家族と共に生きることの尊さ、自分が今生かされていることの意味を、改めて深く考えることとなりました。
新年は、お正月の間に読もうと思っていた片山総務大臣の著書「日本を診る」を読みながら、地方議会のあり方と現状の地方議会の姿とのギャップについて考えていました。
2000年(平成12年)の地方分権改革で地方議会は権限を飛躍的に拡大しました。
それまでは、自治体自身はあたかも国の下部機関として、首長を中心に国から委任された事務の執行に多くを費やしていました。
その中で、地方議会は審議権も条例制定権も予算の減額修正権も持っていませんでした。
しかしながら、この分権改革で議会には自治体の自治事務、法定受託事務の全ての業務について審議権も条例制定権も認められました。
こうして、それまでは政治の脇役に過ぎなかった地方議会が徐々に表舞台に躍り出てきました。
議会制民主主義において、自治体における政治機関の中核は政治家集団からなる議会です。
その議会は、第1に政策・予算の決定者、第2に執行機関の監視者、第3に政策の立案・提案者、第4に政治争点の提起者という、重要な役割を持っています。
にも拘らず一般的に市会議員は、政策審議などより「世話役・相談役」と「行政監視・批判」の役割が上位を占めているのが現状です。
地域の世話役を中心に活動する時代は終わり、政策立案や政策審議に多くの時間を割くのが地方議員に期待される役割となっていることは間違いありません。
民主党政権の掲げる「地域主権」は、自己決定・自己責任で自ら政策をつくることを求めています。
それは何も議員自身が政策を作れと言っているのではなく、政治家である議員と専門家である職員が連携プレーの中で良い政策を作れと言っていると理解すべきだろうと思っています。
議員と職員が慣れ合いになってはなりませんが、良きパートナーであるという認識の方が本来は正しいだろうと思います。
市民が何を求め地域が何で困っているか直観的に判っているのは議員であって、外から民意を吸収してくる役割は政治家が得意な分野です。
しかし議員は専門知識に乏しいのが一般的です。
他方、議員の様々な要求や提案を加工し、政策に仕上げる技術は職員の方が知識も経験も豊富であるはずです。
そこで政治家の運んでくる様々な民意を専門家としての職員集団が政策として加工し、それをアウトプットとして住民サービスに反映する。
そうした自治体内での連携プレーが行われてこそ、地域にとって望ましい政策が生まれます。
財政規模もどんどんと縮小していく時代に、行政批判からは、もはや何も生まれません。
議会側にも政策立案や政策審議に力を入れられる体制づくりや意識改革が必要だろうと思っています。
今年は市議会議員選挙の年となります。
日本を診る | |
片山 善博 | |
岩波書店 |