録画人間の末路 -

人は記録をしながらじゃないと生きていけない

一年経ちました

2018-08-31 16:37:08 | Weblog
親族が亡くなると、一年間は喪に服す、喪中と呼ばれる時期になります。本来ならば故人を思って静かにすごし、他者の招きへの応じや神社へのお参りなども控えるべきなのでしょうが、実際にはそこまで気を回さず、せいぜい「年賀欠礼」の通知を出して年賀状を出さない、年始回りなどはしない程度に終わる場合が多い気がします。もっともこちらとしては「しない」であっても他者が年始回りなどに来た場合はやはり礼儀として受けるべきですから実際はそんなに変わらなかったりしますが。で、わたしの場合もう一つ気になったのがお歳暮・お中元といった挨拶。とりあえず「喪中だししなくていいんじゃね?」とお歳暮は一応やめておきました。実際相手からもほとんど届かなかったですし。ところがそろそろ一年近くなりますとそういった喪も忘れられるのか、結構お中元が届いています。とりあえずお中元も今回はパスの予定でしたので何もしていませんでしたが、来た以上なんのお返しもしないのはまずいだろうと手配をしています、天手古舞ですが。で、そのお中元に例年と比べて若干変化が。今年届いたお中元の半分がビールなんです。もちろんビールと言えばお中元の無難な定番の一つであります。が、我が父という人があまりお酒を飲めない人であり、他人よりも限界に達する飲める量が少なく、すぐ悪酔いしてしまう人だったので、知っている人はビールなどは避けていたのです。まして晩年は医者から酒を飲まないように言われてましたからね。その一方で知る人ぞ知る食道楽だったので、珍味など各地の美味しい名産品が多く、結構楽しみでした。ところが今年からはお中元の名目上の対象がわたしになり、何を送っていいのがお中元をやり取りする知人関係には分からなくなり、無難なもの・・・。さらに今年の夏は大変暑かったんで冷やして飲めば涼が取れるビールが最適、と思われたのでしょう。ただし・・・。困ったことに、わたしも父と似たり寄ったり。あまりお酒が飲めない体質だったりします。それでも父はビール等が送られてくると「もったいない」とたまに飲んで消化してましたが、わたしは飲むと眠くなってしまうタチなのです。眠くなったら夜の楽しみであるDVDや録画番組の鑑賞に支障が出てしまうので、家では全く飲まないのです。酒類は嫌いなわけではないですが、あくまで外食時などに食事が美味しくなる程度の少量の酒を飲むのみ、なのです。本音を言えば父の時のような珍味とか美味しい名産品とかがよかったかなぁと思ってしまうのですが、それはここだけの話としておきましょう。

父が亡くなって、今日で丸一年になりました。この一年、一日一日を非常に長く感じています。まるで学生のころに戻ったようです。そのためかやっと一年経ったか、の印象しかなく、人に「もう一年ですか、早いですねぇ」と言われても生返事しかできません。特に商売の面ではまだまだつらい厳しい事の方が多いですが、慣れていくか改善していくしかないですからね。

で、おそらく最後になると思いますので父の思い出話なんぞを。なんらかの形で世間の目に触れさせてあげたかったもので。まぁ読み飛ばしてくださって結構です。
先も書きましたが、父はかなりの食道楽であります。家ではなんでもかんでも電子レンジに放り込むような困った食べ方しかしなかった人ですが、一歩外へ出て外食となると途端に評価が変わります。まるで生きたグルメマンガの登場人物のようでした。父の父という人が新しもの好きな人で、新しい料亭やレストランができるたびに父を連れてとりあえず食べにいっていたせいもあり、外食を当たり前と思うようになり、他にお金のかかる趣味がないこともあって結構いろんな店に出入りしていたようです。なかには「k父さんにはまだ給仕をやっているころから目をかけていただいていて」なんて言ってくれるベテランのコックもいたりします。この一年はそういう人に訃報を届けなきゃならないのがちょっとつらかったですね。必ず「珍しいですね、k父さんは別行動ですか」って聞かれたものですから。ただ、言っておいたほうがいいだろうなぁ、とは思ったので父が愛した店に顔を出し続けました。
父が覚えられていたのは食べっぷりがいいお客だったこともありますが、その一方で味が落ちた場合、決して「ご馳走様」と言わない、静かな指摘が恐れられていたというのもあるのです。その味覚はかなり正確でした。わたしは同席しなかったのですが、一度とあるレストランが「松坂牛フェア」を行っていたので食べに行ったところ、ずばりその使われている牛が松坂牛でないことを見抜いてしまったことがあるのです。向こうもその指摘を否定することなくあっさり認めましたが、あくまで「注文を間違えた」と言っていたそうです。ちなみにその代用牛も十分おいしい黒毛和牛だったそうですが。なお、支払いはちゃんと向こうの言い値でしっかり払ってきたようです。
※この話は父の自慢話ですが、ひょっとしたら間違えた注文とは「父からの注文」であり、父が気づいた違いとは「松坂牛コースとしてメニューに描かれていた料理と違う」という話だったのかも知れません。ただ、できてもおかしくない人でしたし、なによりレストラン側も父がランクの落ちる注文をするわけがないことくらいは気が付いてほしかったものです。

