call ~鬼来迎~ 終章 2 2019-05-08 11:21:20 | CALL 2 佑子はあの日からずっと自責の念に駆られていた。 健夫の言う通り塾にさえ行かせていなければこんなことになっていなかったかもしれない。 「きっと帰ってくる」 健夫は祐子にそう言い続けていた。 佑子は涙を拭ってうなずく。 「そうね。 いつかきっと私たちのもとに帰ってくるわよね」 あれから何十回と繰り返されている同じ会話。 佑子は夫の言葉を信じようとした。 だが、文也の最後の絶叫が頭の中から消えることはなかった。 了
call ~鬼来迎~ 終章 1 2019-05-08 11:09:20 | CALL 1 北尾塾の塾長・北尾洋二郎は塾長室の机に座り、先生や生徒たちが消えてしまったことについて悩みに悩んでいた。 さっきまで鳴りっぱなしだった机上の固定電話は受話器を外して横に転がしてある。窓のブラインドはすべて下げてあった。 失踪した先生や生徒の家族、マスコミなどの対応に追われ、心身ともにくたくたになっていた。 いったいどうなっているのか北尾にもわからない。説明したくともしようがないのだ。 私が悪いのではない。 まるで犯罪者かのように全国民に糾弾されているが北尾は何もしていない。もし罪があるというなら、あの日出張と偽って、不倫旅行していたことだろう。それはこの事件にはなにも関係ない。 今のところ解決策はなく、前に進むこともできない。 何もかもなかったことにして、一から先生と生徒を集めるか――いや、そんなこと世間が許すはずがない。このままここを手放さなければならないのか。 若かりし頃、北尾は親友の森下と共同経営で塾を始めた。『夢塾』という名の小さな学習塾。 安くて古い小さな一軒家を借り、アットホームな雰囲気でスタートした塾は人気が出てみるみる成長した。 やがて、一等地に三階建ての城を持つことができた。講師を増やし、予備校まで増設した。 生徒たちの夢を叶える。 そのモットーを森下は何年たっても守っていた。 だが、北尾は利益に重きを置き始め、塾を独り占めしたくなった。 森下がいなくてももうやっていける。どうにかして陥れてやろうと画策している中、成績を上げるため叱咤激励した森下に逆恨みした女子生徒がいることを知った。 その生徒は森下から性的暴行を受けたと警察に通報した。 苦労を共にした相棒がそんな男でないことは北尾が一番知っている。だが、世間から非難を受けた森下を追い出して、塾を自分のものにした。 森下は姿を消した。今はどこにいるのか――生きているのか、死んでいるのか――北尾は知らない。 そんなことをしてまで手に入れた塾をわけのわからない事でつぶしたくない。北尾は目を閉じて頭を抱えた。 軽い地鳴りを感じて顔を上げる。 「地震か――」 震度1か2か。にしては揺れが少し違うような―― ああ、そんなことはどうでもいい。いったいこれからどうすればいいんだ―― 軋んだ音が聞こえ、閉めたはずのドアが少し開いているのに気付いた。 ここには誰もいないし、誰か来る予定もない。マスコミ関係者が無断で入ってきたのだろうか。 だが、玄関に鍵をかけたことを北尾は思い出した。 おいおい、まさかガラスを割って入ってきたとかじゃないだろうな。訴えるぞ。 北尾が立ち上がろうとした時、ドアがゆっくりと開き始めた。 廊下に大男が立っている。 うつむいた顔はぼさぼさの長髪に隠れていて見えない。 臭うほどのひどく汚れた衣服を見て、ここを寝泊りに利用しようとしている侵入者だと北尾は判断した。 「おい、ここは空き家じゃないぞ。早く出ていけ。でないと警察に通報するぞ」 受話器を持ち上げ、ボタンを押す真似をする。 しかし、男は動かない。 「おいっ」 その声で男がゆっくりと顔を上げた。血の塊のような眼球で北尾を見る。半開きの口からは厚ぼったい舌が見え、口の端から涎が糸を引いていた。 荒れた唇を弓形に歪めて一歩一歩中に入ってくる。手には血に濡れた鉈を持っていた。それが音を立て北尾めがけて振り下ろされた。
