安全地帯のこれまでの話、その2です。
安全地帯は約2年間活動を休止していました。
元々、活動休止に入る前から、各メンバーはそれぞれソロ活動も始めていました。それがより一層広がった
という意味では、本当に「よりよい音楽を作るため」の期間だったと思います。
玉置さんは既に、1987年にソロアルバム『All I Do』を発表。その後もソロとして本格的に音楽活動を続け、ま
た俳優としても活動の場を拡げられました。ドラマ『キツイ奴ら』のテーマソング『キツイ』はこの時期でしたね。
武沢豊さんは、1987年に『蛎崎弘+rプロジェクト』をプロデュース。自らもメンバーとして参加されました。アニ
メ『F』のエンディングテーマ 『邪魔はさせない』など、ミニアルバム1枚とシングルを2枚発売されました。元々、
蛎崎弘さんは安全地帯のコンサートにコーラスで参加しておられた方です。
ちなみにアニメ『F』は、矢萩渉さんが音楽を担当されていました。キティフィルムの作品ですから…。
矢萩渉さんは、アニメやドラマの音楽を担当したり、ソロとしてF1のCMソングやアルバムを発表されました。
(矢萩さんのソロ活動については、改めて詳しい話を…)
田中裕二さんは、確か、安全地帯の活動と並行して、井上陽水さんのツアーメンバーとしても活動しておられ
たように思います。(この辺は当時読んだ音楽雑誌からの記憶なので定かではありませんが…)m(__)m
あと、活動休止中には、『C‐C‐B』の渡辺英樹さん達と共に『VoThM』というバンドを結成。初期のメンバーと
して、オリジナル曲を作曲されてました。
筆者は『VoThM』のHPを見て、田中さんが当時作曲されていたことを知りました。
その後田中さんは、安全地帯の活動再開により、『VoThM』を脱退されます。
六土開正さんも田中さん同様、井上陽水さんのツアーを回っておられたように思います。(これも記憶が定か
ではありませんが…)
あと、ゲームソフト『貝獸物語』の音楽を担当されました。このゲームのシリーズはその後も六土さんが音楽
を担当されています。
安全地帯は、1990年、北海道のユニバーシアードのテーマソングを作る目的で集まり、そのままニューアル
バムのレコーディングに入ります。それが『安全地帯Ⅶ-夢の都-』。
これを機に、安全地帯は活動を再開します。
翌年1991年には、『安全地帯Ⅷ 太陽 』を発表。
活動再開を待ち望んだファンは多かったが、『安全地帯Ⅶ-夢の都-』と『安全地帯Ⅷ 太陽 』はこれま
での音楽とは違い、よりシンプルでロック色が強まり、歌詞もメッセージ性の強いものへと変わっていきました。
これまでの作品は「都会の夜の華やかな世界や恋愛模様」を描いていて、サウンドもPOPなものだっただけに、
戸惑いを覚えるファンもあったそうです。
実際に筆者も「おやっ?今までとは違う」と思いました。
彼らはバンドとしてのサウンドを大切にしたかったのだろうと思います。
期待に反して、アルバムのセールスはこれまでに比べると低かったそうです。
この後は次回へ。
安全地帯は約2年間活動を休止していました。
元々、活動休止に入る前から、各メンバーはそれぞれソロ活動も始めていました。それがより一層広がった
という意味では、本当に「よりよい音楽を作るため」の期間だったと思います。
玉置さんは既に、1987年にソロアルバム『All I Do』を発表。その後もソロとして本格的に音楽活動を続け、ま
た俳優としても活動の場を拡げられました。ドラマ『キツイ奴ら』のテーマソング『キツイ』はこの時期でしたね。
武沢豊さんは、1987年に『蛎崎弘+rプロジェクト』をプロデュース。自らもメンバーとして参加されました。アニ
メ『F』のエンディングテーマ 『邪魔はさせない』など、ミニアルバム1枚とシングルを2枚発売されました。元々、
蛎崎弘さんは安全地帯のコンサートにコーラスで参加しておられた方です。
ちなみにアニメ『F』は、矢萩渉さんが音楽を担当されていました。キティフィルムの作品ですから…。
矢萩渉さんは、アニメやドラマの音楽を担当したり、ソロとしてF1のCMソングやアルバムを発表されました。
(矢萩さんのソロ活動については、改めて詳しい話を…)
田中裕二さんは、確か、安全地帯の活動と並行して、井上陽水さんのツアーメンバーとしても活動しておられ
たように思います。(この辺は当時読んだ音楽雑誌からの記憶なので定かではありませんが…)m(__)m
あと、活動休止中には、『C‐C‐B』の渡辺英樹さん達と共に『VoThM』というバンドを結成。初期のメンバーと
して、オリジナル曲を作曲されてました。
筆者は『VoThM』のHPを見て、田中さんが当時作曲されていたことを知りました。
その後田中さんは、安全地帯の活動再開により、『VoThM』を脱退されます。
六土開正さんも田中さん同様、井上陽水さんのツアーを回っておられたように思います。(これも記憶が定か
ではありませんが…)
あと、ゲームソフト『貝獸物語』の音楽を担当されました。このゲームのシリーズはその後も六土さんが音楽
を担当されています。
安全地帯は、1990年、北海道のユニバーシアードのテーマソングを作る目的で集まり、そのままニューアル
バムのレコーディングに入ります。それが『安全地帯Ⅶ-夢の都-』。
これを機に、安全地帯は活動を再開します。
翌年1991年には、『安全地帯Ⅷ 太陽 』を発表。
活動再開を待ち望んだファンは多かったが、『安全地帯Ⅶ-夢の都-』と『安全地帯Ⅷ 太陽 』はこれま
での音楽とは違い、よりシンプルでロック色が強まり、歌詞もメッセージ性の強いものへと変わっていきました。
これまでの作品は「都会の夜の華やかな世界や恋愛模様」を描いていて、サウンドもPOPなものだっただけに、
戸惑いを覚えるファンもあったそうです。
実際に筆者も「おやっ?今までとは違う」と思いました。
彼らはバンドとしてのサウンドを大切にしたかったのだろうと思います。
期待に反して、アルバムのセールスはこれまでに比べると低かったそうです。
この後は次回へ。
さっそく遊びに来ました。
「貝獣物語」!!懐かしい~~。
第1作目を買ってプレイした記憶があります。
が、可愛いキャラとは裏腹にシステムが非常に厳しいゲームでした(苦笑)
安全地帯年表、続きを楽しみにしています~♪
安全地帯の話は多くの方がWEB上で取り上げておられるので、「私があえて書かなくても・・・」と思ってました。が、実は元々矢萩さんの話を最初に書き始めたら、それに関係する話を書かざるを得なくなり・・・。
まさにしゃべりだしたら止まらない状態でして・・・。たいした文章ではありませんが、まぁ、ブログ1年生ですので、お許しを。