恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
たまにグロ等閲覧注意あり

夜勤の夜 第四話

2019-09-30 10:23:44 | 夜勤の夜



               *

「で、結局ダメになったんだよね。
 ね、ちょっと。聞いてる?」
 またあの咆哮が聞こえ、気を取られていた智子の手をかおるがつねる。
「いたっ」
 申し送り事項を記入している最中、隣でかおるが恋話を語っていたのだ。
 智子は「聞いてましたよぉ」と情けない声で手のひらを擦ったが、結婚する相手がいたというところまで聞いて、なぜ破談になったのかまでは聞いていない。
「つらかったけど、しょうがないよね」
「そう――ですね」
 智子はばれないように神妙な面持ちでうなずいた。
「で、きょう大部屋に入院した田中さん。彼みたいなのよね。ドキドキしちゃった」
「え、かなりのおじいさんですよ」
「もうっ智ちゃん、優しさ足りない。どこか雰囲気があればそれでいいのっ」
「先輩――前を向きましょう。まだまだ若いんですから。年下だけど、山尾さんどうですか?」
「山尾? ダメダメ、あいつ智ちゃんのこと好きだから。あんたこそ付き合ってあげなよ。好きな人いないんでしょ? 
 ま、まさか松橋先生のこと――」
「いやいやいやいや」
 智子は手と首を思い切り横に振る。
「そこまで否定しなくてもいいじゃない」
 へこんだ顔をして松橋がナースステーションに入ってきた。
 きょうは十分な睡眠がとれたのか、すっきりと目覚めた顔をしている。
「す、すみません。
 あの先輩――先生にも聞きたいんですが――地下から聞こえてくる声のこと知ってますよね――
 でもなぜ知らんふりするんですか?」
 智子は思いきって訊いてみた。
 二人の動きがこの前と同じく一瞬だけぴたりと止まったが、
「わたし巡回に行ってきます」
 すぐにかおるが懐中電灯を持って立ち上がる。
「先輩っ」
 もうもやもやしているのが嫌で、智子はかおるの腕をつかんで逃げるのを制した。
 こちらを見守る松橋にちらっと視線を送り、かおるが智子を見下ろす。
「知らなくていいし、気にしなくてもいいよ。あなたには関係のないことだから」
 今までにない冷たい声に智子はたじろいで思わず手を離した。
「でも――」
「気になるのはわかるけど、僕たちも気にしないことにしてるんだ。ボイラーの音だと思って、君も早く慣れて」
 かおるをフォローするように松橋が優しく諭す。
 まだ納得のいかない表情の智子に「とにかくあれについて、もう何も言わないで」そう言い捨てると、かおるは暗い廊下に消えていった。

夜勤の夜 第三話

2019-09-29 11:22:54 | 夜勤の夜



               *

 新規入院した患者のカルテをチェックしているとまた咆哮のような長い叫び声が聞こえてきて、智子は顔を上げた。
 あの夜から何度目だろう。
 検温に行くと由紀生は必ずこの声に対する考察を話そうとする。もちろんボイラーの音ではなく霊安室からというものだ。
 智子がここに来てから霊安室は使用されたことがなく、過去にもほとんどないとかおるに聞いたことがある。死に直面するような重篤な患者はいないのだから当然と言えば当然だ。
 だから、霊安室からという説はないときっぱり由紀生にも言ったが、まだ納得していない。というより、智子を怖がらせて楽しんでいるようにも思え、どう反撃してやろうかと、自分もちょっとだけ楽しくなっていた。
 だが、声のようなものは確かに聞こえてくる。
 ボイラーの音だと思うものの、正体はいったい何なのかはっきりさせたくもあった。
 なぜなら、今は巡回中でここにいないが、あの声がするたびにかおるの顔を窺っても聞こえている様子がないからだ。
 自分にしか聞こえていないなら、あれはボイラーの音ではないのではないか。
 毎回その考えに行きつくと智子はぶるっと身を震わせた。
「見て見て。山尾君におごらせてやった」
 戻って来たかおるが汗の浮いた缶コーヒーを二本、机の上に置いた。
「患者さんに? いいんですか?」
「いいの、いいの。
 一階から戻って来たところ捕まえて、一本おごれっていったらなんて言ったと思う?
 智ちゃんにならおごるけど、だよ。
 で、わたしの分と二本おごらせてやったのさ」
 そう言って笑って、かこっとプルトップを開けるとおいしそうに飲み始める。
「あ、いいな」
 松橋が眠そうな顔で入ってきた。
「あ、よければどうぞ。先輩いいですか?」
「別にいいけど。山尾君泣くよぉ」
「わたしコーヒーだめなんで。山尾さんにはちゃんとお礼言っときます」
 コーヒーを差し出すと松橋は喜んで飲み始めた。
 突然、地の底から響くようなあの咆哮がはっきりと聞こえた。
 松橋の上下に動いていた喉の動きが止まり、かおるの笑顔が強張る。それはほんの一瞬ですぐに動きは再開したが智子は見逃さなかった。
 かおるもあの声が聞こえているのだ。知っていて知らんふりをしている。
 それは松橋にも同じことが言えた。
 なぜ二人はあの声について何も触れないのか、それはきっと触れてはいけない何かがあるからだ。
 これでボイラーの発する音でないことが、智子にははっきりとわかった。


