恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

怪異収集家【峠の怪異】

2021-03-07 12:11:40 | 怪異収集家




 学生時代の友人、Dの話。
 「あれは、マジ怖かった」と開口一番、Dは言った。
 だが、見た目がチャラいせいなのか、あの場所はマジやばいと訴えても誰も信じてくれないらしい。
 あの場所とはP県とQ県の境にあるX峠だ。
 そこは峠道と並行して高速道路も走っている。
 あたりに民家はなく、街灯も自動販売機も設置されていないため、光源といえば高速から漏れてくるオレンジ色の光と走行車のヘッドライトだけだった。
 鬱蒼と茂る雑木林の重なった枝に隠されて昼間は走行音しか聞こえないような山中だが、一か所だけ枝の重なりが途切れている場所があり、金網や防壁もないそこからガードレールと走行中の車が少しだけ見える。

 ある深夜、Dは急に思い立って隣市に住む友人に会いに行こうと車を飛ばした。
 広くて走りやすい国道は遠回りになるため、先を急いだDは近道だが狭い上にカーブの多い酷道と呼ばれているX峠をルートに選んだ。
 ドライブが得意なのでどんな道でも走るのは苦痛でなかったが、峠に入ったあたりで急に尿意をもよおして困ってしまった。
 もちろんコンビニなどあるはずもなく、真夜中の山中を薄気味悪いと思いながらも立小便しようと停車し、車外に出た。
 そこがちょうど件の場所だったという。
 雑木林に向かって小便していると走行音が聞こえ、通過するヘッドライトの逆光でガードレールが黒く浮かび上がった。
 そこに人影も見えた。
 高速道路の方を向いてガードレールに座っている。
 チャックを上げながらDは老人が迷い込んでいるのかもしれないと思った。
 警察に連絡しないといけないな。
 尻ポケットのスマホを探っているとまた走行音とヘッドライトが近づいてきたのでDは顔を上げた。
 人影がこちらを向いて座っている。
 その頭がごろっと落ちた。
 信じられなかったが、次に来たヘッドライトに浮かぶ影にはやはり頭がない。
 震えが足元から這い上がり、Dはその場から動けなくなってしまった。
 見ちゃいけない。
 そう思い、無理やり足元に視線を落とした。
 薄暗いオレンジ色の光が下草の生えた地面に枝葉の影を映している。その中で男の生首がじっとDを見上げていた。
 悲鳴を上げると同時に身体が動き、Dはすぐさま車に飛び乗った。急いでその場を離れると猛スピードで峠を越えた。運転が下手なら事故っていたかもしれないが、無事に友人の住むアパートに着いた。
 蒼い顔で訪ねて来たDを見て友人は驚いたが、話を聞くと大笑いし、まったく信じてくれなかったという。
 だが、確かに見間違いではなかった。
 自分をじっと見ていた男の顔は今でもありありと思い出せるし、思い出すと怖気が走ると言ってDは身震いした。