call ~鬼来迎~ 第三章 4 2019-05-07 11:15:51 | CALL 4 祐子は薄暗い路地から塾のある大通りへと出た。色とりどりに輝いているネオンや行き交う車のヘッドライトが眩しい。 大通りにはたくさんの車も人通りもあった。 ほら、やっぱりわたしの聞き間違いだわ。こんなに賑やかじゃない。 北尾塾のほうからは赤色灯が見え、パトカーも確認できる。もうすでに保護されているかもしれないと安心しながら祐子は電話に呼びかけた。が、返事はない。 ノイズは聞こえるので通信が切れているわけではなさそうだ。 北尾塾の前まで行くと街路樹の脇で所在無げに健夫が立っていた。 路肩にはパトカーが一台止まっているだけで緊迫した様子はない。 「あなたっ、文也は?」 祐子は自転車を立てながら訊いた。 「まだ。今、中を調べてくれてる」 靴音を立てて二人の警官が玄関の階段を下りてくる。 「あ、お巡りさんどうでした?」 健夫が尋ねる。 「お母さんが通報されてきたようなことはまったく起きてないんですが――」 警官たちは顔を見合わせ、困惑の表情で北尾塾を振り返る。 「ですが?」 聞き返す健夫の表情が曇り始めた。 「その――誰もいないんですよ。先生や事務員の方たちも生徒さんも」 「誰もいない?」 「きょうはどこか別の場所に移動するとか、言ってなかったですか?」 腑に落ちない表情を浮かべた警官たちは健夫を通り越して、祐子を見た。 「そんな予定は聞いてません。 で、どうなんですか? 本当に殺人事件は起きてないんですか? 電話で言ったんです。塾に男が侵入してきて先生や友達を襲っているって。 文也は? 文也はどこなんですか?」 「さっきも言いましたけど、そんな事件があったようにはとても見えないんですよね」 大通りを走る車のヘッドライトが二人の警官の端正な顔を照らしては過ぎていく。 「でも確かに言ったんです。鉈で頭が割られるのを見たって――」 恐怖で堪えきれず祐子は喉を詰まらせた。 我が子の見たものがどんなに恐ろしいものなのか、想像もできない。 「受付のスケジュール表で見たんですが、きょう塾長さんは出張らしくて、一度そこに連絡を取ってみます。 お父さん、お母さん、もうしばらくお待ち下さい」 そう言うと二人はパトカーのほうへと移動し、無線で報告を始めた。 祐子は北尾の顔を思い浮かべた。丸顔の人の良さそうな塾長はいつもにこやかに微笑んでいた。 「大丈夫だよ。何にも心配いらないよ」 健夫が祐子の肩を抱き寄せる。 文也がまだ見つかってないのに? 祐子はいらいらしてその手を振り払いたくなった。だが不安でたまらないのは健夫も一緒だ。 手の中の携帯電話から微かな声が響いていることに気付き、祐子は慌てて電話に出た。 「文也っ」 息子の名を聞いて健夫が電話を取り上げる。 「文也っ、どうした何があった」 その声に警官たちも振り向いた。 祐子は何度も名を呼んでいる健夫から電話を取り返し、自分もその名を繰り返す。 だが、助けを求める文也の絶叫が聞こえ、泣きながらくずおれた。 健夫がすぐ聞いてみたが、電話はすでに切れていた。 駆け寄った警官たちも電話を確認し、首を横に振る。 「お母さん助けてって、あの子が、お母さん助けてってぇ――文也ぁぁどこに行ったのぉ――」 返された携帯電話はツーツーと鳴り続けるだけで、ノイズも風の吹く音も聞こえない。 もう二度と文也に繋がらないのだと祐子にはわかった。 手から電話がすべり落ち、石畳の上に音を立てて落ちた。それを拾うこともせず祐子は北尾塾を見上げる。 玄関や窓から明るい光があふれているが、どんなに目を凝らしてもそこには誰もいなかった。
