新編 辺境の物語 第二巻 カッセルとシュロス 中編 8話
第五章【偵察員ミユウ】②
バロンギア帝国の偵察員ミユウは襲われたエルダを守った・・・
どうしてそんな行動をとったのか・・・
イリングは縛られている結び目を外してエルダを襲ったのだ。もし、ミユウが防がなかったらエルダは倒されていただろう。そしてカッセルでは新旧隊長グループで抗争が勃発するに違いない。しかし、混乱状態に陥った場合は月光軍団の捕虜の命は保証できない恐れがある。
エルダはロッティーに捕虜を縛るように命じた。
「まさか、結んだ縄を緩めたりはしなかったろうね。ロッティー」
「し、してません」
ロッティーの手がブルブル震えている。
「監督不行き届きよ、あとで厳しく取り調べるから覚悟しなさい」
ロッティーがスゴスゴと出て行く。その背中に向かってイリングが「裏切り者」と叫んだ。イリングの縄を解いたのはロッティーの仕業だったのだ。
エルダはまったく意に介した様子もなく、
「行きましょう」
と、ミユウの手を掴んで鉄格子の外へ出た。引かれるようにして廊下を進み階段の前で立ち止まった。
「助けてくれて、ありがとう」
「メイドとして当たり前のことをしたまでです」
「そうかなあ」
エルダが手を強く握ってきた。イリングを痺れさせた右手、稲妻を操れる指だ。
「お前、ただのメイドじゃないでしょう」
握られた手がじっとりと汗ばんだ。手を繋いでいるのではない、エルダに捕まってしまったのだ。
「トレイを盾にしてイリングを引っ叩いた。あれは『防いだ』とは言わないわ。メイドにしては素早い、よく訓練された動きだった。たとえば・・・」
ミユウは壁に押し付けられた。
「兵隊・・・それも極秘任務の偵察員か、スパイね」
あっさり正体を見破られてしまった。しかし、簡単に認めるわけにはいかない。偵察員だと認めたら拷問と処刑が待っているのだ。
「わたしはメイドです。数日前に雇われたばかりでして」
「ウソ。月光軍団の偵察員でしょう」
ギクリとした。
「違うか。こんなに早く送り込めるはずはないものね。ということは、騎士団、ナントカ騎士団のスパイなんだ」
エルダが騎士団の名を口にした。王宮の親衛隊ローズ騎士団のことを指しているのだ。
ミユウは黙ったまま首を振った。
「それじゃあ、バロンギア帝国の州都から来たということかしら」
ズバリ当てられてしまった。
「ええと、シュロスがあるのは南部辺境州の州都だったっけ」
辺境州までは当たっているが、南部などと引っ掛けてきた。答えに窮した。
「シュロスがあるのは東部州都だってことぐらいお見通しよ。所属はどこなの」
「ただのメイドです」
ミユウはエルダと視線を合わせた。ここは絶対に引いてはいけない。嘘を言っていることを見破られないように司令官のエルダを見つめた。
「酒場で働いていたところ、守備隊が敗走してきてクビになりました。そこへみなさんが戻って来たのでメイドに雇われたのです」
「ああ、そう、だったら、私に感謝しなさい」
「はい、それはもう・・・」
「私たち、戦場から戻って来たのではなくて勝利して凱旋したのよ。月光軍団を壊滅させてやったわ。月光軍団の隊長は・・・」
「隊長は・・・」
思わず引き込まれた。
「死んだわ」
衝撃が走った。月光軍団の隊長が戦死したというのだ。
バロンギア帝国東部州都の軍務部ミユウは、同邦の軍を壊滅させた司令官と一対一で向き合っているのだった。
「あら、顔色が悪いわね」
「それは・・・戦争の話には慣れていないもので」
「メイドに雇われたのは、私が勝ったおかげでしょう。もっと感謝してくれてもいいんだけど」
「メ、メイドの仕事をさせていただいて感謝しています」
そう言うのが精いっぱいだった。
完全にエルダに圧倒され、相手のペースに嵌ってしまった。汗が噴き出す。士官学校では常に平静を保つように訓練されたが、これが冷静でいられようか。
エルダが左手を壁に付いた。顔がグンと接近する。息をのむほどに美しい顔だ。
しかし、ミユウはエルダをしっかり見つめ、目を逸らさない。
「よろしい。感謝してくれたから、あなたを助けてあげる。だって、さっき、私を救ってくれたんだものね、ミユウは私の味方」
助かったとひと安心したものの、今度は味方にされてしまった。
「付いてきなさい、いい所へ案内するわ」
逃げるチャンスを失った。
ミユウが連れて行かれたのは兵舎の二階だった。ここは幹部クラスの居室があるというのだが、まだ足を踏み入れたことはない。
「さっき、恥ずかしいとこ見られちゃったわね。囚人にちょっときつく言っただけよ」
エルダが突き当りの部屋のドアをノックした。どうぞと声がしてドアが開いた。
「こちらはフィデスさん、月光軍団のお客様よ」
月光軍団のお客様・・・
ミユウは深々と頭を下げた。腰を折った姿勢で考えを巡らす。
これまで掴んだ情報の通り、月光軍団の捕虜は兵舎の一室を宛がわれていた。それも幹部クラスが使う立派な部屋だ。扉が施錠してなかったところをみると軟禁状態でもない。捕虜を丁重に扱ってくれているので安心した。
だが、この局面をどう乗り切ったらいいものか。これまで、シュロスの城砦には行ったことがないからフィデスとは面識がなかった。
しかし、フィデスが気が付いてしまったら・・・
「顔を上げなさい」
エルダに言われて恐る恐る顔を上げた。フィデスを見ずにエルダを見た。エルダは牢獄にいた時とは打って変わって優し気な顔つきになっていた。
「雇われたばかりで緊張してるみたいなの。フィデスさんからも声をかけてあげてよ」
心なしかエルダの声が上ずっていた。
「新しいメイドさんね、ここではみんな親切だから、あなたもすぐに慣れるわ」
どうやらミユウのことは知らないようだ。とりあえず危機は回避した。
「私は、私は・・・月光軍団の捕虜だけど、丁重に扱ってくれるの」
「ほら、捕虜は無事だった。安心したでしょう」
エルダが手を放し、そして月光軍団のフィデスの手を取った。ミユウは解放されてホッとした。ところが、それだけではなかった。見ている前で、エルダはフィデスに抱きついたのだ。
「一人にしてごめんね。私じゃないとできない重要な仕事があったのよ。だけど、少しでも離れると寂しくて」
前隊長は牢獄に押し込めて虐待しているというのに、フィデスに対するこの態度は何事だろう。まるで恋人同士ではないか。
「おっと、メイドがいたのを忘れてた、もう帰っていいわ」
「はい、失礼いたします」
捕虜は無事だと確認できたので、これで逃げられる。
司令官のエルダからも、カッセルからも・・・
エルダは、ミユウがバロンギア帝国の偵察員だと知りつつ、捕虜の無事を確認させてくれたのだ。
お辞儀をして下がりながらドアを押して廊下に出た。
「・・・!」
ミユウは閉まるドアの隙間から二人がキスをするのを見た。
<作者より>
本日もご訪問くださいまして、ありがとうございます。
こういうセリフ劇、前から書いてみたいと思ってました。私が手本にしたのは真山青果の「頼朝の死」です。
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