怪異収集家【墓参り】

2021-03-04 01:56:18 | 怪異収集家



 主婦Nさんの話。

               *

 小学生の娘を連れ、田舎にある実家の墓参りに行った時の話です。
 墓地は区画整備された霊園ではなく、ちょっと放っておくだけで丈高い雑草にすぐ覆われるような自然の中の墓所にありました。
 両親が亡くなってから故郷に戻るのが久しぶりだったわたしはまず兄夫婦の継いだ実家に立ち寄りました。
 当然、兄が墓地も継承し、管理しています。
 ですが、家業が忙しい時期など月参りもなかなかできないそうで、今回もしばらく放置したままだと兄嫁が申し訳なさそうに言いわけをしていました。
 いきなり帰って来て墓参に行くというわたしを迷惑に思っていたのかもしれません。
 実は主人と喧嘩をした腹いせのプチ家出だと告白すると、兄についでの墓参りかと呆れられ一緒になって笑い合いました。
 供花代を出すと言ってくれたのですが、常々負担してもらっているので断り、娘とともに花や供物を買ってから墓地に向かいました。
 思った通り実家の墓は雑草に埋もれていました。
 いつ挿したものなのか、カリカリに枯れきった花の残骸もそのままです。
 この墓には先祖代々と祖父母、両親が眠っています
 いくら忙しいからといって墓を放置したままなのはいかがなものか、商売をしているからこそ先祖を大切に敬うべきなのではと心の中で非難しました。
 でも、よくよく考えると滅多に来ないわたしも兄たちのことは言えません。
 墓地に設置された水場から持ってきたバケツを傍らに置き、まず墓に手を合わせました。
「全然来なくてごめんね。お兄ちゃんたちも仕事頑張ってるから許してあげて」
 それから兄から借りて来た軍手をはめ、鎌を使って草取りを始めました。
 無心に雑草を刈っていると、今は鬼籍に入っているみなの顔が思い浮かびました。
 祖父母に両親、みな優しい人たちでしたが、祖父だけは違い、とても厳格で怖い人でした。
 そしてわたしたち孫でも寄り付かせないほど気難しい性格をしていました。
 祖母や両親は心得ていましたが、やんちゃで騒がしい子供だった兄とわたしは障子の奥から「うぉっほん」と咳払いが聞こえると慌てて逃げたことを今でも覚えています。
 ちょうど梅雨が明けた頃でしたので、蝉や名前の知らない虫たちが騒々しく鳴いていました。
 娘は自然が大好きだったので、雑草の間を逃げ惑う虫を怖がりもせず、また面倒な草刈りを嫌がることなく、楽しそうに手伝ってくれていました。
 痛くなってきた腰を上げた時、さっきは気にしていなかったのですが、この辺り一帯が雑草まみれになっていることに気付きました。
 ほとんどの墓が背の高い草に埋もれ、石に刻まれた名前が見えないほどでした。
 お盆や彼岸以外はどこも放ったらかしなんだな。
 そう思いながら再び草刈りを再開しました。
 ふと違和感を覚えて手を止めました。でも何かわかりません。娘も顔を上げてきょろきょろ辺りを見回しています。
「なんか変だね」
 そう声をかけると、
「蝉が鳴いてないよ」
 あれだけ鳴いていた蝉がいっせいに鳴き止み、それだけではなく他の虫や近隣の雑音さえもまったく聞こえなくなっていました。
 娘は這ったまま急いでわたしに身を寄せてきました。
 青く晴れていた空には暗い雲が垂れこめ、どこからか生臭いにおいが漂ってきます。
 突風が吹いて雑草が大きく倒れました。その瞬間、隠れていた周囲の墓々がいっせいに丸見えになりました。
 墓に隠れるように立った真っ黒な人々がこちらを窺っています。
 娘にも見えているのか、わたしの身体に強くしがみついてきました。
 近くに公園もないのに「ギイ、ギイ」とブランコがゆっくり揺れているような音が聞こえてきます。
 この場から逃げなければ。
 でも体が動きません。
 黒い人たちは墓から離れ、わたしたちを取り囲みました。空間が圧縮されていくような感じで呼吸が苦しくなってきます。
 どうしよう。どうしよう。
 だんだんとその輪を縮め、狭まってきました。
 黒い人が目前まで迫り、わたしは目をぎゅっとつむりながら娘を抱きしめました。
 その時、
「うぉっほん」
 祖父のあの咳払いが聞こえました。
 とたんに周囲の空気が軽くなり、蝉の鳴き声やその他の音も戻ってきて、白い雲の浮かぶ青空も広がっていました。

               *

 その後Nさんと娘さんはきちんと草刈りして墓を磨き、供花や供物、線香を供えて丁寧に手を合わせたそうだ。
 それからたびたび墓参りに行くようにしているが、同じようなことは今のところ起こってないという。