call ~鬼来迎~ 第三章 3 2019-05-06 10:30:48 | CALL 3 文也は携帯電話をそのままに、もう一度ドアが開かないか試してみた。が、隙間を開けるのさえ無理だった。 外を確認しても、さっきと状況が変らずパトカーが来る様子もない。電話が繋がっているだけでも心強いが、本当に母は来られるのだろうか。 はっと文也は顔を上げた。 ドアが開かないってことは、あの男もまだこの中に? その時、目の端に何かが映り、文也は慌てて振り返った。 全身の皮膚が粟立つ。こんなところで見つかれば逃げることもできないし、隠れることもできない。 だが、そこに男の姿はなかった。 何かが動いたように見えたが気のせいだったようだ。 文也はほっとし、出口を見つけようと廊下を戻り始めた。この際、窓でも構わない。 携帯に呼びかけてもあれからノイズばかりで母の声が聞こえない。繋げたまま携帯をポケットに入れ、死体につまずかないよう注意しながら窓を確認していく。 だが、クレセント錠を回しても、ドアと同じで一ミリの隙間も開かない。 四年クラスの前を通る。 乱雑に転がる机や椅子と一緒にクラスメートたちの死体が折り重なっていた。 もしかしてあの中に宮島が―― そう思っても確かめる勇気もなく、そのまま五年クラスを通り過ぎ、廊下の突き当りまで来た。 この状況で非常口に期待は持てなかったが、とりあえずノブのつまみを開錠して回してみる。 やはり開かない。きっと二階も三階もみな同じだろうと思った。 なす術もなくとぼとぼと四年クラスまで戻ると入口に宮島が立っていた。 全身が血で真っ赤に染まっているが確かに親友だ。 「宮島っ」 呼びかけても反応はなく、じっと突っ立ったままだ。 何かおかしいと感じた瞬間、宮島の首がゆっくりと胴体から落ちて床に転がった。にもかかわらず、腕を伸ばして文也に一歩一歩近づいてくる。 なあんだ。これは全部夢なんだ――僕は今教室で居眠りしてるんだ。で、もうすぐ先生にこっぴどく叱られて宮島たちに笑われるんだ。 きっとそうだ。初めっからぜーんぶ夢だったんだ。 はははと笑いながら靴越しに何か触れるのを感じ、文也は足元を見た。 芋虫のように蠢く一本の指が血にまみれたスニーカーの先を打診している。 ははは、これも夢だよね。 ぼんやりとそれを眺めていたが、足首までよじ登ってきた指の感触にぞっとして脚を振り上げた。 高く飛んだ指が音を立てて血溜まりに落ちる。 これは夢なんかじゃないっ。 文也は目の前で迫る首のない宮島を突き飛ばし玄関まで走った。 今まで廊下に転がっていた死体が動き出していた。 ちぎれたパーツや内臓までもが意思を持つ生き物のように蠢き、文也に迫ってくる。 事務室の廊下に立つ河津が割れた顔面から赤い粘液を垂らしながらゆっくり文也を振り返った。 塚田も胴体を縦に裂かれ腸を引き摺って事務室から出て来た。斜めに割られた顔は片方の眼球がぶら下がったままだ。 その背後に宮島と同じ首のない死体が立っていた。ネクタイの柄で佐野だとわかる。 文也は河津を突き倒した。 その上を踏み越えて塚田が両手を伸ばしてくる。それも押し倒すと真後ろにいた首のない佐野を巻き込んで血溜まりの中に倒れ込んだ。 文也は顔に跳ねた内臓の汁を手で拭いながら玄関に向かった。 ホールは死人たちであふれ、立てるものは床を這う死体を踏みつけながら所在なげに歩き回っている。文也に気付き一斉に進路を揃えた。 その中にいる真奈香は頭の先から下腹部まで身体の中心が縦に割れていた。別々の方向を見ていた左右の目が文也に焦点を合わせ、よろよろと近づいてくる。その度に裂け目が拡がり真っ二つに割れた。粘った音を立てて内臓が床に散らばる。 左右ばらばらの真奈香の身体は内臓をかき混ぜながら時計の針のように床をぐるぐる回った。