kuraの近場日記

 新種の紫陽花を、丹精込めて育成させています。極めて珍しいので是非ご一覧いただければ幸いです。合わせて歩きで・・・・

人生最大の失敗

2015-05-29 16:22:09 | 事件発生
純真な過ち







<
img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/b3/039f3b5ab9a8e5351b299dbda80cb04a.jpg" border="0">



僕は皆さん方の誰もが信じられないような、つらいバカな過去を背負って生きています。
今は生活も盤石とまではいきませんが、そこそこに不満もなく生きています。  Huluで「僕が彼女に借金をした理由」を観て、つい何かしら僕の人生にかぶさる部分があるのを思い出して、つらい思い出があふれてきました。でも僕は完全に吹っ切れていたと思っていましたが、『恥ずかしいというか、愚かというか、人生は落とし穴って本当にあるのを思い出しましたね。』

自慢話のように思えるような活字面は、割愛してくださいね。毛頭そんな意図はさらさらありませんので・・・
昔、僕は建築でそこそこに成功しました。よい人物との出会いが難しい局面であり続けて、思いがけずも、僕のようにバカな人間をそこそこに成功させていただきました。
おかげで、「こんなに!!!」と思うほどに稼いでいた時代が割合長きにわたりありました。欺瞞じゃなく給料袋がデスクに立つのです。15馬力の釣りボートにそれを浜から牽引する180㏄オフロード三輪バギー。高額銀塩カメラ❝6台❞。高橋社製の10センチ屈折天体望遠鏡。乗用車は1年ごとに買い換えていました。住まいはそこそこのマンション暮らしで子供はいないというか、作りませんでした。それは多分自分が兄弟姉妹が多すぎて(11人)大学に行きたかったのに行かせてもらえず悔しい思いをしたことが尾を引いていたのです。大学といっても、僕が望んでいたのは医師(感染病・医)への夢でしたから当然といえば当然でした。途方もない田舎ではありましたけれど、何故か勉強はできたほうした。「お前にだけは」と支援してくれていたやさしい次兄と母が早くして他界し、惨い長男が仕切るようになって僕の夢は潰えました。中学を出た僕はヤクザになり、長男をいたぶることを考えて、惨い仕打ちに耐え続けたのです。

とりあえず社会に出て、自力で大学(S大)だけは卒業しました。社会に出てからは舞い込む仕事に忙殺されて、昔の嫌な思い出なんか忘れてしまっていました。
やさしい姉は次々と早死にし、下から三番目の僕を精神的に助けてくれたのはいちばん上の姉でした。しかし、姉は田舎で嫁に行ったのでとても貧乏でしたから、経済的なことは僕のほうからの一方通行でしたが。とにかく今思っても僕を成功に導いてくれたのは、何の縁からか、他人である人様でした。
しかし、そんな僕が失敗し続けたのは❝嫁❞でした。僕は辛抱し続けていましたが、スリ癖というのか、財布に7万円ほど常備入っているのにスリルなのか・・・いま思えば私が趣味が広範すぎて、構ってやらなかったからか。私が気づいた時には前科七犯!!!みんな私の弟が庇い立てして、僕に秘密裏に事を収めていたのでした。知ったのは愚かにも❝有馬警察署❞からなんてとんでもない地区の警察からの電話がかかってきて、下関市(離婚していましたから・はずでした)で会社を経営している僕に刑事さんが云ったのです「一度、戸籍を調べなさい」迂闊でした。彼女に離婚書と慰謝料を渡して終わりと思っていた。それから6年目のことですよ。僕だけが、(事情をなんとなく知っている)僕の姉や弟からも裏切られていたのですよね。おかげで生まれて初めて裁判所に参考人として呼ばれ、拘置所も見ることになりました。
❝離婚❞その件は裁判するまでもなく合法ですから、確実に成立させました。

その後女でまた失敗するのですが、純朴いうのかただのバカなのかわかんないです。
しかし、今は平穏で可もなく、不可もなく生きています。こんな小さな生活が性に合っているのですね。







検察庁に行く(一)

2015-03-15 20:08:10 | 事件発生
検察庁から突如呼び出し状が来る。

理由はわかっている。淀川警察署の課長から、およその理由は聞いていた。課長は打ちひしがれても実にすまなそうに、おだてたらすかしたりする。
体の不調に悩まされている僕である、電動自転車を購入した。病院への行き返りのために車椅子でだけではきついためである。以来周囲の主婦たちの目の色が変わった。急によそよそしくなり、奇妙な気まずい雰囲気になる。つまり仲間はずれにされたのである。卑劣な行為である。
主犯格は四人、ともに主婦である。構わず僕は日常を送る。当然の権利である。しかし彼女らの卑劣な行動はエスカレートの一途をたどる。つまりり彼女らの作戦はこうだ。(私は体が悪く一日家にいることが多い。しかもマンションの二階に住んでおり、南側の公道に面した角部屋である。一日彼女らは佇み、大声でおしゃべりする。その結果通りすがりの人も加わり徐々に騒音は増す。やがて帰宅した彼女らの子供たちがグループにまとわりはじめ、一輪車の乗合やサッカーを始める。嬌声はしたたかで、計画的なものだ。
(続く)