怪異収集家【エレベーター】

2021-02-26 18:30:58 | 怪異収集家



 夜の飲食店に勤めていたY美さんは、自分が直接見たわけではないけど――と前置きして話し出した。
「――でも、店に来る半分近くのお客さんが幽霊を見たっていうから信憑性はあるかな」
 客が見たという場所は、その店が入っている三階建てテナントビルのエレベーターの中だった。
 夜の七時に開店する店はビルの三階にあった。非常階段もあるが、もちろん客はエレベーターを利用する。
 一階の赤いドアの前でボタンを押し、チンと鳴ってドアが開くと一人の女が後ろ向きで乗っているという。
 たいていの客は女が降りると数秒待つのだが、いっこうに動かないので首をひねりつつ、そのまま乗り込むのだそうだ。
 女はこちらを見る気配もなく、マネキンを置いてあるのかと思うほど微動だにしない。
 まさかこんなところに置かないだろうと苦笑するのだが、突然、これは見てはいけないものだと感じ、ぞっとするのだという。
 三階に着くとなりドアの開閉ももどかしくエレベーターから転び出て、
「ママ、出たっ、出たっ」
 入り口から飛び込んでくる客に、ママはまたかと塩を振りかけるのが日常だった。
 だが、こんなことが起きていても店に悪い影響は出なかった。
 体験したことを話すと、キャアキャア怖がって店の女の子たちが抱きついてくるので、男性客がはむしろ喜ぶ。
 エレベーターで幽霊に出会うことは幸運だと考える客もいた。
 だが、ママとY美さんたち数人の従業員は客に内緒にしていることがあった。
 見た客のほとんどがエレベーターの女は後ろを向いているというのだが、ごくたまに前を向いていたという客がある。
 その客はもう二度と店には来ない。幽霊が怖いからとか店が気に入らなかったからとかいうわけではなく――

 ある日、常連のB氏が友人を店に誘った。一緒に来るつもりが時間の都合がつけられなくなり、友人は遅れてくることになった。
 B氏が店で待っていると携帯電話が鳴った。方向音痴の友人が道案内を乞うてきたのだ。
 電話を掛けたままB氏は道案内をし、友人は順調に店に向かっているようだった。
 そのまま二人は電話を切らず世間話に花を咲かせている。
 店に来てからゆっくり話をすればいいのにと、Y美さんは苦笑した。
 突然B氏が電話口を押さえ、ママやY美さんを振り返った。
「エレベーターに女が乗ってるんだけど、なんで降りないんだろうって不思議がってる」
 小声でささやきながらぷっと吹き出す。B氏も女を見たことがあったので友人の狼狽ぶりを楽しんでいた。
「あいつ、どこで降りるんですかって聞いてるよ。まだ幽霊って気づいてないな」
 ママの隣に立つ霊感のある女の子が眉をしかめた。
「え? 幽霊に話しかけてるの? やだ、見えてるって気づかれちゃうのに」
「三階に行きますよ、いいんですか? って、不思議がってる」
 B氏は笑いを堪えきれず大きく吹き出すと「それ後ろ向きの女だろ? 実はなそれ――」そう言いかけて、「えっ?」とママとY美さんに視線を送り、電話口を押さえた。
「前向いてるけど、それが何? だってさ。なぁんだ、幽霊じゃなかったのか。面白くないな」
 ママとY美さんは顔を見合わせた。
 もちろんB氏は前向きのことは知らず、電話に戻り、
「もしもし、もしもし? あれ?」
 相手は電話を切ったようなので自分も切った。
 入口からチンとエレベーターの到着した音が聞こえる。
 B氏は友人が入って来るのを待ち構えた。本当に幽霊がいることを教えて怖がらせようと企んでいる。
 しかし、待てど暮らせど友人は店には入ってこなかった。事情があって帰ったにしてもおかしいとB氏が何度も電話したが友人は応答することはなかった。