夜勤の夜 第二話

2019-09-28 12:42:16 | 夜勤の夜



               *

 地の底から聞こえてくるような咆哮が聞こえ、智子ははっと顔を上げた。
 かおるには聞こえなかったのか、隣の席で何事もないようにカルテの記入をしている。
 今夜もまた居眠りして夢でも見たのだろうか。
「智ちゃん、巡回の時間よ、お願いね」
「あ、はい」
 顔を上げずカルテに向き合ったままのかおるに返事をして、智子は席を立った。
 ナースステーションを出て懐中電灯を照らしながら常夜灯だけの暗い廊下を進む。
 重篤な患者は街の大病院に転院させるので、入院しているのは比較的病状の軽い患者か、通院困難な骨折等の怪我をしている患者のみだった。
 大半が老人だったが、外科的な患者には若者もいる。その中で一人だけ小学生の男の子がいた。
 院長の息子、由紀生は生まれた時から身体が弱くずっと病院暮らしだという。
 その由紀生がぼうっと患者専用エレベーターの横にある階段の前に立っていた。
 ナースステーションを振り返ったが、まだ机に向かっているのか、かおるの姿は見えない。
 智子はそっと由紀生の肩に手を置いた。
「どうしたの? もうとっくに消灯時間過ぎてるよ」
 びくっと体を震わせ、怯えた目を智子に向ける。
「変な声が聞こえたんだ」
 その言葉に智子はさっき聞いた咆哮を思い出した。
「き、気のせいよ」
 笑みを浮かべてみたものの、上ずった声はごまかせなかった。
「お姉ちゃんも聞いたの?」
「き、聞いてないよ」
「ウソだぁ。だって怖がってるもん」
「ホントにホント。ぜんっぜん聞いてないっ。
 ほら、石田さんに見つかるとヤバいよ。だから早くベッドに戻って」
 212号の自室に戻そうと由紀生の背中を優しく押す。
 だが、由紀生は脚を踏ん張って話し続けた。
「たまに聞こえるんだよ。地下から」
 確か地階には霊安室とボイラー室がある。
「あ、わかった。きっとボイラーの機械音がそう聞こえるんだわ」
 だから地の底から聞こえてくるような声に聞こえたのよ。
 智子もそう納得し、『霊安室から』という怖いことはあえて考えないようにして由紀生を部屋の前まで押していった。
「でも霊安し――」
「だーっそれはないそれはない」
 そっち方向に結び付けようとする由紀生を制しスライドドアを開ける。
 しぶしぶベッドに上がった由紀生にケットを掛け「おやすみ」と言って部屋を出た。
 廊下でほっと息をついていると、今度は薄明りにぼんやり浮かぶ松葉杖の人影に気付いて智子は飛び上がった。
「智ちゃん。きょう当直?」
 このにやけた声は――
 下腿部の骨折で大部屋に入院している山尾だとわかりため息をつく。
「こんな夜中に何うろうろしてるんですか?」
 どいつもこいつもと言いたいのを我慢して詰め寄る。
「下のロビーにコーヒー買いに行ってた――智ちゃんの分も買ってきたらよかったな。一緒に飲みた――」
「さっさと部屋に戻ってくださいね。くれぐれも他の方を起こさないように」
「もう冷たいな、智ちゃんは」
 山尾の声を背で聞きながら智子は廊下を進んだ。
 一通り巡回してナースステーションの近くまで戻ってくるとリネン室横の空き部屋から松橋が出てきた。今まで仮眠をとっていたらしい。
「異常なし?」
 そう訊きながらあくびをかみ殺す。
「はい、ないです――
 あのぉ、先生――」
「ん?」
 智子は地階から聞こえてくる声のような音の原因が何なのか訊いてみようとしたが、言い淀んでしまった。
 松橋の眼鏡の奥にある無邪気そうな目を見ていると、そういうことにまったく気づいていなさそうな気がしたからだ。
「えっと――夜勤の日は奥様たち寂しい思いされてるだろうなって」
 智子は以前にまだ幼い女の子と清楚な奥さんが楽しそうに笑っている家族写真を見せてもらったことがあった。
「うーん、どうだろ。結構羽伸ばしてるんじゃないの? うちの女どもは」
 そう言うと松橋ががははと笑う。
 つられて笑っているとナースステーションからかおるが顔を出した。

