Pさんの母親は普通『見る』ほうではないらしい。
「なのに、あの時はなぜなんだろう」
と、今でも首を傾げているそうだ。
*
Pさんの母親・R子さんは、若くして亡くなったご主人の墓参りを欠かさなかった。
菩提寺が家に近かったということもあるが、月命日はもちろんのこと、買い物に行く際や散歩に出た時も、門前を通る場合は必ずご主人の墓に手を合わせた。
それは二十数年来の習慣で、今まで異様な出来事にあったということはなかった。
だが先日、墓参りを終え門に向かって参道を歩いていくと、中年の男女が門前に立って自分をじっと見ている。
R子さんは、知り合いかな? と思いながら門に一歩一歩近づいた。ここ最近、歳のせいで視力がだいぶ弱くなっている。以前も真横に立った人が友人だと気付かなかったこともあり、この時もそう思ったという。
しかし、山門の木目を数えられる位置まで来ても二人の顔がはっきり見えない。しかも全身がびっしょり濡れているのに気付いてR子さんはぞっとした。
二人がこの世のものではないとわかったからだ。脚ががくがく震え、その場に留まってしまいそうになったが、無理やり動かして山門をくぐった。知らんふりをして二人の前を通る。こちらをじっと見ているのが目の端に映っていた。。
見ちゃだめ。見ちゃだめ。
視線を引っ張られそうになりながらもR子さんは何とかやり過ごし、足早でその場を去ることに成功した。振り向いて確かめたい衝動にもかられたがアレらに見えていると気づかれたくなかった。
寺通りから逸れて大通りまで出て深いため息をついた。
この後、買い物に行く予定をしていたが、ひどく疲れてしまいR子さんは家に帰ることにした。
念のため同じ道を戻らないで別ルートで家路についた。
家に着くと外出着のまま倒れ込むようにベッドに入り、泥のように眠った。
はっと目が覚めた時、開け放したカーテンの窓ガラスの向こうは暗くなっていた。もちろん照明など点けていなかったので部屋は暗かったが、街灯の明かりでぼんやりと中が照らされている。
R子さんはベッドから体を起こそうとした。だが体が痺れて動けない。
金縛り? そう思った時、ベッドの傍らに立っているものに気が付いた。
あの二人だった。
R子さんは憑いてきたんだと目をつぶった。
『うどんたべさせてくれませんか』
『うどんたべたいんです』
頭の中に響くその声にR子さんはかっと目を開けた。傍らにいるのはあの幽霊たちではなく、侵入してきた人だと思ったからだ。
だが、ぼんやりと浮かんでいるのは、顔は滲んだように見えないが紛れもなくあのびしょ濡れの二人だった。
『うどんたいてください』
『うどんたべたいんです』
R子さんはもう一度ぎゅっと目をつぶり、心の中で喚いた。
『無理無理無理無理無理無理無理無理――』
『うどんたべたいんです』
『うどんたべたいんです』
『いやあ、いやあ、ぎゃあああああ』
幽霊の声が聞こえないようにR子さんは心の中で喚き散らした。
ふと声が聞こえなくなり、あきらめて消えたのかとR子さんは目を開けた。
二人が顔を覗き込んでいる。だが間近にあってもその表情は見えない。
一瞬息が詰まったが、
「いやあぁ。もう無理やって、そんなんうどんなんか作られへんって。帰って。か・え・って。帰ってええぇぇ」
大声を出せたと同時に手も足もじたばたと暴れた。
数分間喚き散らして疲れたR子さんはしばらく放心状態になっていた。
いつの間にか二人の幽霊は消えていたという。
*
「母がうどんを作らなかったのは怖かったということもありますが霊に同情してはいけないからだと後で話していました。
しばらくの間母は菩提寺に行くのが怖くて、父の墓参りをさぼっていたそうです。
でもしまいには、お父ちゃんに怒られるわって言って、やっと行く気になりました。今はまた以前のように、かかさず行ってます。
あれから二人の幽霊は見ないそうです」
Pさんは笑った。
「幽霊が見えたのになぜ父ではないのかって、うちはまだ鬼嫁なんやろかって、母も苦笑いしてました。
なぜびしょ濡れだったのか、なぜその時だけ見えたのか、母も私もわかりません。
同情してはいけないと言いつつも、母は、あんなに食べたがっていたんだから、うどんくらい作ってあげてもよかったなと、今ではそう思っているそうです」