それ以上こっちに来ることはなかったが、どちらの目も文也を追い続けていた。 押し寄せる死人を倒しながらドアの向こうに母の姿を確認したが、母どころか車も人通りもさっきと何一つ変わっていなかった。 携帯電話を出して呼びかけても応答はなくノイズが聞こえるばかりだ。 血と脂の臭いをさせ次々と迫ってくる死人はいくら突き飛ばしてもきりがなかった。 ただ、ゾンビのように噛みついて来ないのだけが救いだが、この先どうしていいのかまったくわからない。 どこもかしこも血で染まり、自分も死人と区別がつかないほど全身が真っ赤に濡れている。 文也は泣きながら母を呼び続けた。 「ひっ」 涙にかすむ視線の先、死人たちの中に男が立っていた。 右手には鉈、左手には佐野の生首をぶら下げている。 佐野の目は狂った猿のようにきょろきょろしていた。 男は返り血のこびりつく顔をにやりと歪めると生首を放り投げてきた。 それを避け、男を睨みつけた文也は事務室に走り込んだ。寄ってくる死体を突き飛ばし、蠢く腸や指を踏みつけ蹴散らして壁に設置された鍵掛から屋上の鍵を取ると廊下に走り出た。 目前に来ていた男の鉈が音を立てて鼻先をかすめる。それに躊躇することなく文也は階段に向かって走った。 逃げられるだけ逃げるんだ。 落ちてくる死人たちを踏み越えて階段を駆け上り屋上を目指す。頬を流れる涙はもう乾いていた。 後ろから死人たちを伴って男が階段を上がって来る。文也を弄ぶようにゆっくりと確実に一歩一歩前進してきた。 ここから出られるという確証はない。だが、とにかく屋上に行くことだけを考え、息も継がずに三階まで駆け上がった。 ホールの床を這う上半身だけの死人が手を伸ばしてくる。それを上手く飛び越えたつもりだったが、足首をつかまれ文也は転倒した。腹の上に這い上がってくる死人が邪魔で立ち上がることができない。 男が三階に到達した。鉈を持った手の甲が盛り上がる。 死人をなんとか振り落とし立ち上がった文也は屋上への階段を上がろうとした。 だが、再び足首をつかまれ、死人たちに取り囲まれた。 男が凝った血のような赤い目を細めて嗤った。
call ~鬼来迎~ 第三章 2 2019-05-05 14:27:30 | CALL 2 「もしもし。もしもし」 呼び出し音の途中でも、今にも消えそうな音を繋ぎ止めるように文也に呼びかけた。 早く出て。 薄暗い路地で大声を出す佑子を通行人が訝しげに通り過ぎていく。 後方から来た軽自動車のヘッドライトが祐子を照らし、容赦ないクラクションを鳴らす。 自転車を路肩に寄せ、車が抜き去るのを待っていたら、呼出音が止まっていることに気付いた。 「文也? 文也?」 長い静寂が続いていたが祐子はあきらめきれずに大声で呼びかけた。 いきなり激しい引っ掻き音が鳴り、その向こうから、 「お母――ん」と息子の声が返ってきた。 佑子は心の底から安堵した。 「大丈夫なの?」 「だい――ぶ――よ」 警察に連絡したことを伝えると文也は安心したようで、祐子もほっとした。 だが、約束を破って用具入れから出たことを知り、足元から震えがくる。さらに死体の山があると聞いて、自転車ごと転倒しそうになった。 「どうして、なんで出たの」 我が子が遭遇したことのない恐怖にさらされていることが耐えられない。 「とにかく早く外に逃げなさいっ」 玄関まで来ているという文也に祐子は叫んだ。 だが、ドアが開かないらしい。 それだけでなく、通りには誰もいないし、パトカーが来るどころか乗用車もバスもまったく走っていないという。 そんなはずがない。 文也の言っていることがよくわからず、ノイズのせいでそう聞こえるのだろうかと思った。 「とにかく、どこでもいいから出口を探すの。電話は切っちゃだめよっ」 早くあの子のところに行かなきゃ。 祐子は自転車にまたがり勢いよく漕ぎ出した。