かなり前のできごとだが、吉野源三郎「君たちはどう生きるか」のタイトルに対してヒステリックにディスるツイートを立て続けに目撃してしまい、おやおや、と少し悲しい気持ちになってしまった。
このタイトルの何とも言えない上から目線が気に入らないらしいことはよく理解できる。
とは言え、これが岩波文庫に収録された1982年の当時、私はすでに大学生であり、中学生の頃から岩波文庫の収録タイトルをそれこそシラミでも潰すかのように手に取ってきた身であれば(口が裂けても、読破したとは言わんよ)このタイトルの気恥ずかしいほどの子供っぽさや、特にコペル君(!)というネーミングの痛々しさには、その当時愛読していたマンガ「博多っ子純情」におけるキーワード「コペルニクス的転回(略してコペ転。このマンガにおいては童貞喪失の意味)」がこれまたナイスな脱臼的効果を決めていたので、だから「君たちは……」と言われも、ああ、俺のことではないのだな、と合点してすっかり安心していた。
それがこの度、いくらジブリの関係で話題になったとしても、それをあたかも我が事のように捉える若い世代の人たちのことはつくづく真面目なんだなと思う。
「君たちはどう生きるか」が出版されたのは1937年(昭和12年)のことである。沖縄を獲られ、原爆まで落とされて戦争に負ける8年前のことだ。旧制高校の最後の世代である小説家北杜夫がその10年前の1927年生まれであることを考えると、この書物があの古き良き教養主義から生まれ、かつまたそれを背後から支えたものだったに違いない、と推測する。
この教養主義の残滓を私の世代も少しは浴びているはずで、大袈裟に言えば、年長者による「上から目線」に庇護されるかのような感覚はよく理解できると言っていい。そして、この教養主義の影響を色濃く残していたのは、私らよりもさらに10年以上年長の、所謂団塊の世代に属する人たちだったろう。
具体的には、アニメ「SHIROBAKO」に登場する老アニメーター杉江茂さんのことを思い出していただければ理解しやすいのではないだろうか。
「世界中の子供たちが笑顔になってくれたら。僕はそう思いながら描いている」
などという、杉江さんの臆面もない理想主義は、今の若い世代にとっては額に絡みつくクモの糸のようにただひたすら鬱陶しく、また白々しく響くことだろう。今はこのような時代なので、それも仕方がない。
杉江世代の理想主義が、個人差はもちろんあるにしても、掛け値なしのものであったことは私が若い時分に身を以て体験した。現在、私の世代は若い人から蛇蝎のごとくに嫌われているが、冷静に振り返って見て罪深い点を認めるとするならば、それはバブル経済の時代を最も謳歌した世代などというしみったれたことではなく、杉江世代の理想主義を後の世代に引き継げなかった点にこそあるのではないか、と思う。
まあ、それはともかくとして「SHIROBAKO」の杉江さんなら世代を問わず人気キャラだとばかり思い込んでいたのが、例のツイートに接して、むしろ結構疎んじられているらしいことが推察され、それで暫くの間まったく暗澹たる気分に浸っていたのだった。
勿論、現在はケロッとしていますが。
このタイトルの何とも言えない上から目線が気に入らないらしいことはよく理解できる。
とは言え、これが岩波文庫に収録された1982年の当時、私はすでに大学生であり、中学生の頃から岩波文庫の収録タイトルをそれこそシラミでも潰すかのように手に取ってきた身であれば(口が裂けても、読破したとは言わんよ)このタイトルの気恥ずかしいほどの子供っぽさや、特にコペル君(!)というネーミングの痛々しさには、その当時愛読していたマンガ「博多っ子純情」におけるキーワード「コペルニクス的転回(略してコペ転。このマンガにおいては童貞喪失の意味)」がこれまたナイスな脱臼的効果を決めていたので、だから「君たちは……」と言われも、ああ、俺のことではないのだな、と合点してすっかり安心していた。
それがこの度、いくらジブリの関係で話題になったとしても、それをあたかも我が事のように捉える若い世代の人たちのことはつくづく真面目なんだなと思う。
「君たちはどう生きるか」が出版されたのは1937年(昭和12年)のことである。沖縄を獲られ、原爆まで落とされて戦争に負ける8年前のことだ。旧制高校の最後の世代である小説家北杜夫がその10年前の1927年生まれであることを考えると、この書物があの古き良き教養主義から生まれ、かつまたそれを背後から支えたものだったに違いない、と推測する。
この教養主義の残滓を私の世代も少しは浴びているはずで、大袈裟に言えば、年長者による「上から目線」に庇護されるかのような感覚はよく理解できると言っていい。そして、この教養主義の影響を色濃く残していたのは、私らよりもさらに10年以上年長の、所謂団塊の世代に属する人たちだったろう。
具体的には、アニメ「SHIROBAKO」に登場する老アニメーター杉江茂さんのことを思い出していただければ理解しやすいのではないだろうか。
「世界中の子供たちが笑顔になってくれたら。僕はそう思いながら描いている」
などという、杉江さんの臆面もない理想主義は、今の若い世代にとっては額に絡みつくクモの糸のようにただひたすら鬱陶しく、また白々しく響くことだろう。今はこのような時代なので、それも仕方がない。
杉江世代の理想主義が、個人差はもちろんあるにしても、掛け値なしのものであったことは私が若い時分に身を以て体験した。現在、私の世代は若い人から蛇蝎のごとくに嫌われているが、冷静に振り返って見て罪深い点を認めるとするならば、それはバブル経済の時代を最も謳歌した世代などというしみったれたことではなく、杉江世代の理想主義を後の世代に引き継げなかった点にこそあるのではないか、と思う。
まあ、それはともかくとして「SHIROBAKO」の杉江さんなら世代を問わず人気キャラだとばかり思い込んでいたのが、例のツイートに接して、むしろ結構疎んじられているらしいことが推察され、それで暫くの間まったく暗澹たる気分に浸っていたのだった。
勿論、現在はケロッとしていますが。