声援に応え、凱旋将軍を気取っています。
私たちは小突かれながら歩きました。見せしめにされたのです。
城砦の門に着きました。
エルダは出迎えた人々の前で土下座するように言いました。人が見ている前では偉そうに見せたかったのでしょう。
仕方ありません、私は捕虜にされたのですから。
「カッセル守備隊、ただいま戻りました。月光軍団を打ち負かし、大勝利で凱旋しました」
アリスがそう叫ぶと群衆の間から大歓声が上がりました。
こうして私たちの捕囚生活が始まったのです。
<作者より>
この第二巻では、フィデスの独白の部分だけは一人称で書き進めてあります。
今回掲載した箇所には、こっそり伏線を忍ばせておきました。
フィデスが投獄されているのは・・・
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