 後日、B氏に友人のことを訊ねたが、あれからまったく連絡が取れないという。

怪異収集家 【靴跡のある病室】

2021-02-26 01:33:02 | 怪異収集家




 元看護士Sさんの話。
「看護師になったばかりの頃に勤めていた病院なんですけど――」
 三階にある個室の天井――ちょうどベッドの真上にあたる位置――に片方だけの子供の靴跡がついていたという。
 先輩の話では、いつからそこにあるのか、心霊的なものなのか、物理的なものなのか何もわからないが、それに関して奇妙な噂などもなく誰も気にしていなかった。
 何気に見上げ、泥で汚れた小さな靴跡に最初気付いた時、ホラー好きのSさんは逆さで天井を歩く子供を想像しワクワクしたが、現実は患者か見舞客の連れて来た子供が汚れた靴を放り投げでもしてつけたものなのだろうと残念に思った。
 勤務にもなれ、患者を担当させてもらえるようになったSさんは虫垂炎をこじらせて緊急入院したBさんを受け持った。
 病室は靴跡のある例の部屋だったが、結婚式を目前にして延期せざるを得なくなったBさんは気落ちと不安で靴跡には気付いていないようだった。
 Sさんは自分と同じ年頃のBさんを親身に看護し、元気づけようと天井の靴跡に触れた。その頃のSさんは、人はみな大なり小なりホラーが好きだと思い込んでいたからだ。
 病状が落ち着いてからもBさんは自分の真上にある靴跡に気付いていなかったらしく、Sさんの指差すほうを見てとても驚いた。
 それが自分と同じホラー好きの高揚感だと勘違いしたSさんは自分の想像をさも存在する噂のように伝えた。
 ところがBさんは顔色を変えひどく怯えた。
 まさかこれほどの怖がりやがいると思ってもみなかったSさんは後悔し、すぐ冗談だからと笑ってごまかしたが納得せず、その日から病室に行く度、夜中に天井から足音が聞こえるだの子供の笑い声や泣き声がするだの訴えてきた。
 いやそれもうあんたの妄想だから――
 そう鼻で嗤いたくなるものの、原因を作ったのは自分なのだから、ほんとに冗談だ、とごまかし続けるしかなかったという。
 転室を懇願されても、軽率な言動が原因だとばれるのが怖くて先輩や看護師長に報告できなかったSさんは満室を理由に断っていた。
 冗談だと言い続けることで逆に真実だと捉えてしまったのだろうか彼女の怯えはますますひどくなり、ある日の夜中、病室から抜け出したBさんは外付けの非常用階段を出てそこから落下し亡くなってしまった。
 家族、医師や看護師たちは自殺の理由が思いつかないことから、内緒で外出しようとし誤って落ちたのだろうと結論づけた。
 当然Sさんの考えは違った。確かに事故か自殺かは不明だが、原因はあの天井だと思ったのだ。
 だが口をつぐんだまま誰にも話さなかった。
「だって、本当にそうかどうかわからないじゃないですか? 怖いってぐらいでふつう自殺なんかしないでしょ? でももし病室を抜け出すくらい怖かったんなら結果ああなってしまって申し訳ないとは思いますよ――でもそれは足を滑らせたかした彼女のミスであって、わたしのせいじゃないと思うんですよ」
 その後、患者とのコミュニケーションの難しさを感じたSさんは離職したという。