夜勤の夜 第一話

2019-09-27 11:49:47 | 夜勤の夜



「役立たずっ」
 怒鳴り声に智子ははっと顔を上げた。
 机にもたれて少しうとうとしていたらしい。
「どうしたの?」
 それに気づいて先輩のかおるがカルテをチェックしながら聞いて来た。
 石田かおるは夜勤の時の智子のパートナーだ。
「す、すみません」
「いいよ、いいよ。疲れてんだからさ。
 ただしナースコールにはちゃんと出てね。
 ところでなんか嫌な夢でも見たの? うなされてたよ」
 かおるがカルテを棚に戻し隣に座った。
「覚えてないけどどんな夢か大体わかってます。
 以前勤めてた病院の師長に怒鳴られる夢――」
「なんかドジ踏んだか?」
 かおるの軽口に智子はしゅんと頭を下げた。
「いえ、その――わたし、いまだになぜかわからないんですけど、ずっといじめられてて」
「ええっ? 師長に?」
「それとみんなから――」
「別にどんくさいわけでもなく、ちゃんと仕事もこなせるのにね。あなた大人しいからうっぷん晴らしにされてたのかも。だから辞めたの?」
 智子はうなずいた。
「そういうやつどこにでもいるよねー。きっとあなたの後には別の誰かをターゲットにしてるわよ。辞めて正解っ。で、ここに勤めたのも正解っ。ここにはわたしみたいに優しい先輩がいるし」
 智子はぷっと吹き出した。
「そこっ、笑うとこじゃない」

 この新たな職場は片田舎の――以前いた街中からなるべく離れたかった――山のふもとにある美しい森に囲まれた病院で、一階は外来診察室、検査室など診療、治療設備が整い、二階には病室が大部屋を含め21室、ベッド数は約50床あった。
 智子は二階の入院施設に配属され、夜勤の際は石田かおると雇われ医師の松橋祐介と組んでいた。
 かおるも松橋も優しく、叱る際でも人としての尊厳を踏みにじるような言葉など吐かない。
 そんな仲間とのどかなこの場所に智子の傷ついた心は徐々に癒されていった。

恐怖日和 第三十八話『トンネル』

2019-09-26 10:42:00 | 恐怖日和

トンネル

 地元の心霊スポットを知り、休日の午後、愛犬を乗せてその山奥の旧道にあるトンネルに向かった。
 二十数年前にバイパスが出来てから全く使用されておらず、荒れ放題の道だったが、ぎりぎり車の通れる幅員をトンネルの前まで来た。
 そのまま進入しようかどうか迷ったが、地図上では出口から先の道路表示がなく、徒歩で進むことに決めた。
 草いきれの中、車を降りてビデオカメラを手にする。
 愛犬のシェパードも後をついて来た。名前はボギー、頼もしい相棒だ。
 カメラを回しながらトンネルに入る。ひんやりした空気が身体を包み込み、気持ち良さと少しの怖気を感じつつ先を進んだが、腰の高さまで積もった土砂にすぐ阻まれた。
 苔むした壁面を映し、ずっと奥に見える出口もズームアップしたが逆光が眩しくて、その先がどんなふうになっているのかは見えない。
「やっぱ夜に来ないと雰囲気も味わえないな」
 そう独り言ちていると、急にボギーが激しく吠え出し、トンネル内に声が反響する。
「こらっうるさい」
 叱っても鳴き止まず、首輪を引っ張って外に出た。
 狸か猪かまさか熊ではないと思うが、そんなものを追いかけて迷子にでもなったら大変だ。
 俺は吠え続けるボギーを無理やり後部座席に引っ張り上げ、回しっぱなしにしていたカメラをオフにした後、車に乗り込み来た道を引き返した。
 街に出る頃にはボギーも大人しくなり、何事もなかったかのように後ろで長々と寝そべっている。
 途中カフェに寄りアイスコーヒーを頼んでから、ただの無駄撮りだと思いつつもカメラをチェックした。
 自分の足音が聞こえる中、トンネル入り口、苔むした壁面、高く積もる湿った土砂、ズームアップした出口の映像が流れる。
 その白く光る半円の中で黒い人影が手を振っていた。
 なんだろうと確かめる間もなく、ボギーの吠える声、それを叱る自分の声が入り乱れ画面がぶれた。もう一度確認するため巻き戻しをする。
 やはり手を振る人影があった。
 逆光で見えなかっただけで誰かいたのかな?
 そう思いながら、ぶれたままの映像の続きを見ているとその人影がだんだん近づいて来ることに気付いた。
 スイッチを切る瞬間には俺の真横に立っていた。なのにただただ黒いままだった。
 うわぁ、あの時ヤバかったんだ。だからボギーは吠えていたのか。
 よっしゃ、この動画、あとでネットに投稿しよう。
 ほくほくしながらスイッチをオフにする。同時にアイスコーヒーが運ばれて来た。
「すみません。ハムサンドのテイクアウトできますか? パンにハム挟むだけでいいんだけど」
「え?」
「犬に食わせたいんで」
 俺は窓から見える駐車場の自分の車を指さした。
 ボギーが窓から物欲しげな顔でじっとこっちを見ている。
「かしこまりました。かわいいワンちゃんですね」
 店員はくすくす笑って端末に注文を打ち込む。
 君もかわいいよ。
 俺もそう言いたかったが、いつものように照れて言葉にできない。
 ボギーの激しく吠える声が聞こえた。
 あーわかった、わかった。浮気はしないよ。
 心の中で苦笑いする。
「あ、お客様、あの方お友達じゃないですか?
 先ほどからずっと手を振ってらっしゃいますけど」
 店員が指し示す俺の車の横には黒い人影がいた。
 グラスに浮かぶ水滴がすうっと流れ落ちた。