ルポ 戦場出稼ぎ労働者 (集英社新書)安田純平集英社このアイテムの詳細を見る |
¥720+税 集英社(集英社新書) 2010/3/22発行
ISBN978-4-08-720536-7
イラク戦争は「民営化された戦争」である。2008年の米議会予算局報告書によると、イラク国内で米国関連の業務に従事した民間人は約19万人、米兵16万人を上回る。その末端業務に携わるのは、アジア・アフリカからの貧しい出稼ぎ労働者である。
安田純平は、自ら出稼ぎ労働者としてイラク軍基地に潜入した。
出稼ぎに行くためには斡旋料を払わなくてはいけない。
斡旋料を工面することもできない、本当にとことん貧しい最底辺の階層は、出稼ぎに行くこともできない。貧しいとはいっても、なんとか借金してでもある程度の額を用意することのできる人々が、一攫千金を目指して戦場へ行く。
貧しさのために選択の余地なく戦場に行かざるを得ない、という構図ではない。
うーん。なるほど。
いろいろ考えさせられた。
なんかすごいな、安田純平。
ただ、最後の、日本のワーキング・プアたちも戦場に行くといいんじゃないか、ってのは、シャレにならん。
> 「二百五十人のネパール人警備員がいるうち、同僚のネパール人四人が死んだ。米兵が死ぬとカウントされるが、同時に死んでいるネパール人などは数に入らない」(34頁)
> 「対テロ戦争」を推進している日本の外務省ですら、ホームページに「国際的なテロの定義というものはない」と明記している。
本来、いかなる凶悪犯であれ、裁判を行い、証拠を示し、反論の機会を与え、日本ならば二度まで異議をとなえることを認めた上で、本当にその人に対して必要であると判断されなければ軽微な刑罰すら与えることはできない。罰を与えて人権を制限するためにはそれだけの手続きが必要なのだ。しかし、「テロリスト」にはそれは必要とされておらず、政府側が疑いを抱けばそれで殺してよいことになっている。その「テロリスト」の定義すらされていないということは、事実上、政府が誰に対してでも当てはめて自由に処刑できるということだ。(69頁)
> 「サダムは多くのイラク人を殺したが、サダムの悪口さえ言わなければ穏やかに暮らすことができた。しかし今は、三百のサダムがいてイラクは分裂してしまった」(174頁)
> 「戦場に行くなら自己責任」ではなく、「自己責任だから戦場に行く」のである。(237頁)
> 金のために命をかけようという人はいつの時代にもいるものだが、イラク労働の場合、その報酬は月額数万円から多くても十数万円程度。彼らにとってこれが「一攫千金」になり得るのは、経済格差と所得格差が存在するからだ。消費を煽りつつ格差を広げ、そこに生まれる欲望を燃料としているのが米国の戦争である。欲望うずまく戦場労働は、奪うだけ奪った者が勝ち残るという現代における経済、社会、ひいては人間のありようを象徴している。(241~242頁)