「先輩は初めての患者さんがあんな亡くなり方をしたショックだと思ってずいぶん引き留めてくれましたけど――
 もともと向いてないなって感じてたし――未練はなかったです。
 で、数年後に街で偶然先輩に会って、お茶しながら互いの近況報告をしあって――」
 その頃Sさんは文具の卸会社で事務をしていて、そこで出会った取引先の会社員と婚約中だったが、そのことはなんとなく伏せておいた。
 いまだ独身であの病院の看護師を続けているという先輩はSさんが忘れたいと思っているBさんの話を「ねえ覚えてる?」と持ち出してきた。
 そんな話をするのもされるのも内心嫌だったが、先輩が何を言うのか気にもなり、悲しかった記憶を思い出すふりをしてうなずくと、当時Bさんの緊急処置についた仲良しの同期が数か月前に話してくれたんだけど――と前置きしてから顔を近づけ――亡くなったBさんは妊娠の初期だったんですって、とひそひそ囁いた。
 Bさんは頭部を強打して意識不明だったものの処置室に運ばれた時にはまだ息があったという。
 危険なのは切迫流産なのだが、本人もまだ妊娠を知らなかったのか入院時に報告がなく、当然カルテにも記載がない上、当直医師は突然の緊急事態に焦ってそれを見逃してしまった。気付いて処置を施した時にはすでに手遅れだったそうだ。
 Sさんはそのことをまったく知らなかったので驚いた。
 当り前よ――ふふっと先輩は笑った後――だってそれの関係者、みぃんな口留めされていたんだから、と再びひそひそ囁いた。
 Bさんの家族や婚約者がまったく気付いていなかったことをいいことに病院側は妊娠をなかったことにしてしまったのだ。それが今でもばれていないという。
「じゃ、今になってなぜ先輩に話したのかしら? って訊いたら、その同期の人、結婚して仕事を辞めるからって――そんな秘密抱えたままじゃなんとなく気持ち悪かったんじゃないかって――
 で、死因が流産だって聞いて、正直わたしのせいじゃなかったんだってほっとしたんだけど――」
 Bさんの病室にあった靴跡のことも覚えているのか先輩が訊いて来たという。
「あんた、Bさんとそれに関係してたでしょ」と。
 Sさんは動揺を隠してかぶりを振り続け、しらを切り通した。
 先輩は疑わし気な上目遣いをしていたが、
「別にわたしに関係ないからいいけどさぁ、実はね、その同期つい先日亡くなったのよ。Bさんを処置したドクターもとうに亡くなってるし」
 そう言ってコーヒーを飲み干すと「ま、偶然なんだろうけどね」と笑顔を浮かべた。
 先輩とはそれ以降会っていない。
 その二か月後不安に駆られたままSさんは結婚。二週間後には新築のマイホームが完成するそうだ。
「わたしはあの靴跡で想像したことをただしゃべっただけなんです。確かに怖がらせましたけど、すぐ冗談だって謝ったし、思いつめたのはBさん本人で、亡くなった原因は病院側のミスですよね。だからわたしは悪くないんです――だけど――いえ、たぶん固まらないうちに近所の子供がつけたいたずらなんでしょうけど――」
 玄関横に設えた車寄せのコンクリート地に片方だけの小さな靴跡がくっきりついているのだという。