とはいえ父に言わせれば「松坂牛は美味いが、おそらくたまにフェアをやる程度のレストランくらいじゃ同じ松坂牛でも下級のものしか手に入らないだろう。本当にいい牛はおひざ元の名店か、東京や京都の金に糸目をつけない高級店に優先的に回されてしまうんじゃないだろうか。そんな店じゃ観光客がホイホイ行ったところで門前払いだろうから我々が口にするのはよほどのことがないと無理。それなら地元の牛のいいところを卸してもらっている店の方が結局安くておいしい肉が食べられる」そうです。ちなみに二十年ほど前に、お坊さんについて行って接待で京都の「一人前七万円から」という超高級ステーキ店に行ったことがあるとか。もちろん完全予約制で紹介なしの一見様お断り、だそうです。
そんな食道楽な父でしたが、晩年は薬の影響で味覚も衰えたのか、甘いものの味しか分からなくなっていたみたいです。蕎麦屋なら近所に何軒もおいしい店があるのに、わざわざ遠出して甘い味付けのにしんそばのある店にばかり行きたがったりしてましたし。亡くなったあと、遺品整理のために部屋を片付けていたら、何本もの甘いドリンクやその空き瓶、賞味期限切れなのに封も切ってない飴の袋がいくつも出てきました、散歩と称して出かけていった際に買ってきて隠していたようです。ドリンクや飴くらい隠さずに堂々と食してもよさそうなものですが、少し精神的に幼児化していて、そうした「甘いものを隠れて食べる、飲む」こと自体を楽しんでいたのかも知れません。

あれから一年がたち、最近は夢に父が出てくることもなくなりました。間もないころはわたしの夢の中で子供に戻って好き勝手に暴れていたものでしたが、さすがに現世に飽きたのでしょうか。そろそろ父のことを書いたりするのは最後にして、明日からまたやり直していきたいと思います。
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6 コメント

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Unknown (アンドロメダ)
2018-08-31 22:29:49
どっこい!
そちらより前から老齢状態の父ですがまだ生きてます
現在は認知症的の劣化レベルに成ってますが
以前聞いた内容だと
音楽学校に居た時マーサ三宅が一緒だったよー
とか以前時々はピアノ時々弾いてたりしたけど
今と成ったら無いので親子ですらうまく伝承せずに忘れた存在に成ってしまうよなー
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Unknown (krmmk3)
2018-08-31 23:16:36
>アンドロメダさん
わたしの父は、認知症的症状が出てから半年ほどで亡くなってしまいましたからその状態の父に付き合うことはあまりありませんでしたが、簡単ではないでしょうね。大事にしてあげてください。
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Unknown (emanon)
2018-09-07 00:39:38
 夢ですか… 
そう言えば今年はその手の夢を見た記憶が無い気がする 何時も何故か7月に見るのですけど珍しいことも有るもんだ 
あ 思い出しました 今年は高い山へ周りと一緒に何となく上っている内に神社の御守り売り場のような所に巫女さんたちに呼び止められて 何かピンクの丸い物食べなとわたされて 素直に食べながら可愛い可愛いとおだてられながら ささ帰りなさいと逆方向へ促され 

