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連載第8回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-02 13:42:11 | 小説

 

 新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 8話

 第三章【新任の指揮官】①

 

 カッセルの城砦の地下牢で見つかった女は、自らをエルダと名乗った。入隊前に蒸発した隊員とは別人だったが、人数不足を補うためにアリスの部隊に採用された。
 エルダはすぐに隊員たちと打ち解け、間もなく、「指揮官」と呼ばれるようになった。アリスよりは頼りになると思ったのだろう。
 それが正解だ。
 なにしろ、副隊長のイリングには「補佐は不必要」と宣告され、アリスは仕事がなくなって、守備隊の中で干されていたのだ。特にここ数日、守備隊の隊員から向けられる微妙な視線を感じていた。アリスを見かけると、指差してあからさまに笑っている者もいるのだった。

 エルダは見つかった当時は汚れていたが、水で顔を洗うと、これがすばらしい美人だった。整った顔立ちに鼻筋が通って、優しい眼差しをしている。しかも、指揮官に祭り上げられるだけあって、頭は良いし、理に適ったことを言う。
 なんでこんな辺境にやって来たのか、アリスには不思議でならなかった。エルダならば州都で、というより王宮で働くこともできよう。その美貌が貴族の目に留まって側室になれるかもしれない。強いて欠点を探すと、歩くときに左足を引きずることや、右手が動かしにくいことぐらいか。それもおそらくは、発見された際に負っていたケガの影響だろう。
 こうして、今やエルダが指揮官として部隊を仕切ることになり、隊員たちは公然と「エルダの部隊」と呼んでいるのだった。
 守備隊本隊どころか所属する部隊からも干されるアリスであった。

 カッセルの城砦の食堂の隅にアリスの部隊の隊員が車座になって座っていた。扉の開け放たれた台所には、木の樽が積まれ、ニンジンやイモが入った籠が無造作に置かれている。レイチェルたち見習い隊員だけでなく、全員がメイドの仕事を手伝っているので、食事はいつも一番最後になる。副隊長補佐といえども例外ではない、アリスは炊事の手伝いまでさせられていた。
 隊員たちは椅子とテーブルではなく土間に腰をおろしていた。地下牢で発見された女、エルダも食事の輪に加わっている。
 今夜の食事もパンとスープだけだった。
 パンを千切ろうとしてマリアお嬢様が泣いた。お嬢様の力では硬いパンが千切れなかった。
「スープに浸して召し上がってください、お嬢様」
 メイド長のエリオットが気遣いをみせる。
「でも、このスープ冷えてます。温かいのが欲しいんです」
「そうねえ、お嬢様もよく働いたから、温めましょう」
「ダメよ、一人だけ特別扱いしないで」
 カマドに行こうとするエリオットをベルネが制した。
「パンが硬いとか、スープがぬるいとか文句を言うんじゃないの。食えるだけマシさ。戦場に行ったら泥水をすすって、草を噛み、ヘビやカエルを食べるんだから」
「はひ、カエルなんて・・・」
 泥水にカエルと脅されてマリアお嬢様はますます泣いた。
「泣くんじゃない、マズイ飯がよけいマズくなる」
「マズイ飯で悪かったわね」
 エリオットが釘を刺した。
「マリアは水桶一つ持てないんだから。あたしまで手伝わされた」
 お嬢様はここでも迷惑ばかりかけている。野菜を洗うのに冷たい水に手が入れられないし、羊の肉にハエが群がっているのを見て悲鳴を上げるありさまだ。お付きのアンナやレイチェル、クーラたちは自分の仕事を後回しにして面倒を見ているのだが、足を引っ張っていることは間違いない。
 ベルネは文句を言いながらも、陰ではお嬢様の分まで水桶を運んでいるのだった。

「副隊長補佐殿」
 ベルネがアリスに声をかけてきた。お嬢様の次に狙われたのはアリスだ。
「あんた、何かワケありだよね、こんな辺境に飛ばされてきたのは」
「うぐっ」
 呑み込もうとしていたパンが喉に引っ掛かった。慌てて冷たいスープで流し込む。
「ゲホッ・・・その、単なる人事異動と聞いています。軍隊ではよくあることでして、人事異動は」
 部下の手前、不倫で左遷させられたなんて本当のことは言えない。
「ごまかさないで、あたし知ってるんだから」
「何のことでしょうか」
「あんた、不倫したんでしょう」
「ギクッ、そ、それはですね、ええと」
 不倫のことを知られていたのだ。
 兵士のスターチとお付きのアンナがクスクス笑いだした。お嬢様は何のことかといった感じでポカンとしている。
「妻子ある男とイチャイチャするなんて見かけによりませんね」
 スターチにも嫌みを言われた。
「この私が不倫だなんて・・・それは何かの間違いでは」
「隊長のところの隊員はみんな知ってたよ。あたしはロッティーから聞かされたんだ」
 なんということだ、隊長のリュメックがアリスの秘密を漏らしてしまったのだ。ここ数日、アリスに注がれる微妙な視線は不倫がバレたからだった。
「この間、エルダさんが見つかったとき、ロッティーを地下牢に置き去りにしてやった。アイツ、それを根に持って言いふらしてるんだ」
「地下牢に置き去りにしたんですか」
「ついでにブラシで顔を撫でてやった」
 撫でたのではなくてブラシで叩いたに決まっている。おかげでアリスがとばっちりを受けてしまったではないか。


 これでは嘘は突き通せなくなった。
「そうですか・・・すみません、してました、不倫」
 アリスは部下の前で不倫を認めた。
「だから飛ばされてきたんだ。辺境で死ねと言われたようなものだ」
「戦場では自分を盾だと思って、弓の的になってください」
 ベルネとスターチから戦場で死ねと言われてしまった。
「いえ、その、戦場には行きたくない心境でして」
「行くんだよ。命令拒否したり、敵前逃亡したら軍事法廷が待っている。有罪になって死ぬまで牢獄だ」
「牢屋はもったいないわね。いっそのことギロチンでバッサリっていうのはどう?」
「それもそうだ、不倫なんて面倒なことをしたヤツは生かしちゃおかないだろう」
 戦場、監獄、それとも断頭台、恐ろしい選択肢が増える一方だ。アリスの未来はますます閉ざされた。
「すみませんでした。今後はご迷惑おかけしないようにします」
 ペコリと頭を下げた。指揮官のエルダや部下の前でみっともない姿を晒してしまった。不倫が知られたので、これでますます干されるだろう。アリスは指揮官のエルダを見やった。エルダはいつものように冷静な表情で話を聞いていた。アリスの不倫には無関心なようなのでホッとした。
「まあ、ちょっとくらい悪いことをした者でなければ、こんな辺境の最前線は務まらないんだ。その点、あんたは立派な上官だってことさ。あたしたちの誇りだ」
 不倫を責め立てたベルネが一転して擁護するようなことを言ってくれた。
 これで不倫の話題からは逃れられそうだ。

 

<作者からの一言>

今年もよろしくお願いします。

 


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