さんざんな雨のなか、一日目の雪浦くんち、シャギリも豊年太鼓もやりきりました。
でも、よく考えたら、中区豊年太鼓のいわれは、日照り続きで困り果てた村人たちを救うために、雪浦の神々たちが太鼓を打ち鳴らし、村人たちも一緒になって、太鼓を打ったことで、天が震え、恵みの雨をもたらした・・・というもの。雨を呼ぶための太鼓なのであります。
でも、二日目は、降水確率10%。朝から、青空がのぞき、風も爽やか。これはいける!!と誰もが思ったのに・・・・。最後の最後の豊年太鼓のクライマックスで、なんと雨が降り出したのです!!これは、神々がもたらした恵みの雨としか考えられません。あの場にいた誰もが、そのように感じました。あの時、私たちは、雪浦の雷神、風神とともにいたのです。
10月22日。二日目の朝は、下宮から始まりました。
下宮は、人でいっぱいです。一日目の夜には、直来といって、各家々で振る舞いをするので、一日目のくんちは、なかなか女性は忙しくて、見にきにくいんです。なので、二日目のほうが地元の女性の姿が多い気がします。みんな、最後の祭りを楽しもうと、気分がウキウキしているのが感じられます。
今年は、四人とも初めての舞姫です。夏休みの終わりころから、練習に取り組んでいたそうです。美しく、見事な舞です。
今年の踊り町は、中区。豊年太鼓の奉納でした。
中区豊年太鼓は、1986年に輪島のご陣乗太鼓を取り入れたことから始まります。それから、研究と練習を積み、雪浦の神々の物語ができ、中区独自の豊年太鼓として受け継がれてきました。今年は、7年ぶり、6回目の奉納となります。
7年前のものとは、いろいろな面で、違うものに仕上がっていました。伝統とは、受け継がれたものを土台に、その時代を生きている人によって、新しく作られていくものだと、今回の15人の青年たちの豊年太鼓を見て感じました。伝統は、このようにして生きて受け継がれていくのですね。
ゆきや前での、最後の豊年太鼓、後半のクライマックスの動画です。
お父さんたちの練習をみている横で、子供たちも自然と太鼓をたたいていました。未来の豊年太鼓の伝統を作っていく子供たちです。
今年の雪浦くんちも、無事に終了しました。雪浦に住んでいることを、誇りに思った二日間でした。
下宮での豊年太鼓。語りから通しの動画です。