夢から帰ってきたのだった そのようなのは何パターンか子供の時からお盆の新か旧に見るのですよ 

しかしここ数年の様に 故人がいる自宅の部屋には今年はとうとう行かなかったようだ 昨年はもう来ないと思っていた なんて紙袋6つも持ってショッピングの帰りだったしw   

もう役目は終わりなのか いや、まだまだ活かせる所はあるはずだ 記憶の中の故人にもっと働いてもらわねば 価値を推し量れなかっただけで役に立つことを話していたはず 

 年をとって生と死が当価値だと思えるまで長生きしたいですね 
お金が有っても物欲は満たされなかったし しかし お金が無くなったら何故か使い方が上手になって物欲は満たされた  しかし幸せは頭打ちで何か足りないこれではダメなんだと思うばかり  贅沢な悩みですよねw
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Unknown (krmmk3)
2018-09-08 00:49:04
>emanonさん
なんか怖い夢にも聞こえますね。何かに誘われているような。わたしは基本的にあまり寝ているときに夢は見ない(見て覚えていないのかも知れませんが)ので、父がたびたび夢に出てきた時は最初現実との区別がつきませんでした。まぁ何も教えてくれないどころか「もうお前に任せたんだから勝手にやれ、俺はやりたいことやりに来たんだ」と言い放って坊主頭の子供に戻ってテレビ見ながら競馬新聞片手に自家製競馬用記録帳に書き込みしてましたけど。全部棺に容れておいたやつでした。
生きたいだけ生きる、ってのが一番贅沢でかつ究極の望みだと思います。
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Unknown (emanon)
2018-09-08 12:44:01
 怖い夢ですかw 
まあ、普通に考えればそうですよね それにピッタリなのも有りますよ

 明るく温かいショッピングセンターから家が有る方だと知覚できるが暗く先までのびている道の方へ数人の同年代にうながされるままに連れ出される というのがあり 

子供のうちはやはり明るい方へ戻ると言って夢から覚めていましたが  有る時には帰り道が分らない方へ連れ出そうとしていると知覚するように 

しかし 実際の所何を知っているのかもあやしい死と言う時に共にいてくれるなら 君たちは仲間であり友なのだろう? そう問いかけてやったのですよw 
 そうしたら 慌てるのですよ いや違うだろ迷い込ませようとしているのに仲間などと と 

有る時 共に連れ立って依存しあい 依存しあうからこそ抜け出せず成仏できないなら 天に行けるよう方向性を持って互いに考えれば良いのでは? そう問いかけた後消えていった後はまだ夢に出てこないな彼らは  

 物事に迷い物事がうまくいかないのはそうならざる得ない依存した理由が有る そう言うことでしょうか 

 夢の中の自分 それを見ていてストーリーを管理している自分 それを見ている自分 夢の中どれも自分である

>「もうお前に任せたんだから勝手にやれ、俺はやりたいことやりに来たんだ」と
いいですね わざわざそばに来て自分に楽しい事を楽しんでいるのだと見せてくれるならば  折角逝ったのなら歴代オールスター夢のレースでも思いのままだろうにw 
私の所は ん ああ来てたのか とか 誰だ ! 誰かと思ったら来てたのか だとか 急に現れたかのような反応ばかり 夢なのに夢らしくない 

 それ以外の夢なら 夢と知覚できる夢が気に入らないからと憤慨して 知覚できる世界を叩き壊して意識的にゲシュタルト崩壊させたり 道なりに目的地に行こうとするから道が変わって迷うなら目的地に転移すればいいだとか 夢の中なりに生活してたりするのでw 

 死と言うのも案外すぐそばにあるのかもしれませんね上ばかりとか遠くばかり見ていたら つい脇によっていて道路脇の斜面にずり落ちそうになるような感じ程度の話で おおむね真っすぐ歩けていればわりと健康みたいなw 

>何かに誘われているような。
まあそうですよね 私もそう思います 

逆に死んでまだ先が有るならどうですか?  年長者は尊重されるべき 法体系は制定いらいあまり変わらず幕府 神社仏閣 キリスト・イスラム・ハムラビ法典の互助会も有るとかw 

退職して老人会で尻の青いペーペーからまた始まるみたいな世界だったらどうしよう なんてねw
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Unknown (krmmk3)
2018-09-09 23:52:48
>emanonさん
子供のころの夢はあまり覚えていませんが、わたしの場合は誘われるよりも常にどこかに取り残されていたような気がします。
死んだ後もまだ先がある、宗教の教えの一つではありますけど、わたしはやはり死んだら無かなぁと思ってます。だからと言って故人の墓参りなどが無意味だというわけではないですけどね。
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