怪異収集家 【カーテン】

2019-04-05 18:56:50 | 怪異収集家



 T代さんは若い頃、家に帰らず友人たちの部屋を転々としていた時期があった。
「別に家族と仲悪くて家出してたとかいうわけじゃないですよ。放任されてはいましたけど」
 友人たちと遊んでいるのが楽しくて、ただ帰りたくないだけだったらしい。
 気のいい友人たちの部屋を転々とし、一晩の時もあれば、一週間続けて寝泊まりさせてもらったこともあったそうだ。
 T代さんは自分には霊感がないと思っているが、泊った部屋に薄気味悪さを感じることがあったという。もちろんタダで泊めてもらったから、そんなことはいっさい口にしないが。

 その日は行きつけの飲み屋で意気投合したB美さんの部屋に泊めてもらうことになった。
 B美さんの借りている部屋は大家さんが住む家の二階で、店子は彼女一人、いわゆる下宿なのだが、外階段が取りつけられていて遅い時間でも気兼ねなく出入りできた。
 招かれた部屋はフローリングで、毛足の長いラグを敷いた上にコタツが置かれていた。真冬は過ぎていたが、まだ肌寒さが残っていたのでT代さんはありがたく思った。
「あんまり掃除しないんで汚いけど」
 別に気遣っているふうでもなくB美さんが笑った。
 コンビニに寄ってビールとつまみを買ってきた二人はコタツに足を突っ込んで遅くまで語り合った。
 おしゃれのこと、男のタイプのこと、職場にいる嫌な奴のこと。
 話は尽きないが深夜も過ぎ、二人とも寝ることにした。
 布団を敷くと言ってくれたが、B美さんに申し訳なくて、このままでいいからと断った。
 熱に酔いやすいT代さんはこたつに身体を入れないよう横向きになり、膝を曲げて足だけこたつの中に入れた。背後の壁には来た時から丈の長いカーテンがすでに引かれている窓があって、すうすう寒いだろうからとB美さんはこたつ布団の上からブランケットをかけてくれた。
 反対側で同じようにして寝る準備をしたB美さんは「おやすみ」と言って照明を消した。
 緩めの温度が心地よく、T代さんはそのあとすぐ眠りに落ちた。
 目が覚めるとすでにカーテンから窓の光が透けていた。
 大きい窓だと思っていたが、光が差す窓の縦幅は腰の高さより上のものだった。
 カーテン、デカすぎじゃね? 
 T代さんはふふっと笑ってB美さんのほうを見たが、どこに行ったのか姿が見えない。
 え、もう仕事行ったの? 出てく時、戸締りどうしよ。
 寝転がったまま考えながらT代さんは何気なく壁のほうに顔を向けた。
 その瞬間、心臓が凍り付いた。
 カーテンの裾から足が出ている。
 え? なに? B美ちゃん? 寝起きドッキリ? 
 だが、薄汚れてごつごつとした大きな裸足はどう考えても華奢なB美さんのものではない。
 誰か、忍び込んでる?
 泥棒か強姦魔か。まさか大家さんじゃないよね。
 逃げなければ、と起きようとしたが、なぜか身体を動かすことができない。
 気付くと足はそれだけではなく、カーテンの横幅いっぱいに並んでいた。両足揃っているもの。片方だけのもの。男のもの、女のもの、子供のものもあって、そのどれもが裸足で黒く汚れている。
 B美さんが人を使って手の込んだいたずらをしているのだと信じたかったが、そこまでする意味がわからないし、なによりカーテンの裏に人がいるような膨らみもなく、窓の光に浮かぶ影もない。
 突然耳がキーンとなり、目は開いているのに気を失ったような感覚になった時、「ただいま。朝ごはん買って来たよ」という声が聞こえ、はっとなってT代さんの身体は動くようになったという。
 すぐカーテンの下を確認したが、もうなにもない。
 狐につままれたような顔をしていたのか、身体を起こすT代さんの顔をB美さんが不思議そうに眺めながら、コンビニで調達してきたおにぎりやサラダなどを袋から出してコタツの上に並べた。
「夢を見たんだろうなって――でもやけに生々しくて、そう思えなくて――」
 T代さんはすっきりしない気分のまま洗面所を借り、顔を洗ってからB美さんと朝食を食べたが、食べ終える頃には、やはりあれは夢だったんだと思えるようになった。
 B美さんの出勤する時間が来て一緒に退出することにしたT代さんは手厚くお礼を言いながら、さりげなくカーテンの下に目をやった。
 うっすら積もった埃の上に大小並んだ足跡が微かに残っていた。
 T代さんは何も言わず部屋を出た。
「あんなはっきり見たの初めてで――でも、やっぱり言いにくくて――B美さんのことは心配だったんだけど――」
 その後、飲み屋に足を運んでも二度とB美さんに会うことがなかったという。
 自分からあの部屋を訪ねる気にもなれず、あれはいったいなんだったのか今でもわからないままだと話を締めくくった。